幻を書き記せ ⑤ スティーヴン・L・シェリー (日本語訳) 完
アメリカ、アラバマ州にある
New Hope Revival Ministries の
スティーヴン・シェリー牧師が
1990年代に出版した手記です。
五回目になる今回で、
手記のなかの自伝部分は
最終回を迎えます。
この手記が書かれてから、
もう三十年が経ちます。
その後シェリー牧師は、
ステイシー夫人と結婚し、
四人の子どもたちに恵まれ、
つい最近、初孫が誕生しました。
わたしの母が、
エルサレムに住む姉妹の紹介で
この教会に出会ったのは、
2005年のことでした。
牧師の語るメッセージに
求めていた真理をみいだした母は、
英語を喋れない娘を連れて、
その翌年に訪米し、
それからも毎年、夏になるたびに、
アラバマの教会を訪れました。
そんな何年目かの夏に、
あの教会で聖霊をうけて、
いまわたしはこの日本で
キリストとともに歩んでいます。
祖母の癌は、どんどん悪くなるばかりだった。私は祖母の教会で説教し、そこの人の何人かに洗礼を授けた。私は祖母の死にゆく様を日々みつめていた。
「おばあちゃん、ねえ、おばあちゃん、ぼくを置いていかないでよ」
私は神にすがった。
「神様、お願いですから、祖母をいま取り去らないでください」
祖母が絶対に必要だと思っていたのだ。
ある朝、祖母と一緒にいたときのこと。祖母の世話をするのは、嬉しい特権だった。祖母は言った、
「わたしの顔を洗ってくれるかい、スティーブ?」
「はい、おばあちゃん。」
「わたしを居間の揺椅子のところに連れて行ってくれるかい?」
「はい、おばあちゃん。」
祖母は私の手をとって言った、
「いとしい孫や、わたしはこの揺椅子から起き上がることはないだろうよ。おまえの心の準備ができるように、主が教えてくださったんだ」
癌に巣食われていても、祖母は病気に見えなかった。
「わたしはもう起き上がらないよ。病院になんか連れて行かないでおくれ。機械なんかの世話にもなりたくないね。私を横たえさせようとするやつは止めておくれ。わたしは横になったまま死にたくないんだ。49年間、わたしは神様に自分の健康を任せてきたからね。神様はこの世で癒してくれなくても、天国で癒してくれるさ。
わたしは横たわって死にたくないからね、神様はわたしを椅子に座ったまま取り去ってくださるんだ。さあ、シャワーを浴びて綺麗にしてきなさい。香水やデオドラントは付けないでおくれよ、わたしの喉が苦しくなるからね。戻ってきたら、おまえに伝えたいことがあるんだ」
私は急いで戻ってくると、祖母の椅子のそばにひざまづいた。
祖母は言った、
「昨日の夜、幻で車輪を見たんだ。車輪の中心には、油注がれたイエス・キリスト、火の柱があった。車輪には軸が付いていた。霊で神様は、わたしを軸のなかから連れ出して、地球の状態を見せてくださった。
人々が恐ろしい病気で死ぬのを見た。通りでは喧嘩が起きていた。とにかく酷いものをたくさん見たよ。しかし、毎回どうしようもなく希望を失うたびに、神様はわたしを軸のところに連れ戻してくださるんだ。車輪の中心にはイエス様がいるからね」
「おまえにこれから起こることの全てはわからない。人々はおまえについて噂し、嘘を付くだろう。わたしの教会の人たち、あの人たちは真実を受け入れないよ。みんながおまえを去るだろう。
でも、覚えておきなさい! すべての中心はイエス様なんだからね。イエス様は決しておまえを見捨てられはしない。そう、主がおまえに語られたのも知っている。主になにか言われたのだろう?」
「はい、おばあちゃん。」
「教えておくれ、お若いの。何を言われたんだい?」
「神様は、ここコロンバスに戻ってメッセージを語りなさいっておっしゃったんだ」
「そう、それは正しいことだ。覚えておきなさい、うちの教会の人たちはみんな出て行くからね。しかし誰も欲しがらないような変人たちを、神様が集めてくださる。おまえは彼らの羊飼いになり、彼らはおまえが必要としている時に立ち上がってくれるだろう。
わたしが死んだら、おまえには背を伸ばしてどうどうとしていて欲しいんだ。泣かないでおくれ。わたしの家族に、神様は癒し主だって宣言するんだよ。神様がわたしを癒してくれなかったなんて、誰にも思って欲しくはないからね。多分皆わたしがこんな暮らしをしてこんなふうに死ぬのを見て嘲るだろう。おまえは立ち上がって本当のことを言うんだよ。
何時間かしたら、わたしは昏睡状態に陥って、呼吸も止まるだろう。わたしが息をするのを止めたら、立ち上がってどうどうと Only Believe を歌っておくれ。わたしはもうすぐあちら側に渡って、イエス様や預言者や今は亡き友だちや家族に会うのだからね」
その日の午後祖母が言った、
「お願いがあるんだよ、スティーブン。痛みがとても激しいんだ。おまえに車庫に行って、顔を床につけて神様に、わたしを取り去ってもらえるように祈ってきてくれないかい。ほんとうに苦しいんだよ。最後までずっとこんな痛みに悩まされるなんて、神様の御意志ではないと思うよ。さあ、言われたとおりにしておくれ」
「おばあちゃん、それは無理だよ。おばあちゃんを取り去ってくださいなんて祈れるはずがないでしょう」
「おまえがわたしを愛しているのなら、そうしてくれるはずだよ」
私は車庫に行き祖母の言った通りにした。すると声がして、叔母がこちらに来た。
「スティーブ、お母さんの容態が突然悪くなったの。病院に連絡をしておいたわ」
(末期の患者と家族を助ける団体があったのだ)
看護婦が来て、私の顔を見つめながら言った、
「もうすぐご臨終ですよ。」
「どうして、こんなに顔色が良いのに」
私は言った。
「今朝起きたとき、今日がその日だってわかっていたんですよ、心の中でね」
看護婦は祖母の元に行き言った、
「さあ、シェリー姉妹。主に優しく解き放ってもらえるように頼みましょうね。もうその時ですもの」
夜のうちに幾度か、祖母の痛みが激しくなった。「死の棘」と祖母が呼ぶ、見知らぬ物への恐れに祖母は苦しんだ。次の朝早く、祈り終えると私は祖母に言った、
「おばあちゃん、神様が御言葉のうちにこう仰られたんだよ。ぼくたちはわかってないんだ。神様は、死の棘は罪であるって仰ったんだよ。イエス様はこの世に来て、死の棘を取り去られたんだ。おばあちゃんは何も感じずに済むんだよ。こっち側で息をして、次の息はあちら側で吸うことになるんだ」
そして死はそのように優しく訪れた。私が祖母の頭を支えていると、祖母は私に愛していると言ってから昏睡に陥った。祖母がこちら側で息をし、次の息は私には聞こえなかった。それは天国で響いたからだ。
教会のひとたちがみな来た。クリーヴランド夫妻も、はるばるサウス・カロライナから、私の母を連れて来てくれた。
(誰もが去ってしまったときに、彼らは私の味方でいてくれた)
私は立ち上がって言った、
「みなさんに伝えたいことがあります。祖母はみなさんに、絶対に神様がジェホバ・ラファ(癒し主である神)ことを疑ってはならないと言い置いていきました。神は病の者を癒される主であると。私はこれから Only Believe を歌おうと思います」
誰かが言った、「そんな必要ある?」
「勿論。祖母と約束したんですから」
私は日曜の朝と夜に説教壇に上がり、「メッセージ」を語った。祖母を埋葬する日、アッセンブリー・オブ・ゴッドの教団の人たちが、国中からやってきた。私は言った、
「あなたがたに言いたいことがあります。祖母はその人生の大半を、ドグマや教義を信じて生きてきましたが、最後の最後になって『鷲の叫び』を聞いたのです。祖母はウィリアム・ブランハムを、神の預言者として認めたのです。これが祖母が伝えたかったことです。私は恥じずにそれをお伝えします。」
祖母が埋葬される間、私は異言で叫んで、神を賛美し続けた。最後の一握りの土が墓にかけられるまで、そこに立っていた。私は言った、
「おばあちゃん、やっと楽になれたね。こちら側で見送れる最後まで見送ることができたかな。おばあちゃんを助けることができてうれしかったよ。おばあちゃんの一緒に旅をしてきて、とうとうこの小さな土の家に帰ってきたね。次に会うのは、あちら側になるのかな」
私はサウスカロライナ州アンダーソンから、ジョージア州コロンバスに戻ってきた。主が祖母に示されたことの多くはすでに成就した。教会内の古い教えに染まった人たちと、教会堂の権利を巡って争いがあった。主が奇蹟をおこしてくださり、私たちは教会堂を守ることができた。
(教会堂は祖母が建てたもので、駐車場にセメントを入れたばかりだったので、ほんとうに失わずにすんでよかった)
そして祖母が主から聞いたとおり、教会の人たちはみな去っていった。
主が送ってくださった最初の人たちは、ドゥワイト・グレインジャー兄弟とその妻だった。最初の訪問のときから、彼らは忠実に私を支えてくれた。マリオン・ホリス兄弟が来たのもその頃だ。彼はもう主の元に旅立ったが、その家族は私たちと礼拝を共にしている。
この小さな教会はすくすくと育っている。聖人たちが各地から引っ越してきたり、週末に近くの州から車で来て、共に主の臨在を楽しんでいる。また電話回線で繋がった幾つかのサテライト教会もある。
この教会からのテープやビデオが、地球の裏側まで届くこともある。番組を通じて、コロンバスの町にも良い影響を与えられていると自負している。何事にも妥協しない御言葉のメッセージは多くの人たちを祝福し、私たちはたくさんの訪問者や電話を受け取っている。神は決して裏切ることがないお方だ。神は幻や預言によって私たちに与えてくださった約束を、すべて成就してくださった。
私たちはこれからも、主がなさった全てを感謝し、神を賛美していこうと思う。
(完)