暑すぎる夏 ―トンネルの記―
(一日目)
たぶん暑すぎる。立ち上がるたびに起こしていた眩暈は良くなってきたけれど、「なにもしない夏休み」は続く。だいたいホームスクーリングの家庭において、夏休みとはなんだろう。「なつやすみってなあに?」と四才の子どもに聞かれて、なんて答えればいいのかわからなかった。
それでも軍港巡りにも乗ったし、子どものための魔笛コンサートも聞きに行った。こういうのはたぶん、親が罪悪感から逃れるためにするのだ。わたしは何かしましたよ、とハンコを捺してもらうため。何かしたあとは、また夏バテに戻る。
昨日は子どもが下痢をして、夜中になんどもお尻を拭かされた。下痢をするたびに起きてしまうので、まともに眠れなかった。だから今朝はまともな始まり方をしていない。子どもはいまケツァルコアトルス(翼竜)を片手に握りしめて、お猿のジョージを見ている。時折「うんちしちゃった」との申告が入る。あとどれくらいで治るのだろう。
これが日常である。つい数日前まで、ものすごい勢いでスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチだとかを読破していたけれど、いまはなんだか弛んでしまった。ホームスクーリングは、少しずつ成果も見えてきている。だんだんと子どもの関心を、良いものに、知的なものに、芸術的なものに導けている、と嬉しく思う瞬間もある。ぐだぐだ言ってないでさっさと歯を磨いてくれ、という瞬間もある、それも毎晩。
ちょっとした倦怠期かもしれない。わたしは神に近づきたいけれど、なにをしたらいいのかわからない。祈るとき、時折じわじわとした栄光の感覚を感じる。きっとそこに長く留まって、もっと押し入るべきなのだ。そうなのかもしれない、そうすればふたたび厚くなりかけた心の皮が剥がれて、ふたたび神さまの拡がりを感じられるのかもしれない。
こういうことは、何度となくある。わたしがキリストを掴んでいる手は、ちょっとすると疲れて弱ってしまう。これを書きながら、わたしは思い起こされている。わたしを掴んでいる手があることを。その手はまどろむことなく、眠ることなく、いつもわたしを支えていることを。このすべてはわたしの出来るなにかではなく、ただキリストだけに懸かっていることを。
(二日目)
下痢はまだ止まらない。病院に行こうか、と聞くと、「びょういんにいったら、ぼくおいしゃさんと恐竜みたいなバトルしちゃうよ。おいしゃさんをけっちゃうよ!」というので断念した。彼には前科があるから。代わりに市販薬を買ってきた。病院に行けばタダなのに。
退くことについて、何ヵ月か前に書いた。じぶんの人生から退くことについて。あの頃はことあるごとに、肩を後ろにすぼませる仕草をしていた。意識的に下がって、キリストにじぶんを委ねる、わたしのサイン。いまそれを思わされている。また少しずつ、わたしは人生を背負ってしまった。この辺りで、また下ろさないといけない。
何日か前に、権利を放棄することについて考えていた。わたしにはすべての権利を主張する権利がある。失礼なことを言われたときに怒る権利、気分を害する権利だとか。いまそれしか思いつかないのは、あまりの暑さに頭が凝り固まっているからかもしれない。
キリストに委ねるということは、その権利を放棄することである。毒舌をふるう権利も、批判する権利もあろう。けれどわたしの舌も、キリストに委ねられていなくてはならない。この口唇の使い道も、すべてが賛美なのだと。いや、それでなくて、生きるすべてが賛美なのだ。わたしはまだそこに到達できていないけれど、心を削られる用意はある。
(三日目)
時として、癒しはゆっくり表れる。それでも癒しであることに変わりはない。昨夜、わたしは栄光のなかで祈った。わたしは信じている。神さまがこの子の下痢を治してくださることを。わたしは失望しない、希望する。そして信じる。
わたしが権利を放棄するとき、それは犠牲ではない。それは交換である。わたしはキリストと自らを交換する。わたしはわたし自身をより尊いものと交換するのだ。
(四日目)
日曜日。子どもの下痢はだいぶ良くなってきた。けれど「おなかいたいのなおったら、教会にいけるかなあ?」と言っていた彼もわたしも、その日は家に留まった。
教会にも行けず、通訳も休んでばかり、何を書くでもない。わたしはじぶんを何かと交換しているだろうか、と自問する。
暗いトンネルを思う。何についてとは言わない。けれどその先には光がある。かの有名な関越トンネルを通ったことがあるけれど、その先にはまだ見たことのない新潟の山里が広がっていた。かすかにシアンがかった車窓ごしに見えた、靄がかった緑いろの夏。
ずっとトンネルが続くわけでもなく、トンネルが無意味な訳でもない。祈りながらそう思った。この暗闇を通りながら、いまわたしはトンネルの先のために備えられている。いま習っている苦しみと心を砕かれることとは、謙虚さのマントとなって、わたしを破滅から守ってくれるだろう。
キリストに従うことは、苦しむことだ。わたしは繁栄の神学を信じない。キリストに従うことは、目に見えないもののために生きることだ。上にあるものを求めることだ。キリストに従うということは、自己愛の対極にあり、自己を差し出すことだ。それは本質的なものを見いだすことであり、涸れない泉から、心によい水を飲むことだ。
お察しがついたかと思う、最近のわたしはサンテクジュペリを読んでいる。ヘッセを読んでいるときもそうだったが、このひとも、いまわたしが共に暮らしているキリストを、無意識であっても、知っていたのだろうと感じる。宗教ではない、ふれられるほどに近いキリストを。
(五日目)
銀色のひかりが、暗闇の先に輝いていた。中東の響きをした聖霊のうたが、ひたひたと溢れて、うねりながら、わたしたちを上へと引き上げた。銀でできた満月の細工のようなものが。
真夜中に、賛美をした。まだ見たことのない領域に連れ去られてしまいそうな、濃厚な賛美を。連れ去ってと思いつ、聖霊に身をゆだねる。目には見えない領域で、神さまが働いておられる。
遠く日本でも、こうしてアラバマの教会の礼拝に参加できる。まるであちらにいたときのように。次の朝、起きると子どもの下痢は完全に癒されていた。きらきら光る雨上がりのベランダで、洗濯物を干していたときに、うたが浮かんだ。
『いつも喜びなさい、たえず祈りなさい、すべてのことについて感謝しなさい』
幼い頃に、カトリックの土曜学校で、シスターから教わったうた。いまのわたしは、これを心から歌うことができる。強制でも、押しつけでもなく。わたしの心のなかに住む、聖霊があふれてうたえる。
わたしは負の感情のすべてを、キリストの喜びと交換するのだ。腹立ちを、喜びと。失望を、喜びと。停滞を、喜びと。
そんなことを思いながら、元気になった子どもを乗せて、海沿いをドライブした。「うつくしいねえ。なごやかなうみだねえ」と後部座席から声がする。わたしも海と光のうつくしさに、キリストの喜びを感じた。トンネルの先に広がっていたのは、鎌倉の海。