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わたしの軛 (改訂版) ⑥ (完)
三年まえに書いた話を、
書き直したり、削ったりしてみました。
キリストの軛を負うこと、傷を癒されること、
虚しくないものを探すこと、
聖霊のバプテスマを受けること、
仕えることとか、心を守ることとか。
あらけずりな話ですが、
お読みになってくださるかたが、
この小説のなかから、
キリストを掬いとってくださいますように。
ようやく最終回です。
ここまでお付き合いくださいましたかたに、
こころより感謝もうしあげます。
↓ひとつまえ
11
八枝が告白するように、あの出来事を語ると、真木はしずかに、良い薬になったね、女三の宮さんと言った。そしてその場で立ちあがって、パウロに電話をかけると、久米がこんどこそ受洗したがっていると伝えた。湖に連れていって、沈めようと。なにも知らないパウロは、まだ寒いだろ、と言った。そばで聞いている八枝にむかって、真木はにやりと顔をしかめてみせた。
久米の洗礼式は、土曜日に決まった。結局湖にはならなかった。一緒に水に入るパウロが、そんな馬鹿なことに付き合ってられるかと言ったので。そのころには、パウロも事のあらましを知っていた。パウロは、だから言ったでしょう、と八枝に繰り言をいった。
「真木は怒らなかったのに」
「ぼくは八枝ちゃんの牧師ですからね、ぼくにも叱る権利はありますよ。真木がきみに甘いのならなおさらね。でも赦したのは偉かった。これからもそういうふうに、聖霊に耳を傾けていなさい。八枝ちゃんにも非があったにせよ、主はそれを良いことのために用いてくださいましたね。久米くんにとって、生きた証しになった」
ともかく真木とパウロは話し合って、すこしのあいだ八枝を東京に帰すことにした。教会の仕事があったので、この一年、彼女はほとんど実家に帰っていなかった。
二三週間、ゆっくり遊んでくるといい、と言われて、八枝はすこし泣いてしまった。まるで自分が二十六でなく、十六だったみたいに。いつも押さえつけていた、家恋しさがあふれてしまった。松本は彼女にとって母方の故郷で、ここから見える青い山々に、血でわかりあえるような近しさを感じてはいたが、やはり実家は恋しかった。中央線を走るあずさを眺めながら、ぼんやりしてしまうくらいには。
大切に育てた一人娘を、宣教師に嫁ぐ心構えでいけ、と送りだした義父だったが、娘が帰ってくるときいて、嬉しさをかくせない、浮わついた声をしていた。年齢でいえば真木は、妻と義父のちょうどあいだ、それもすこし義父よりにいたので、義父のそういった感慨は、肌身にせまるように感じられた。
行こうとさえ決めれば、東京はそう遠くなかった。挨拶なしに八枝をひとり送りつけるのは忍びなくて、真木は車で送ることにした。準備を済ませて、階下に降りてきた八枝は、ひさしぶりにワンピースを着て、いつになく年相応な、いまどきの女の子らしい装いをしていた。
「きものは着ていかないの?」
「田舎の古いおうちに嫁いだ娘が、きもので帰ってくるなんて、ぞっとしないじゃありませんか」
「東京のひとに、信州ではみんなまだ着物にちょん髷だと思われるかい?」
「そういった鄙のコンプレックスには、わたしはなにも触れないことにしますわ」
「そんなの抱いてないって。きみだって半分信州人じゃないか」
八枝がふふふと笑って、言い合いに幕をひいた。長いあいだ海外にいた真木は、日本人どうしの知性ある会話に飢えていたので、育ちのよい八枝の知性を愛していた。彼女がいないと淋しいだろうなあ、とその会話に、いまさらながらに気づいた。洋服や本が詰まっているらしいボストンバッグをうけとると、その思いをしまいこむようにして、真木は古いミニバンに積みこんだ。
12
それからちょうど二十日ほど経ったとき、真木はこれ以上耐えられなくなって、八枝を迎えにいった。八枝がいなくなり、だだっ広い屋敷が寂しくなって、パウロに泊まりにきてもらった。結婚するまえは、いつもこうだったのに、男二人で顔をつき合わせているのは、実に味気なかった。真木は長らく独り暮らしをしていたから、パウロよりは料理も上手かったが、なんだか虚しくて、外食ばかりした。禁酒主義の男がふたり、しけた顔で外食をするのもやはり虚しかったので、久米が頻繁に呼び出された。八枝のいないあいだに、三人の男たちはかなり仲良くなっていた。真木はまだ久米に嫌がらせするのを止めなかったが、心根のまっすぐな久米は気にもとめず、逆にへたれきった真木を面白がっていた。
真木はほとんど役に立たなかったけれど、パウロはそのあいだも、久米にせっせと聖書を教えこんでいた。すっと物事の見ぬける敏い久米は、やはりまっすぐにイエスを受け入れていった。久米の洗礼式には、チェンさんもマリアンもダスさんも飯森のおばあさまや高田さんも、教会のひとたちで来られるひとはみんな来た。久米に無言で悔い改めの祈りをさせると、屋敷の広い風呂に湯をはって、湯ぶねの外に立ったパウロが、使徒行伝二章三十八節のとおりに、洗礼を授けた。湖ではなかったけれど、うつくしい洗礼式だった。水から上がってきた久米の目が輝いていたから。
「結局きみの方が、八枝ちゃんに釣られた魚だったね」と、パウロが独り言をいうと、久米はなんのことかわからないという顔をした。
洗礼を受けたからとて、それで満足してはいけない。聖霊のバプテスマをうけて、神の封印をいただくまで、気を緩めずに求め続けなさい、とパウロは言った。久米はほんとうに素直なよい男だった。彼は強制されるのでなく、自分から神を求めていた。そういったところが、一世は二世より強いのだ。久米は若いわりに世のなかを知り尽くしていたから、その虚しさを説かれずとも、骨身に知っていた。その彼が見いだした、暗闇のなかの光である。久米はひたむきにイエスを求めた。その姿は真木に、二十年前の自分を思いださせた。
神に孫はいない、という言葉がある。親の代からクリスチャンのパウロや八枝は、それぞれの若いころ、そのことばに撃たれたものだった。神との関係は、世襲できるものでも、誰かに代わってもらえるものでもない。パウロのように一族全員が教会に通っていても、八枝のように明治時代まで遡るクリスチャンの家系に生まれても、個人的にイエスを知り、イエスの救いを自分自身で受けとらなくてはならないのだ。ごく若いときになんの波乱もなしに信仰を選んだかのようにみえる、パウロや八枝でさえ、迷い出た羊になっていたところを、キリストに探しだしていただく経験をしていた。だからふたりとも、親の信仰とは関係なしに、自分で選びとって、キリストを信じたと言えるのだった。
真木は二十代まで、神とは無縁だったので、清らかに育って、そのままキリストに身を捧げた、八枝やパウロのような教会育ちが、ときどき眩しかった。そういう点で、真木は久米に近しいものを感じていた。
「……八枝が帰ってくるまえに、おれもきみのことを赦すとするか」
真木は、屋敷にいりびたって、リビングのソファを占拠している久米に言った。そう言ったのも半分冗談で、なぜ彼らが二人きりになっているのに気づかなかったか、悔いる思いはあったけれど、べつに真木は久米を憎んでもいなかった。久米はいつのまにかするりと懐のなかにいるような、憎むのもむずかしい男だった。
「いつ迎えにいくんですか?」
「土曜日。家を片付けるの、きみも手伝えよなあ」
「ほんとに一緒に帰ってきてくれますかねえ」
久米は自分のしたことを棚にあげて、愉快そうに煽った。
「失敬な。そしたら久米くんのせいだぞ。ぜったいに追い出してやる」
少女時代に戻ったような、明るい笑顔を浮かべて、八枝は帰ってきた。庭はもう復活の季節だった。草木はあたらしい命を得、まるで死からよみがえったかのように初々しい緑色だった。ヘッセが好きな彼女のお気に入りのジャーマンアイリスの花も、宿根草の茂るなかに咲いていた。八枝はひさしぶりのわが家を懐かしげに眺め、うきうきとした新鮮な風を屋敷に吹きこんだ。
帰ってくるなり、里から持たせてもらった、幾つものたとう紙を開いて、八枝はあたらしい着物をお披露目した。
「たくさん作って貰ったんだな。お義父さんに、だいぶ散財させたんじゃないか……」
藍色のモダンな久留米絣に、ほのぼのした雲の織りだされた名古屋帯をかさねて、八枝はうっとりと布をなでた。
「結婚するときはなにも持たせなかったけど、今更でもきものに興味が出たのなら、っていうのは口実で、母はただ好きなきものを、娘に着せてみたかっただけなんですの。いくらかかったんだ、って父は唖然としてましたけど」
可哀想なお義父さん、と真木が哀れむのを、いいんです、一人娘ですもの、といい放ち、八枝は嬉しそうだった。八枝の父は、武蔵野のちいさな小児科の二代目だった。教会では長老の役割を果たす、柱のようなひとで、家庭では妻とともに、娘を大学に入るまでホームスクーリングで育てた、尊敬すべきひとである。広げられたきものの数々に、真木は妻が家庭で受けてきた愛情を、ひしと重く感じた。
翌日の礼拝の終わりに、牧師のもとに近づいて、八枝は祈ってほしいと言った。どうしたのとやさしく聞くパウロに、彼女はひとことひとこと、糸を紡ぐようにして言った。
「わたし、もっとイエスさまの近くを歩けるようになりたいんです。いままで少し近づいたら、また離れちゃうみたいな、そんなよろけた歩き方をしてたんです。でもそうじゃなくて、隣りあわせに、イエスさまと同じ軛をつけて、いつもイエスさまに付いていけるようになりたいんです。いっしょに祈ってくださいますか?」
パウロは目を細めて、うんうんと言った。そして八枝の肩にしっかりと手をおいて祈りはじめた。やさしいやさしいイエスの霊が、八枝のまわりを包んだ。八枝はふしぎな、神への、そしてみことばへの情熱を新たにされる感覚がした。ずっとそれを見失っていたのだ。キリストが自分を名指しで求めているみたいな、この世界にイエスと自分しか存在していないみたいな感覚だった。彼女をとりかこむ保護者たちも、そこまでは入ってこられない、とても個人的なできごとだった。閉じたまぶたのうち側に、きらきらした光を感じながら、八枝は心のなかで、みずからをキリストに捧げなおした。
他に祈ってほしいひとはいますか、という問いかけに、久米が前に来て、聖霊のバプテスマが受けられるように祈ってほしい、とちいさな声で言った。
「ほんとうに聖霊を受けたいのかい?」
パウロが念を押した。
「はい」
「聖霊を受けられるまで、ここを離れないというくらいの覚悟はあるかい?」
「はい」
久米は顔をあげて、正面を見据えた。よろしい、とパウロは言った。真木やアロンが、久米のそばに来て、彼に手を置いた。
「Blessed are they which do hunger and thirst after righteousness, for they shall be filled と書いてあるからね、これは日本語でなんていうの?」
パウロが通訳の八枝に聞いたが、祈ってもらったばかりで、まだ涙がおさまらない彼女は、目をむけて真木に振った。
「……義に飢え渇くひとびとは幸いである。その人たちは満たされる」
突然のことに戸惑いながらも、真木はすらすらと暗唱した。
『主よ、久米くんが聖霊を求めていることが、どれだけ尊いことか、奇跡のようなことか、あなたほどご存知の方はいらっしゃいません。草は枯れ、花は萎む、けれど神の言葉は永遠に立つ、とあなたはおっしゃいました。そしてまた、聖霊を飢え渇いて求めるものを、聖霊で満たしてくださる、ともおっしゃいました。ですから、ぼくたちはあなたに期待します。あなたを待ち望みます。どうぞみこころをなしてください、主よ』
目に見えない期待と信仰が、部屋の空気を高めた。ひとりひとりのちいさな信仰が集まって、神を引っ張ってくるかのようだった。自然にだれかの口から賛美のうたが溢れた。それはいま産まれでてきたような歌だった。だれかが呟くようにして、ハレルヤと言った。もはや久米のためではなく、ひとりひとりがこの部屋を満たすイエスの霊に酔っていた。目を閉じれば、光がみえた。あかるい、こころがふつふつと沸きあがるような喜びに満たされた。
その雰囲気のなかで、久米は雷に打たれたような衝撃を感じた。それははらわたを直接揺るがすような感覚だった。そして久米は、いままで知らなかった喜びが、自分の内側からあふれだしてくるのを感じた。自分がじぶんではなくなるような、言いようのない感じがした。それが求めていたものだという確信がした。これが真木やパウロの言っていた、キリストが自分のなかに宿るということなのだと。
イエスがそこにいると、誰もが感じていた。そのイエスによって、ひとりひとりは一つになった。妙なるやさしさが包みこむように、このちいさなホームチャーチの人々を、キリストが一つの心にしてくれた。
しばらくしてから、第二コリントの五章十七節を日本語にしてよ、といって、パウロは真木の方を向くと、英語でそのさわりを諳じてみせた。またこの無茶振りか、と真木はため息をついたが、ちょうど今朝そこを読んだことを思いだし、頭を素早く回転させて答えた。
「だれでもキリストにあるならば、そのひとは新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである」
《the end》