自分の指導を指摘される大切さ
自分の指導方法を他人から指摘されるという経験は、指導者としての技術向上でも大切だが、指導される側の立場になると絶対にやってほしい点。
玉那覇の世代では、小中高大学と基本的には授業を受ける側には授業をする側へのフィードバックがない時代だった。大学になって初めて授業科目を選択するという権利があったぐらいで、授業の評価もなかった時代。
先生=絶対 という式が成り立っていた時代。
唯一小学校6年生の時の担任の先生が、新学年始まって以来1ヶ月ほどずっと体育しか実施しなかったことで、父兄からクレームが起こり、5月には担任が交代させられるという経験があったくらい。これもすごいことだけど(笑)
大学での貴重な経験
大学の授業だった。確か小学校理科教材研究の授業。
マジックミラーで仕切られた教室。前方は普通の教室で約20名ほどの同じクラスの学生が着席。学生はA・B・Cの文字を前と後ろから見える印を着用。Aは優等生、Bは普通、Cはやんちゃな子。マジックミラーの後ろには同じクラスの学生が着席。そして先生役は3名1組。
先生役・生徒役(3種類)・外部の人間役の5役の立場がある。
ここには頭をフル回転させて行くような仕掛けがあった。
先生役
授業時間は5分。授業内容は事前に教授から何年生の理科の授業で、何学期の何の授業。これは一番キツイ。
小学校4年生を例に取ると年間100時間以上の理科の授業がある。その中で大単元が複数ある。その中に小単元がさらに複数ある。一つの授業は45分。その授業を数回実施することで小単元一つが終わる。小単元の全体の理解のための導入からまとめに持っていくために一つの授業を複数組み立ていく。一つの授業はさらに導入から始まりまとめで終わる。そして次へ繋げる。
その一つの小単元の内容からたった5分。その5分のためには小単元全体の構成を理解して、途中の5分のための授業をしなくてはならないのだ。
先生役は3名1組。私が本番の先生役。他の二人は一緒に教材研究をした。たった5分のためにどれだけの時間がかかった。
5分とは言え、資料を使って説明しているだけではだめ。しっかり生徒の方を見て質問を投げる。質問に答える。ということも想定しておく。
玉那覇の場合、数時間単位の小単元の中から、中盤の授業の後半部分の5分。出だしの一言は、既に30分以上授業していると仮定しているから「はい!ここまでは大丈夫だね。それでは今習ったことをまとめていくよ!」と演技をする(笑)
その生徒役も必死になって役割をこなすために動く。
生徒役
Aは優等生、Bは普通、Cはやんちゃな子という設定。前後で判別がつくようなゼッケンを着用している。
授業の態度、発言、先生からの質問の答え、先生への質問内容、それぞれに3種類の生徒役を演技するために、図書館へ行き書籍を見たり、ビデオ屋さん行ってスクールドラマや映画を借りてみたり、附属小学校の授業の様子を見学したり。
外部の人役
マジックミラー越しに観察する授業を評価する。
先生役が実施する5分の授業を評価シートにしたがって評価。同時に三役いる生徒役も評価する。
各5分授業の前には資料をみて内容を頭に入れる。授業後は評価シートの整理。
そして授業後の振り返り(というか攻撃の嵐)
教授からは「外部の人役」全員から評価を発言させる。先生役も生徒役もドキドキ。
これら役回りを全員が体験する授業だった。その立場になって考えるということの難しさを体験した。これはまだ教員資格を取る前の段階。
アメリカに行って教官課程に入って訓練を受け、授業を受け、試験に合格したものはいいが、実務でこれやらないの?っと思った。
元FAA試験官として思うこと(任命前の研修会編)でも書いたが、FAA試験官任命時には同じことをやった。
教官訓練時にもやるべきだと思うし、実務に入ってからもやったほうがいいと思う。営利非営利問わず学校たるものその実務研修はしているのだから。
より良い教育をするためには実施する先生たちが評価される制度が必要。
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