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ウェディングドレスに スニーカーを履いて
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あるとき夢をみた。夢のなかで、わたしはアンティークの美しいウェディングドレスを着て、とてもハンサムなひとと祭壇の前に立っていた。そのひとの顔はすこし夫に似ていたけれど、それがイエス・キリストであることは、言われずとも分かっていた。
まっしろなレースが、エドワード朝みたいなハイネックの首を覆っていて、裳裾はうしろに長く広がっている。優雅な、うつくしいドレスだった。わたしが何年もまえに、じぶんの結婚式で着たものにすこし似ている。あれはアメリカのグッドウィルで百ドルで手に入れた、1970'sのヴィンテージだったけど。
花嫁衣裳をまとい、花婿の腕にもたれて、祭壇のまえに立っていた。けれどそのとき気付いた。わたしは、なぜか汚れた運動靴を履いていた。純白のドレスに、汚れたスニーカー。
どうして、と問うてみた。わたしの結婚式のときだって、金色のかわいいバレエシューズを履いていたというのに。キリストと結婚するときに、どうしてこんな運動靴を履いているのですか。
その答えはこうだった。この地上では、どこにでも行き、なんでも出来るように、動きやすい靴を履いていなさい、と。汚れたしごとでも、躊躇せずに出来るような。こちらにいるあいだは、汚れてもいいような靴を。
そんな夢だった。そういえばあの夢の頃からこのかた、わたしはいつも同じ靴を履いている。オーストラリアの農家さんが履くという、BLUNDSTONEの革ブーツを。汚れても良くて、雨が降っても大丈夫。中途半端な私服のミニマリストが、三年間毎日履いていても一向にへたりそうにない、頑丈な靴。
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本を作ることは、子どもを産むことに似ていて、三人目を産んだあとに、わたしは何をしたら良いのだろうか、と思った。もうすこし、余裕をもって生きたい。わたしのペンだけではなくて、手足のすべて、日常のすべてを神さまにつかさどっていただけるように、すこし、ペースを落として。
ホームスクーリング、そう、それがわたしの日常だ。けれど、わたし自身はどんな勉強をしたらいいのかしら。もう作品のために、自衛隊だの信州松本の郷土史だのを、読み漁る必要もなくなったいま。
三冊の本を集めた。須賀敦子と津島祐子と片山廣子、さんにんの女性たち。それが、わたしの第一歩らしい。それぞれに、なにか響きあうものと、反発するものとを感じつつ。
「あなたの手のなかにあるものは何か?」
と、モーゼに問うたように、主がわたしに問う。
「なんでしょうか、いままでに読んできた数えきれない本たちと、ことばが好きだという思いと、あとはお皿を洗ったり、トイレを掃除したりできる手です」
答えるのなら、きっとそんなかんじかも。
「家庭の主婦の芸術のなかで、後世に残ってもよいやうな、どれほど良いものがあったとしても、それは家庭から見れば一夕の食事の汁加減の成功よりも大なるものとはいはれません」
と片山廣子は言った。それをフェミニズムの文脈で批判しようという気は起こらない。実際に子どもを育てながらなにかを作ろうとしたとき、それは生活から出た実感の言葉に思えるから。繰り返しいうが、わたしはフェミニストではなくて、キリストに従う者だ。
そのことばを、わたしは少し違った意味で胸に刻む。本を書くこと、人前で通訳をすること、そういった華々しいことよりも、もっと低いと思われていること、掃除をすることだとか、子どもと四六時中暮らすことだとか、この世からしたら価値のない、地味で残らない仕事のほうが、神さまの目には尊いのではないかということ。どちらかを比べるものではなくとも、そこに大小はないのではないか。
小さな、卑しいしごとを、神に与えられたすべてを持って行うことができるなら、天での報いはきっと、大統領を二期連続で務めるよりも大きなことなのだ。
わたしは、子どもを三人生みました。(人間を一人、本を二冊)。夢ばかりみて、ぼんやりしてばかりいるわたしですが、これからはいま目の前に指し示されているらしい、ひとに仕える道を行けたらな、と思っています。