ADHDとうつについての備忘録 05 -自殺について-
この記事では、自殺幇助もしないし逆に止めることも書きません。
今現在、死や自殺について思うことを記しておこうと思い書いています。
もしかすると、数ヶ月後や数年後に読み返して、ちゃんちゃらおかしいと笑っているかもしれません。
いつ死んでもいいや
いつからか自分には、「別にいつ死んでもいいや」という感覚があります。
幾らかのやりたいことや、見たい風景もある。しんどい日の方が多いけど時々嬉しいこともある。
例えば明日、職場に向かう途中で暴走車が突っ込んできて即死… しても別にええか…。と思う。
でも、痛いのは嫌かな。障害が残って生き続けるのも嫌かも。
一番嫌なのは、親より先に死ぬことで悲しい気持ちにさせることかもしれない。
死なない理由は何か?と問われたら、それだけかも。
ポジティブな言葉にムカムカする(ことにムカムカする)
うつ体験をテーマにした本や記事を良く読みます。
その理由は、どんな経験をして何を思いどう行動したかを知りたいから。
その中で必ずといって良いほど、出てくるシーンがあります。
「こんな自分でもいいんだ」「受け入れていこう」「自分で自分の機嫌をとって前向きに生きていく!」
は?クッソきしょいんですけど。
…と感じている自分に気づいてムカムカしてしまう。言いたいことはわかるし正しい、でもそんな言葉に共感できない自分が嫌いになっていく。
感情は当てにならないので理屈を知ることにした
希死念慮に囚われる自分を客観的にみると、どう考えても頭のおかしいヤツとしか思えない。
感情に身を委ねると多分そのうち死ぬので、理屈で自分に説明できる方法を探してみた。
そのお陰で、こういう原因で脳内物質がこういう働きをしているからこんな感情になっているんだ。という視点を持つことができた。
過去の人たち、海外の人たちはどうしてきた?
次に知りたかったのは、ここまで人類がどうやって対応してきたのか?文化の違う海外の人はどう捉えてきたのか?
色々調べていると、たどり着くのは宗教や思想や文化になった。
そもそも信仰心なんて微塵もないので、学問として知ることにすると結構面白い。まさに戦いの歴史だと感じた。
ここまでやっても別に解決はしない
自分に何が起きていて、過去の人はどう対処してきたかを色んな角度から知ることで、面白いことが知れたし、メンタルコントロールも当初よりは上手くなってきた実感がある。
でも、ほんのちょっとした失敗があると、すぐに希死念慮が襲ってくる。目の前にある辛い感情が現実だと突きつけられる。
そんな気持ちと真正面に立って戦おうと思ってきたけど、あるとき本当に無理だと感じた。
であれば、具体的に死に方を計画してもいいんじゃないかと思った。
だったら(ゴールや目標として)死に方を決めていいんじゃないの?
生き方を指南する人や本を多く見かけます。
「目的意識を持って生きよう」とか「幸せな生き方」とか…、あと「老後の過ごしかた」とかもそうかな?
でも、いざ「はい!これから人生が終わるよ〜」という場面に対しては、ボカしてるというか急に無責任に放り投げているように見えるというか。
散々、計画性をもって生きようと指南してきたのに、死にさしかかると「なるようになるっしょ」と言われているようだった。
「それはまた別の問題です」
「自殺は"社会の"重大な問題ですね」
「重い障害を持った人や老人の話です」
「相続や事務的な手続きの話をしておきましょう」
「一人で悩まないで相談しよう、電話番号はこちら!」
ずっと個人の内面的な話を進めておいて、色んな方法で死から目を背けさせようとしているように見えて違和感がある。
だったら、自分のゴールや目標として具体的な終わらせ方を決めていいんじゃないかと思った。
ゴールという意味では、これが究極でしょう。
不思議なことに、ある程度の具体的な計画が立つと、いつでも実行できるからと気分が楽になった。まさかそんな気分になるなんて。
今現在の自分は大丈夫だと思う。
未来の自分はこれを読んでどう思うだろうか?
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