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理不尽なこと


 一年まえのこと。

 礼拝のおわりに、義母とわたしをよびとめて、牧師がはずかしそうに、誕生日プレゼント、といって、包みをさしだした。

 夏の終わりにうまれた母娘は、そんなご丁寧に、と手をふった。けれども牧師が、過剰におもえるほどに、いや、ほんとうに、あげるのが恥ずかしいんだけれど、もうしわけないんだけど、と謙遜しつづけるので、こちらが申し訳なくなって、いえいえ、うれしいですよ、と明るい声をだして、受けとることにした。

 しろいマグカップだった。

 「いやあ、なんかAmazonで、電子彫刻刀みたいなのを買ったんだよ。なんにでも彫れるんだって。これでいろんなものに、聖句を彫ったりしたらすてきだな、って思ったんだけど、やってみたら、なかなか難しくて」

 牧師夫人がコメントを挟む。

 「そうそう、ぜんぜん上手くいかないから、上からペイントで塗ったのよ」

 「こんなもの、プレゼントにしてしまって、ほんとに申し訳ないんだけど……」

 「でも大きくて、コーヒーを飲むのに、ちょうど良いサイズじゃありませんか」

 おばあちゃんが遺したいくつもの食器棚に、うつわ屋さんを始められそうなくらいのお皿を持っている義母はともかく、お皿を割りがちなわが家では、コーヒーのたっぷり入るマグカップは、けっこう重宝する贈り物だった。

 つるつるした陶器の肌に、つたないペイントで、ALL IS WELL とえがかれた、マグカップ。(つたない、なんて言ってごめんなさい。味がある、とか表現したほうがよかったですね) 

 それは牧師の、口ぐせのような、ことばだった。

 わが家のキッチンカウンターの、マグカップツリーに、それは吊りさがっている。底がひろがった形でこぼれにくい、逗子の海図マグと、カタログギフトでもらった、青いアラビアのマグと。なにかを飲むときに、よくわたしは、信仰の選択、みたいに、わざとその「味のある」ALL IS WELL マグを選ぶ。

 このあいだ、わたしは牧師に、言い返した。

 「こんどこそ、わたしが言う番が来ましたね。いつも言われている、All is well って! まあ、わたしにもだけれど」

 わたしたちは、ひとり残らず、大きな海に浮かび、波に揺られている。もう微にいたり細にいたり、じぶんの試練を書きつらねるようなことも、しなくなっている。

 ときどき、不意に予想もしなかった方角から、砥石がやってくる。そんなときは、痛みがあたらしく、慣れないので、泣いてしまう。よる、祈りながら、泣き崩れることもある。真っ暗やみのトイレで、神さまに叫ぶこともある。

 「気分転換に行く、すてきなカフェをね、うちの近くにみつけたの。あなたが一緒だったらいいのにねえ。でも、あなたは遠すぎるものねえ」

 泣きあかしたあとの朝、牧師夫人がわたしにそう書き送ってきた。

 「ほんと、もっと近ければよかったのに。きのうの夜、泣きながら祈ってたの。教会にあなたがいなくて寂しいって。赤ちゃんみたいに、泣いちゃった」

 もっと近ければ、かれらの、産まれたばかりの赤ちゃんに会いにいけたのに。なんどか、車を運転して遊びにいこうか、といって、じゃあふたりで子どもたちを大きな公園に連れていこう! なんて話してたけど、やっぱりまだ無理、そんな遠くまで運転できない、と計画倒れした。

 わたしは痛みを、じぶんのなかでなんどもなんども反芻してしまうことがある。良くないことかもしれないし、ある程度までは、為になっているきもしなくはない。こういうふうに神経質で、繊細すぎる人間は、ほんのわずかな刺激で、おおくの効果を得られる。

 痛みのすべてを、神の手から来たものだと、うけいれることにする。痛くとも、ちょうど変わらなくてはならないときでした。あなたは、すべてをご存じ。栄光から栄光へと、かえられていく過程は、けっこう痛い。イモムシから蝶になるのも、痛いのかしら。かれらに痛覚は、あるのかしら。

 「ぜんぶ神さまに、お任せいたします」

 そうなんどもささやきながら、眠りについたというのに、それでもやっぱり、取りだしてきては、でもここは、わたしが正しかったわ、これは理不尽なことだったわ、とぐちぐち考えてしまう。

 でも、理不尽? 神さまの手のなかで、理不尽なことなんてないのだ。すべてが、わたしのためになる、良い目的に用いられるのだ。じぶんを弁護する必要はない。神さまが、わたしの弁護士で、裁判官だから。

 「なにも、理不尽なことなんてない」

 わたしはそう言って、あらがうのを止め、みずからを砥石にゆだねる。それがどれだけ痛いことか。でもすべてが大丈夫だし、わたしは、わたしを削っている彫刻家を、信頼したい。

 「わたしもあなたに会えなくて寂しい! でもこんどの日曜は来るつもり」

 寂しくて赤ちゃんみたいに泣いた、というわたしの言葉に、目をうるうるさせた顔文字をつけてから、牧師夫人が書いた。二ヶ月ぶりになるだろうか。

 「ほんとに? また泣いちゃうわ」

 わたしはそう書き送った。木曜日の初心者向けバイブルクラスを通訳していたら、ネコみたいな赤ちゃんの泣き声がきこえた。ふにゃー、ふにゃー、みたいな、新生児特有のなきごえ。

 あとから送られてきた動画のなかで、かれは眠そうな目をひらいて、にこおおっ、とほほ笑んでくれた。どうしてあんな小さいのに、こんなに上手に笑えるのかしら。はやく、会いたい。

 





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