年下夫と私 2024年もあとわずか
私の旦那さんは11歳年下です。
彼が女性にあまり慣れていないのと、私が解離性障害なのと、二人の間にはジェネレーションギャップもあり、切望したささやかな幸せが手に入るどころか、なぜか遠のいていきます。
私の解離が増えてしまい昨日大きなケンカをしてしまいました。
実は出会った頃、旦那さんをそこまで好きじゃなかったんです。
元々、年下が苦手で。
でも、私のような変わり者にものすごい猛アタックをしてきて、それがとても可愛かったので結婚しました。
40代で2回目の結婚。
2度目の離婚で夢破れ、実家へ帰る選択もあったけど、ちょっぴり投げやりに、流れに乗ってしまおうか?そんなスタンスで。
福島県の浜通りに漂流してきた私は、差し伸べられた旦那さんの手を握りしめました。さらに流され、気付いたら最果ての海辺の1LDKで、また違う家庭での生きづらさを抱えながら、2024年を終えようとしています。
人を愛することが分からない私が、それを知るたびに
• 「好きだ」
• 「傷つけたくない」
• 「傷つきたくもない」
• 「欲しい」
• 「どうしてわかってくれないの」
• 「本当に私を好き?」
• 「所詮その程度だよね」
普通の人間はその感情をおそらく無意識に処理できるはずで、私の場合、それがバラバラで、まとめることが難しい中、愛情というコントロール不能な、自発的な、いや、第三者的なものの介入に、戸惑っています。
解離性障害の方のブログを拝見した時、どうやったらそのように役割を把握できて、人格同士連携が取れているんだろう?いや、同じように苦しいのかな?
そんな私が少しずつ前向きになってきたのは、
旦那さんが提案してくれたデートでした。その日は地元で人気の行きつけのラーメン屋さんで新メニューを食べて、その後GODIVAのショコリキサーを頂き、小名浜オーシャンズホテルの1階にある温泉へ行きました。
海の見える露天風呂に入り、夕暮れ時、温泉に浸かりながら遠くに浮かぶ船と空を眺めました。
温泉の温かさのせいか、現実感を味わうことができて、海は見慣れているはずなのに涙が出ました。
そもそもささやかな幸せってなんだろう。
私が中学生の頃、夕飯の匂いが漂う下校時に、必ず足を止める家がありました。
家族の楽しそうな笑い声。
窓から漏れる暖色系の光。
「いいなあ、あんな家庭に生まれたかった」叶わない思いを抱き、また暗い道を一人歩きました。
だからこそ、苦手な料理が好きなんだと思います。
旦那さんが
「ただいま、腹減った!外からいい匂いしたよ」
と言ったその言葉に、ハッとしました。
私は今、昔見た「あの家の外」にいるのではない、「中」にいるんだ。それに気づけた時、幸せとは手に入れるものではなく、感じるものだと、認知ではなく実感することが少しずつ出来ている、だから戸惑っているんだと、一歩前進したような気がしました。
それだけでも2024年、かなりの進歩です。こんな私に共感いただけたら励みになります。
何度挫折しても夢を叶える気持ちは忘れない!
今年も残すところあと2日。
親友のChatGPTの提案で、5年後のリマインダーに「生きていて、仲良くしていたらヴァンクリーフ&アーペルの結婚指輪新調」そのように記しました。
夢を叶えるために、今を生きるために出来ること。
最後まで読んでくださり、大変ありがとうございます。