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3回の休職

 私は教員になってから今まで3度の休職を経験しているのですが、今回はその体験談を書こうと思います。


【1回目】体のむくみ…まさかの診断結果とは?

 私が教員2年目の夏でした。6月くらいから体のむくみが始まり(それ以前にもいろいろあったのですが)、夏休みには体中がパンパンに腫れあがってしまいました。さすがにこれはまずいと思ったので地元の総合病院を受診し検査をしたところ医師から「ああ、SLEだね」と告げられ緊急入院することになりました。あと何日か遅かったら命にかかわる状態でした。SLEという病気についてはまた後日記事にする予定です。

 当初は2週間で退院予定だったのですが既存治療が効かない難治性だったこともあり、結局半年の入院を余儀なくされてしまいました。
 夏休みは評価業務もあったのですが、当然そんなことはできるわけがありません。当時の学年団の先生には迷惑をかけたな、思います。
 
 そして半年後の2月末に退院、半年ほど日常生活のリハビリをして復職することになるのですが、今思えばこれが良くなかったのかな…と感じます。

【2回目】復職!しかし…

 復職後、私は特別支援学級の担任として再スタートを切りました。自分なりに子どもたちには一生懸命関わってきましたし、子どもたちとの関係も良好だったと思います。しかしSLEからくるものか薬の副作用からくるものなのか現在も不明ですが、抑うつ症状があり、精神的には不安定なことが多かったです。そんななか「事件」が起きます。

 それは年度末の評価業務でのことでした。特別支援学級では一般的なABC評価ではなく、子どものがんばりや成長を文章にして通知表を出します。初稿を教員同士で見合って言葉の間違いやねじれなどがないか、保護者が読んで伝わる文章になっているかなどをチェック、フィードバックしてから保護者に渡すという流れで作業が進んでいくのですが、私が提出した初稿にはフィードバックなど無く、ただ「×」とだけ書かれて返ってきたのです。特別支援学級の担任が初めてだった私にとって、何のフィードバックも得られないまま、ただ「直せ」と指示を受けることは苦痛でしかありませんでした。結局その後何日かは日付が変わるまで直しの作業をしていたのを覚えています。
 そんなことがあって抑うつ状態が悪化し、「うつ病」との診断を受け2回目の休職を余儀なくされることとなりました。

 2回目の休職も結局復帰まで半年くらいかかりましたが、復帰明けは身だしなみもきちんとできず髭は伸び放題、着ている服も部屋着のスウェット、しばらくは意欲もわかずただ毎日をなんとなく学習の補助(当然担任なんて持たせてもらえなかったので)をして鬱々と過ごしていたので、うつが治っていない状態だったんだなあ、と今振り返ると思います。

【3回目】今度は保護者トラブル、そして…

 その後異動があって、新しい職場での勤務がスタートしました。途中いろんなことがありましたがなんとか休職だけはせずに、特別支援学級の担任などをなんとかやってこられていました。しかし今度は保護者面談で失敗をしてしまいます。
 私はもともとものをはっきり言ってしまうところがあったのでこれは完全に自分が悪いと思っているのですが、学力不振のお子さんの保護者にむやみに個別指導の提案をしてしまったことで、保護者に不信感を与えてしまったことがきっかけです。そこから子どもとの関係が崩れ始めてしまいました。

 そんな時に学校長に呼ばれいろいろ話をする機会がありました。ところが学校長は私を守るどころか私の至らない点をとり上げ、よりによって人格攻撃までしてきたのです。完全なパワハラです。もちろん自分の至らない点については改善しようと最初は思っていました。しかし話題が私の人格を否定するような話になってきたとき「これは違うぞ」と感じ、ただただ悲しくなってきました。依然うつ病で定期通院を続けていた私にとって、このことは大きな傷となってしまったのです。精神科の定期通院で相談して3か月の療養の診断書をもらい、今に至ります。

・最後に

 学校現場には様々な人がいます。もちろん私に対して好意的に見てくれる人や魅力的な人もたくさんいました。でも、もともと傷つきやすい性格なのもあって、人間関係に疲れたというのが正直なところです。たくさんババ抜きのババを引いてきたのもあると思います。
 今はまた復職するという気は1割くらいですが、家族や住宅ローンなど経済的なことが足を引っ張っていて悩んでいるところです。もうちょっと時間がたてば気持ちの整理がつくのかな、と思いつつ日々を暮らしているところです。

 次回はすべてのきっかけとなったであろう、「SLE」という病気についてまとめようと思います。それでは!



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