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『求む、主のはしため』



 雪のふる日の、松本の、

 千歳橋を越えて、ちょっと遠いけれど、あがたの森を目指して。中町を通っていこう。それからちいさな道をくねくねと、美術館まで出られたらいいな。白い雪をかぶると、草間彌生の毒々しいオブジェは静謐に、ふしぎとうつくしく見えるから。そこからは大通りをまっすぐに、ヒマラヤ杉の木陰の、松高跡へいこう。

 やわらかな雪が、すこしずつコートを濡らしてゆくから、通りを歩きながら、傘を売っている店を探そう。結局、中町からまっすぐに進んで、イオンでビニール傘を買う。ホテルで借りてくればよかったのに。旅先で、どうでもよい荷物を増やしてしまうなんてばかだ。

 たくさん迷って、寄り道をして、あがたの森に着いたころには、もう雪がほんのりと地面に積もるようになっていた。はじめて来たのも、雪の日だった。いいえ、雪のあとの日。杉の巨木が、太陽と風にぷるぷるっと震えて、深緑の葉から粉雪を落とした。そんなさまは初めてみたから、なんてうつくしい場所だろうと、この世離れしたような、ふしぎな感覚がした。

 きっと雪の日には、とくべつな扉が開くのかもしれない。旧制松本高校の外壁の、あのペールグリーンの色が好き。ヒマラヤ杉の並木を、奥へ進んでいって、中庭から、本館に入る。だあれもいない、しずかな、しずかな建物のなか。背の高い窓から、ハンマースホイみたいな、薄明かりが漏れている、ながい、ながい廊下。



 ここに来たのは、迷っていたからか、呼ばれていたからか。あたらしい役割を授けてもらえるのだと、なぜか思ってた。そう、廊下を進んでいくと、教室のそとに、貼り紙がしてあった。

 求人広告だ、とわたしは息を呑んだ。何枚かある。文字ばかりの、地味な文面をひとつひとつ浚っていきながら、ああ、わたしには到底無理だ、と次へ移った。どの紙も、わたしを呼んではいなかった。溜め息をつきながら読んだ、さいごの紙にはこう書いてあった。

 『求む、主のはしため』

 はて、はしためとは、と頭が付いてこない。今どき、女中という言葉だって、差別用語になっている。家事使用人? それもアウトじゃない? はしためは、端女と書くのだろう。きっと召使いとおなじくらい、古い言葉だ。それに無給。だれがこんなのに、応募するんだろう。

 けれどわたしを呼んでいるのは、そのさいごの紙だった。かすれた黒い募集要項は、まるでわたしを名指ししてるみたい。でも勤務地は? せめてこの松本に、温泉の傍にでも、移住させてくれないかしら? 『勤務地、呼ばれたところどこでも』 まさか、幹部自衛官でもあるまいし。

 紙の下についた、キリトリ線のぴらぴらは、わたしの分しかなかった。じぶんでも馬鹿だと思いながら、その紙片を、えいやっ、とちぎる。すると教室のなかから、呼ぶ声がした。

 その声に答えるまえに、なぜじぶんがその紙を取ったのか、立ち止まって考えてみた。もしかしたらちいさな頃、生誕劇でマリアの役をしたからかもしれない。一生懸命覚えたせりふは、こうだった。

 「わたしは主のはしためです。御言葉のとおり、この身になりますように」

 あのとき、わたしがマリアをして、ひとつ年上の男の子が、ヨセフをした。もしかしたらそのせいで、わたしはその時のヨセフと、結婚するのだと思い込んだのかもしれない。それともふたりを一緒にするために、あのとき神さまが、劇の役を振り当てたのかも。そんなことはともかく。

 みことばのとおり、このみになりますように。7歳のわたしは、その言葉に感じ入った。それはどこか、あのキリストの祈り、「しかしわたしの思いではなく、あなたの御心を」に繋がっていた。じぶんの意思を超えたなにかに、身をゆだねることを、ほんのかすかに悟ったのかもしれない。あのときなんらかの種が、幼いわたしに蒔かれた。

 トントントンと叩いてから、部屋のなかに入ると、あのかたがいらした。すこし緊張感のただよう、がらんとしたほの暗い教室のなかに。木の椅子に腰掛けて、こちらを振り向き、ようこそ、とあのかたはおっしゃった。

 「求人広告を見て参りました」

 わたしの言い方は、すこし芝居がかっていたかもしれない。いや、すべてが芝居がかっていた。わたしを呼ぶために、わざわざ雪の松本の、あがたの森公園の、古い建物のなかで、求人広告なんか出すのも、すべてが。



 「そう、嬉しいよ。仕事について、なにか質問はある?」 
 「……もし、じぶんを放棄して、あなたのはしためになったら、この重いのを、かわりに背負ってくださいますか?」 
 「Come to me, all ye weary and heavyladen. And I will give you rest」 
 「ほんとうに?」 
 「ほんとうに」

 勧められるがままに、あのかたの前に座った。木製の机の、むかしの高校生たちが、暇にあかして彫ったくだらない悪戯書きを眺めながら、北杜夫のはあるかしら、なんて考えた。口に出さなくても、あのかたはわたしの考えていることをわかってくださる。この学校で北杜夫が書いた、あのすばらしい試験回答のはなしで、わたしたちはすこしのあいだ盛り上がった。

 『恋人よ この世に物理学とか言ふものがあることは 海のやうにも 空のやうにも 悲しいことだ』
 「ふふ、斎藤茂吉の息子がそんなこと書いてたら、点をやっちゃうでしょうねえ」
 「いつも同じ回答を読むのは退屈でたまらないから、キミ、もっとやってくれたまえ、と先生が言ったってね」
 「ハハハハ」
 
 ねえ、とわたしは甘えて呼びかけた。こういうふうに、あのかたと、ふたりきりでいられる空間が好き。彼はいつだって、わたしのことを呼んでくださっているに違いないのに、時々わたしの内なる泉が濁って、ざわざわと、彼とわたしのあいだに、痛みや誰やらが、入りこんでしまう。ただ純粋に、彼の顔を思い浮かべられさえすれば、わたしのなかの嵐は静まるのに。

 「書くって、どうしてこう苦しいんでしょう?」
 「北杜夫ほどかい?」
 「北杜夫は、ご家族のほうが苦しかったんじゃないかとおもいますけど。書くことのために、だれかを苦しめるのは間違えているって、はじめのころ、あなたが教えてくださったでしょう?」

 そうだね、と彼はほほえんでくれた。

 「書くことを、まわりに理解されなければそれも苦しいが、理解されてからだって、それ以上に苦しいことだろうよ」
 「理解されるかは、もうそこまで気にならないかもしれません。読みもしないひとに、わたしの半世界を踏みにじられれば、二三日は悶えてますけど」

 「苦しまないことを書いたって、意味はないと、あなたは知っているはずだよ。最近だってあんなにも、石牟礼道子に感動していたじゃないか」
 「そう、でも書くために苦しむとか、苦しむために書くとか、それはずれているでしょう? ほんとうに苦しいのは、あなたがもっと深いものを求めていらっしゃることですもの」

 「はしためになりなさい、と仰有るみたいに、あなたはペンではなくて、わたしの心を、すべてを求めてらして、それだからいつまで経っても、この火を弱めてくださらない」
 『……みことばが実現するまで、主の言葉が彼を練り清めた
 「あなたはわたしを、練り清めてらっしゃる」
 「そう」
 「ヨセフみたいに?」
 「そう、ヨセフみたいに」

 そう言うとあのかたは立ち上がって、わたしの手を取り、雪の街へ出た。キリストのはしためになることが、ずっと彼の傍にいることだとしたら、わたしはそれでかまわない。はしためになることが、じぶんのすべてを捧げることだとしても、かまわない。卑しい身分に落ちることだとしても、もうどうせ落ちぶれているのだから、わたしはかまわない。

 しずしずと松本の街が、銀色に染まっていく。また長い道のりを戻る。あんまりにも寒くって、とちゅうで手を浸してみた源智の井戸の水が、なんだか温かくさえ感じられた。いろいろな思いが、わたしのなかを行き交うけれど、書くためには、まずそれを生きなくてはならない。ほんとうはすべては彼のことであって、わたしは消えていかなくてはならないのだ。きっとはしためになるように呼ばれたのも、そのことに繋がっている。

 「どうした?」

 女鳥羽川の畔を歩いていたときに、遅れていたわたしのため、あのかたが立ち止まってくださった。まあ、雪まみれだこと、そう思ったけれど、それはわたしも同じ。彼は手を伸ばすと、わたしの肩から、雪を払い落としてくださった。主はそのはしためを、むげには扱われません。
 

 

《追記 書くのは苦しい、と記したのが、傲慢なようで気が咎めた。ふれられるくらい近い神、という本を作る過程で、いくども目には見えない妨害を受けていた。書くのをやめたなら、もしかすれば平穏に暮らせたかもしれないが、御心のとおりに生きなければ、不幸せに感じたことだろう。ちいさな子どもを育てるただの主婦が、読んだり書いたりしていられるのは、ほんとうに恵まれ、甘やかされているのであって、苦しいなどと言うのは我儘が過ぎる。神さまに与えられたものを、神さまに返すことで、わたしは満たされているのに。書くことができなかったら、きっとそちらのほうが苦しい。》

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