病気との闘い⑦~高2休学後の生活~
「病気との闘い」シリーズを書くのが久しぶりなような...
前回は入院中に出会ったご夫婦を見て、私が言語聴覚士(ST)を目指すようになったお話をしました。
私が書いたこの文章を奥さんに送ったところこんなお言葉をいただけました。
奥さんからいただいた言葉
主人は、48歳で倒れて闘病生活をしたとはいえ、それまでやりたい事を沢山やって、遊びも好きなだけやった人ですから、運命を受入れられるところもあると思うのです。
私は、主人が入院している間たくさんの本を読みました。
その中で、
「人は生まれてくるとき、あなたの人生はこう言うものですがよろしいですか?」
と聞かれ、結構ですと契約書サインして生まれて来る、と言うもの。
なのでumakoさんは、長い闘病生活だとしてもそれを補ってあまりあるような、親友や先生との出会いがあり、生甲斐あるお仕事との出会いもあったのだと思います。
私はおまけみたいなものだと思います。
と。
あぁ、やはりこのご夫婦は私の人生になくてはならない人たちだったのだと再認しました。
私はこれまでの人生を後悔することもありましたが、私が苦しんだ分それを補ってくれる出会いに恵まれたと考えると、私は両手では抱えきれない親友や先生方に恵まれたと納得することができました。
この年になってもこのご夫妻が教えてくれることは多いなぁと感じました。
復学後の苦難
退院後私を待ち構えていたのはそう楽な生活ではありませんでした。
原因は明確で、私の手術後の対応が今とその頃で大きく異なったからです。
当時は手術後はしばらく安静というのが鉄則でした。
そのためその間に落ちてしまった筋肉を元に戻すことは、入院中に私の担当で熱心に関わってくださった理学療法士、H先生にも難しいことでした。
なので私は、松葉杖、ロフストランドクラッチ、T字杖をある期間ごとに使い分けながらの生活でした。
それに加え、原因を取り除いた膝になったはずの私の両膝は、相変わらず原因不明の痛みに襲われていました。
私の高校は電車で約40分、それから山の中腹にある学校に向かい15~20分急な坂を上らなくてはなりませんでした。
その通学の中で私が何より怖かったのは、通学途中の電車の中でした。
というのは、先程も触れましたが私は杖をつく生活でした。
両足だけでは揺れる車内では立っていることができず、杖にかける体重が増えていきます。
そんな時に「コツン」と杖を蹴られてしまうと、私の身体は崩れ落ちるように倒れてしまうわけです。
と言っても、相手に悪意はないのです。
だから私は自衛をするために、通勤の電車を30分以上早めて通学することにしました。
私は休学前から自分でお弁当を作っていたので、その時間も考えながら起床して、半分寝ぼけながらお弁当作り、そして親に駅まで送ってもらい、6時43分だったかなぁ電車に駆け込みました。
温かい人たち
~学校篇~
私は高校時代は皆勤賞ものだと私の頭は記憶していました。
しかし、先日母に聞くと私は結構学校を休むことが多かったようです。
母は毎日私が制服を着て勢いよく飛び出していくのか、今日も何も告げずに布団の中から出てこないか気に病んでいたようです。
確かに高校に復学してからの私は、
「病院に行くから」
と、学校を早退したり、
「足が痛いから」
と、学校の保健室に逃げ込んでいたような記憶も思い出してきました。
ともだちや先生方については以前書いた通りです。
ともだちは今でも仲良くしているくらいだし、当時も付かず離れずな距離でいてくれました。
またいろいろな先生が親切だった私の学校の中でも、改めて思い出した保健室の先生です。
先生は授業の途中訪室した私に、
「授業に戻りなさい!!」
とも
「早めに家に帰ろうか?」
とも言わずに、他に誰もいない時には、私の答えの見つからない話を延々と聞いてくれたり、
「今日は天気が悪いから来るんじゃないかと思って...」
と、ベッドをひとつ明けておいてくれたりしました。
そう、この頃の私は、次の日の天気予報ができるほど季節やお天気に左右されていました。
~地域篇~
私が毎朝、毎夕と使っていた駅の駅員のNさんにも感謝しています。
その駅の駅員さんのNさんは、毎朝杖をつきながら学校に行く私をとても応援してくれていました。
私の町の駅はとても小さく、もちろんエレベーターなんてありません。
朝の時間帯は駅舎に切符や定期券を見るための駅員さん1人で、プラットホームで乗り降りする人を見守る駅員はいませんでした。
朝、上り線のプラットホームに向かうには、私にとっては長い階段を下らなくてはいけませんでした。
毎日の事なので時には遅刻気味だったり、雨や雪の後で階段が滑りそうで恐る恐る降りるときもありました。
何度となく私は電車に乗れなかったことでしょうか。
しかし、Nさんがいつも私を助けてくれました。
私はまだ階段の途中。
電車が駅に着いてしまい、行き交う人もいない...
乗れないか...
そんな時、
「はい、上り線。杖をついてセーラー服の学生がもうちょっとで着きますのでお待ちくださーい!!」
というNさんの声が、プラットホームで響き渡っています。
諦めかけていた私も、これは行かなくちゃという気分にさせられました。
ようやく電車に乗る頃には、大体いつも同じ顔ぶれの電車の中の人たちに、
「またこの子か...」
という視線が突き刺さり、とても恥ずかしかったです。
でも、Nさんには本当に感謝しています。
あの放送がなければ、私は30分後の次の電車を待たずにその日は休んでしまったかもしれません。
なんとこのNさんですが、私が高校卒業の時、立派な箱に入った名前入りのボールペンを私にプレゼントしてくれました!!
隣近所でもなければ、どこのNさんかもよく知らなかったNさんが、よく知らないけど、杖で学校に通っている私にです。
ね、心がほっこりするような田舎の話でしょ?
さて、いろいろな人に支えられて高校を卒業した私は、いよいよ言語聴覚士になるべく大学へと進学します。
大学入学のすぐ後に知った真実とは?
その真実は私をハッピーにしたのか、どん底へ突き落としたのか?
夢の大学生活&一人暮らしが発車しまぁーす!!
つたない記事ですが、サポートしていただくと俄然やる気が出ます!!🙂🎶 私の"やる気スイッチ"も入りますので、あなたの心に響いたらぜひよろしくお願いします。