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もういちど、 井深八重さんのこと
曾祖父の従姉妹に当たる、井深八重については、noteを始めたばかりのころに書いたことがある。ふしぎな経緯で、彼女の働いていたハンセン病療養所を訪れたときのはなしを、その生涯と合わせて書いた。
八重さんのことは、ずっと祖母や伯父から聞かされていて、本もいろいろ読んでいた。親戚の偉いひととして。あの記事を書いたときのわたしに、八重さんの心情がどれだけ分かっていたかといえば、どうだろう。あれはどちらかといえば、伝記だった。
八重さんは、良家の美しい令嬢として、なに不自由なく育ったのに、たった二十二才にしてハンセン病と誤診されたのをきっかけに、その後の人生を、ハンセン病患者の看護に費やしたひとである。
ハンセン病といわれて、捨てられるように御殿場の療養所に閉じこめられ、八重さんは死のうと思った。まわりには重度のハンセン病患者たち。顔も身体もくずれて、まだ治療法もない。
苦しみのなかで八重さんが選んだのは、死ぬことだった。自殺ではない。自分に死ぬこと。日々死ぬこと。ひとのために生きること。それも六十七年の長きに渡って。
そのことが、いまになってわたしに響く。わたしの状況は、八重さんとは違うけど。それでもまだ戦いつづけないといけないのか、と梯子を外されたような思いになったときに、八重さんの死がわたしのなかに甦った。
八重さんは世間に消費されようとしなかった。ひっそりと日々働きつづけた。自分に死んだあとも、その肉体が死ぬまでずっと。その戦いの長さに、わたしはすこし怯んでしまう。けれど八重さんは戦いつづけた。ついにあちらに帰るとき、「神さまのおられる良いところに行きます、喜んで」と言って。
苦しんでいたときに、ふと思い出した八重さんの死は、わたしを戦場に縫いとめてくれた。もうすこしがんばろう。イエスさまが来られるまで。どれくらい掛かるのか分からないけど、きっとそう遠くない未来。
わたしは慰めに満たされていて、どんな苦しみのなかでも、喜びに満ち溢れているから。(Ⅱコリント7:4)
きっと八重さんだって若いときには、戦いが半世紀以上続くなんて思いもしなかっただろう。うちの家系の女性は長寿だから、さもありなんではあるのだけれど。すこしずつ、神さまは慰めを、祝福を散らすようにして、わたしたちを前へ導かれる。そしていつか、きっと思うのだ、あら、いつのまにこんな遠くに来たのかしらと。
八重さんは一粒の麦になることを選んだ。地に落ちて死んだ一粒の麦に。けれど生きたまま死ぬことは、安易に命を絶つのとは比べものにならないほど、険しい道。八重さんがあちらでわたしに微笑んでいる、あなたにだって出来るわよと。