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Take up the cross ―お寺の国のクリスチャンの余話―
真木和泉さんの証しを、すこし書き抜いてみたい。信州の旧家に、跡継ぎとして生まれたひとの証し。「自分の十字架を背負って、わたしに付いてきなさい」とキリストに言われて、その言葉通りにしてしまったひとの証し。
「ぼくは古い家に生まれ、このすべてを嗣ぐようにと周りから期待されて育ちました。母は良いひとでしたが、仏教と仕来たりのこの世界に生きて、この世界に死んでいったようなひとでした」
「その重さから逃れるようにして、ぼくはアメリカに行きました。そしてすぐそこでキリストに出会いました。はじめて生きる道が目の前に開けたような気がし、聖書のすべて、神のすべてを乾いたスポンジのように吸い込んで、聖霊のバプテスマを受けました」
「大学を卒業したとき、家族には日本に帰ってくるよう言われましたが、ぼくは無理にでも仕事を見つけて、アメリカに留まることを選びました。良い教会があり、牧師や友達に恵まれていて、それを離れたくなかったのもありますが、ぼくはなによりこの古い家に戻ったら、イエスに従う人生を生きられるかどうかが怖かったのです」
「あちらで過ごした二十年の間に、ぼくはクリスチャンとして成長し、大人になっていきました。同じころ親友のパウロは、説教師としての召命に応え、いろいろな教会に呼ばれて、結婚もして、順調に人生の階段をのぼっていきました。けれど傍で見ているぼくは、どこか自分が逃げているような、いるべき所にいないような感覚を常に感じていました」
「それでも日本に帰って、本家の跡取りになる勇気はありませんでした。ぼくは自分が仏壇を守れないどころか、一緒に暮らせさえしないだろうこと、無数にいる先祖の年回忌を勤め上げたり、冠婚葬祭で本家の役目を果たしたりするのは、無理だとわかっていました。ぼくのなかに聖霊が住んでいる限り、それはただとにかく無理だったのです。そしていちどイエスの霊を宿したら、それは決してぼくを去ることはないのです」
「二年前に母が亡くなり、ついにぼくはずっと恐れていたものと向き合わざるをえなくなりました。ぼくが帰ったとき、母はもう骨になっていました。葬儀は済んでいて、分家の叔父が喪主をしてくれていました。それは遠くにいるぼくが間に合わないだろうと案じた母の遺言だったのです。ぼくは親の弔いもしてやらなかった本家のどら息子と、陰で言われました」
「分家の叔父と、ぼくは話し合いました。ぼくが仏壇を守ることが出来ないというと、叔父は本家の仏壇を自分の家に移すことを了承してくれました。ぼくは本家の務めを果たせないのだから、家屋敷も財産もすべて諦めることさえ覚悟していましたが、晩年の母の話し相手をしてくれていた叔父は、なんであれこの家にぼくが帰ってくることが、母の望みだったのだから、と言ってくれました」
「それから檀家になっていた寺にも話しをしに行きました。本家が檀家を離れるなどみっともないことは前代未聞である、と住職にはこっぴどく怒られました。真木の家は、江戸時代からずっとその寺の檀家で、先祖の記録も、墓もすべてそこにあるのです。日本人として恥ずかしくないのか、と言われ、また、アメリカに行ったせいであちらに染まってしまったんだ、とも言われました。それでも馬鹿馬鹿しいような高額を提示されて、ぼくは檀家を離れることができました」
「それがすべて終わると、ぼくは鬱のようになって、家のなかに閉じこもりました。近所のひとたちの噂は、家を出なくても伝わってきました。ぼくは社会的に殺されたも同然で、ひとりきりで、助けてくれる教会も牧師も友達もありませんでした。ぼく以外誰もいない閉じきった屋敷に、訪ねてきてくれたのは、イエスキリストでした」
「主は、ぼくの心に触れて、鬱を癒し、語りかけてくださいました。イエスが十字架にかかったように、神はぼくを、人々の目の前で十字架に架けたのだと。これはすべて神の計画されていた通りで、ぼくはこのときのために準備されていたのだと」
「それから進むべき道は自ずと拓けていきました。パウロは日本に宣教に来たいと言ってきて、それならこの屋敷を教会にしようと決めました」
「近所のひとたちは、まだぼくのことを白眼視して、挨拶もしてくれませんが、主はぼくを、恐れの霊から解放して、人の目を怖がる思いに打ち勝つための力をくださいました。キリストが十字架につけられて、人々に辱しめられた、その苦しみを何万分の一であれ体験させていただいているのです。それはだんだんぼくのなかで誇らしいこととなっていきました」
どうして、どうしてこの国は、こんなにキリストに従う者に住みづらいのですか。東京にいる間は、そんなこと感じたこともなかった。何代も前から家族はみなクリスチャンで、ホームスクーリングで育ち、キリスト教系の大学に行った。いま思えばどれだけ恵まれていたことか。はじめて会ったとき、夫は一時帰国中で、まだ米国に住んでいた。あのときの彼は、あちらのひとみたいに自由で軽やかだった。
いまの真木が自由でないとは言わない。誰も信じてくれないかもしれないけれど、あの黒ずくめの親族一同のなかで、冷ややかな嘲笑を向けられていた彼は、誰よりも自由だったとわたしは思う。彼だけはこのお寺の国の鎖に繋がれていなかった。正直なはなし、彼ほど自由でないわたしは、あそこにいると呑み込まれてしまいそうになる。頑なにまっすぐと立っている夫の傍にいなければ、あちら側に迎合してしまったかもしれない。わたしはひとに憎まれることに馴れていない。もしわたしひとりだったら、彼のように毅然と十字架を背負えただろうか。
「他人事じゃないんですね」
子どものいないこの家で、彼の継承した祭祀権がその次は誰に回ってくるかという、当り前のことにいまさら思い至って、わたしは声に出して呟いたらしい。夫が聞き返した。
「わたしが継ぐことになるんでしょう?」
「おれは自分の代で、禍根を絶ってしまいたいと思っているがね」
真木はすこし改まってわたしに腰かけるように言うと、小娘を諭すように話しはじめた。わたしはいつだってお説教を食らうのである。
「きみに当事者意識が出たようだから、話しておきたいんだが、おれはクリスチャンならみなこうするべきだと思っているわけではないんだ。親戚と上手くやっていけるなら、それに超したことはないじゃないか」
「むかし田舎で誰かがクリスチャンになると、ひとびとの面前で仏壇を破壊させられたなんていう、嘘か本当かわからない話を聞いたことはないかい。泣きながら仏壇を壊したって。涙が出るなら、そんなことしなければいい。おれだって自分の手で破壊しろって言われればぞっとしない。先祖を憎もうと思ってるわけではないからね。仏壇に先祖が宿っているとしたら、何かあまり宜しくない形でなんだろうけど」
「そういったすべては、なにか低い次元の話に思える。強制されて仏壇を壊すのはとっても幼稚だ。強制する方はその何百倍も愚かだしね。だからひとにおれのように苦しむことを押し付けようとは全く思わない。おれは聖霊に導かれるままに生きているだけで、それが晒し者になる道だっただけだ」
「だからってひとりで背負うことはないでしょう?」
「きみはおれを庇ってくれるつもりだろうけど、その必要はないよ。このあいだの葬式で、きみは毛を逆立てた小猫みたいになっていた。尻尾を一歩でも踏まれたら噛みついてやる、みたいなね。いや、自分の尻尾を踏まれても我慢するんだろうが、おれに一指でも触れたなら引っ掻いてやるって気概が漂っていたよ」
「だって」
真木はふくれるわたしを見透かしていたように、やわらかく微笑んだ。またこのひとは十字架に付けられているような表情をしている。苦しみで洗い清められたような、すべてはみこころと悟りきっているような、やさしい。わたしは夫のことばを聞きながら思っていた。
「おれは右も左もどちらの頬も打たれるつもりであそこにいたんだ。彼らからすれば、おれみたいな人間を打つのは当たり前じゃないか。封建的な価値観から見れば、自分がどれだけ恐ろしいことを仕出かしているのかくらいわかっているからね。抵抗する気はない。苦しみは甘んじて受けるつもりなんだ」
「でもおれもまた違う世界を生きている。聖書を読めば読むほど、神とともに過ごせば過ごすほど、この世のなかのことはどんどん些細になっていく。だから理解されなくても、イエスの名のためにすべてのひとに憎まれようとも、もう別に構いはしないんだ」