病気との闘い㉘わくわく探し
みなさん、おはよう!こんにちは!そしてこんばんは!
ふたつの痛みの病に侵され、痛みと共に生きるflutist_umakoです。
前回の病気との闘い㉗は時系列を越えて「今でずっと」理解して頂くのが大変であった内部障害の理解について書かせていただきました。
応援してくださった方、シェアしてくださった方々ありがとうございました。
今回は、Clubhouse「医療部屋」でも一緒にイベントをやっているみおしん先生の立ち上げたWiTH PAiNの中でも合言葉になっている、
「痛みもわくわくも一緒に!」
という、私のわくわく探しの旅についてお話させていただきたいと思います。
わくわく何て考えられない!
正直、病気を発症して自分が何の病気に悩まされているのか分からない時は私も、
「こんなに痛いのに楽しい事なんか考えられるか!」
と思っていましたし、まだまだYouTubeでもみおしん先生と出会う前でしたので、こんなに酷い痛みを持ちつつ「わくわく」も、なんてことは考えられないと思っていました。
その頃の私は絶望シャーク状態で、
「何で私だけこんな目に合って!」
「いや、私の方がもっと大変だから...」
といった、後ろ向きな考えに満ちていました。
こういうマイナス因子ばかりの想いでいたため、こんな考え方が満ち溢れれば満ち溢れるほど増悪因子となり症状も進んでいたように思えます。
できることからできるだけ
大学を卒業した後の2009年4月頃、私は「消しゴムはんこ」を始める事になりました。
きっかけは私がもともと文房具好きであったことに由来しました。
その頃の私は今と同様に寝たきり生活でしたので、ネットショッピング、ネットサーフィンする事が大好きでした。
そんなある日、私の好きな文具ショップに「消しゴムはんこキット」というものを見つけ物珍しさも相まって購入することに。
この後私は消しゴムはんこに沼ってしまうとは知らずに...笑
もう、四六時中彫っていました。
最初はキットの中に入っていた彫刻刀で、しかし次第にそれでは満足できなくなり細部まで再現できるデザイナーカッターで彫るようになりました。
しかし私には絵心がないため、絵は誰か作家さんのを拝借したり、写真をなぞって似顔絵なんかも作りました。
この頃の私は、プロとまではいかないものの消しゴムはんこの本の中にある絵なら細部に渡って彫れるくらい完成度は高かったと自負しています。
私が彫った作品が本の挿絵に使われるなんてこともありました。
消しゴムはんこから洋裁へ
消しゴムはんこをしていたらインクの中に布にも使えるものがある事から、私の興味は消しゴムはんこと並行してお裁縫をするようになりました。
最初は無地の帆布にペタペタと彫ったはんこを押して端を始末する程度だったのですが、ちょうど甥っ子が生まれったこともあり、私の洋裁への道が開かれました。
次第にはんことの共演はなくなり、ロンパースからフードポンチョなど、型紙がどんどん増えていく事になります。
写真がないのが残念なのですが、同じ生地を使って甥っ子や姪っ子の服を違う型紙で作ってあげるという事もしたことがありましたね。
はんことのコラボ作品でいいものがあればよかったのですが、とりあえず作った服はこんな感じでした。
私の洋裁生活はこども服だけでは満足できず、ついには自分のガウチョパンツまで作りました。
立った姿を見せられないのが残念...
これは洋裁ではなく和裁になるのですが、刺し子の作成キットを入手してこんなふきんを作った事も。
洋裁を始めた頃から変わらないのが、消しゴムはんこで作った私オリジナル作品を表すタグも。
この裏はお団子頭の私の似顔絵(このデザインは自作)になっています。
一度タグをつけ忘れて甥っ子に服を送ってしまったら、
「いつものがない!」
と、わざわざ送り返してきてタグをつけたこともありました。
ご存知フルートとの出会い
2016年に突然私に降臨したフルート。
フルートとの出会いはこちらのシリーズを読んでいただけると分かると思います。
6年も経ったっていう事に驚きなのですが、私のテクニックはよくなっているのかどうなのか?
しかし、7年目に入った私のフルート生活を大きく変えてくれたのが、Clubhouse「医療部屋」で始めた『医療部屋ぱひゅーむ』の存在です。
それまでがマンネリ化していたわけではありませんが、私はどこかの音楽教室に所属しているわけではないので発表会の様に人前で吹くという事がありませんでした。
あったとしても施設のお誕生日会でHappy birthday♪を吹くくらいでした。
決してお金をもらっているからとかではなく(実際お金が入るわけではないし)、何人であろうと人が私のフルートを聞きにわざわざ「医療部屋」に入ってきてくださる、というのはプロではないけどそれに近い存在の責任があります。
最初の頃は、目の前にお客さんがいるのでなくても手の指の先が冷たくなりドキドキと緊張しました。
このドキドキを払拭するために、普段の練習量が増えていきました。
それは私のフルートの先生も感じ取ったらしく、
「最近いい練習しているね!」
と、お褒めの言葉をいただきました。
実際エチュードの進行具合は順調になり、それまで何度も何度も言われ続けてきた吹き方を、新しい曲では「自分でよく気が付いて吹いているね」と、私の中でも化学反応の様に変化していきました。
もちろん今も緊張はしますが「いい緊張」だと私は思っています。
ただし見る人が見ればただの趣味で、
「食事介助を受けているくせにフルートは吹けるのね」
「自分の好きなことはがんばれるのね」
と言われてしまう事もありますが、フルートは私のリハビリであり、激痛の中の私のわくわくなのだからやめることはできません。
現にフルートを始めてからの私の肺炎で入院する回数は年々減ってきています。
お料理・お菓子作り
最近は全然できなくなってしまいましたが、お料理も私のわくわくです。
特に私のところに小さなオーブントースターが来てから私の料理のレパートリーは増えていきました。
料理っていいですよね、たとえそれを食べるのが自分だけだったとしても、
「こうすればもっとおいしくなるんじゃないか」
とか
「これを入れた方がきれいに見えていいな」
というお料理はフルートとはまた違うドキドキと、わくわくに満ち溢れています。
冒頭でも言ったように最近は母がカットしてくれた野菜を自分でお鍋に詰めて煮込むお鍋くらいしかできませんが、それだけでも十分!!
どれもおいしかったなぁ・・・。
またお料理ができるようになるといいのですが。
終わりに
いかがだったでしょうか? 私のわくわくの旅。
今現在も出来ているわくわくはフルートだけなのですが、他のわくわくもまたいつかできるようになる事を祈って。
今は、
フルートこそ私の人生
みたいになっていますが、わくわくはひとつでなくてはいけないなんて事はないと思うのです。
だからこれからも「痛みもわくわくも一緒に!」ということで、新たなわくわく探しをしたいと思います。
このわくわくが、改善因子となって病状が快方に向かう事だって可能性はゼロではないのだから。
アンテナを常に張り続けて、新たなわくわくとの出会いを楽しみに、今回の文章を締めくくりたいと思います。
最後まで読んでくださった事に感謝します。