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病気との闘い⑧~夢の大学入学~
こんにちは。
痛みに呪われ、痛みと婚礼の儀式まで交わしたと言われているfluetist_umakoです。
今日からまた病気の事などをポチポチと話していきたいと思います。
さてさて、前回は私が2回目の高校2年生に復学し、いろいろな人に支えられ大学進学できたお話をしました。
さて今回はいよいよ、国際医療福祉大学 保健学部 言語聴覚障害学科(2年次より現:言語聴覚学科)へ入学してからのお話です。
この大学生活は今まで以上に苦難に満ちた生活だったかもしれません。
しかし全部が全部苦しみの中にいたわけではありません。
楽しかった大学生活
以前「幸せな私」シリーズの「大学時代の親友」について触れました。
ここにも綴りましたが、私はいつも一緒にいたAやNだけでなく学年や学科を越えたともだちがいてくれました。
そして何よりも楽しかったのが「一人暮らし」と「勉強」、そして「友人」でした。
憧れの一人暮らし
物件については、東京に出た兄たちとは比べ物にならないほど私の大学のある大田原市は安かったです。
元々何もなかった所に大学ができたことにより栄えた街なので大学生には優しい街でもありました。
今は少し当時とは違うかもしれませんが、当時は男の子であれば38,000円で1K(6~8畳バストイレ別)でも十分暮らしていけました。
物件を決める時は、確か私1人で行ったように覚えています。
私は足の事もあったり、また大田原市自体が当時は自分の車を持っていないと生活できない街でした。
だから、高校卒業と同時に自動車教習所に行き、最後の筆記試験だけ残して栃木へ行きました。
そして5月に入って、HONDAのLifeを手に入れました。
新古車とはいえ、大学一年生の私に車を買ってくれた両親に感謝です。
他のともだちは入学してから夏までに免許&車をとる(買う)生活でした。
私は1K(11畳)という物件が気に入ってしまったので、学生は誰も住んでいない地区に住むことになりました。
ですから、車が来るまでの最初の1ヶ月はバス停まで歩いて20分位歩かなくてはなりませんでした。
参考書で重たいバッグに引きずる足。
それでも憧れの一人暮らしのためならエンヤコラでした。
自分のアパートはさながら自分のお城みたいな感じでした。
だから、高校生までは自分の部屋を散らかしていた私が、180度ギアチェンジして、自分の城を守り抜く覚悟で、洗面台の水垢もお風呂の髪の毛一本残さないできれいに暮らしました(笑)。
楽しい勉強
こんな言葉中学生、高校生の頃の私には想像つきませんでした。
勉強が楽しいなんて。
でも主に専門基礎を学ぶ1、2年生の勉強も楽しくて仕方ありませんでした。
そして、車があるにせよ図書館で借りたぶ厚い専門書を運ぶことができなかったため、私はヤフオクやAmazonで専門書を入手して私のうちはさながらプチ図書館でした。
私が車をもっていたこともあったので、週末は私のうちに親友のAやNが集まって、3人で1日勉強することもよくありました。
あの私が週末にも勉強するだなんて!!
驚きです。
でもその努力が実ったのか偶然だったのか、1年生が終わり2が始まった時に掲示板に私の名前が掲示されていました。
掲示板に名前が載る時は何かの呼び出しか、再テストなどの嫌な通知だったのでドキドキしながらみると...
なんと1年生の時の私の成績が首席だったから2年生の学費が免除になるという嬉しい通知でした!!
この出来事を境に私のそこから出会う人々が変わっていったのかもしれません...
次回は私のアルバイトや↑この事から変わったこととは?についてお話ししたいと思います。
さてさてどんな出会いがあったのか...
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