見出し画像

[私の頭の中 その4]音出しについてのあれこれ

皆さまこんにちは。記事をご覧いただきありがとうございます。フルート、フラウト・トラヴェルソ奏者の宮戸美晴です。

今日のテーマは「音出し」です。

記事の本題を始める前に、お伝えしたいことがあります。この記事は、あくまで私の頭の中の整理として書いているので、正解だと思っていることではありません。こういう考え方もあるのだな、というような感覚で読んでいただけたらと思います。しかしこうして書いているからには、読んでくださる方にとって少しでも何か発見があれば良いなと思っております!

それでは早速まいりましょう!


音出しとは何か?

音出しって、そもそもどういう意味でしょうか?楽器を演奏される方であれば、頻繁に使われる言葉だと思いますが。
一般的には、これから練習を始める、あるいは曲を演奏する前に、自分が楽器を演奏できる体にするためのウォーミングアップのようなものを指すのではないかと思います。管楽器であれば、唇、呼吸やお腹、指など、演奏するために必要な身体の使い方を呼び覚ますようなイメージです。
この言葉の意味については、特に説明をされたような記憶もなく、自然に覚えていったように思います。(覚えていないだけで、教えていただいたこともあるかもしれませんが…)

音出しは何のためにするのか?

これについては、前の項目とほぼ同じことですが、これから練習や曲を演奏するために、良い状態で演奏するという行為に臨むことができるように、自分自身の身体を整えるようなイメージがあります。つまり、自分のベストな状態で演奏できるようにするために「音出し」を行います。

具体的な音出しの内容 

これについては、奏者によって様々だと思います。
例えば、フルート奏者の場合、音階や半音階などをランダムにピロピロっと吹いたり、自分が好きな音をひたすらビブラートをかけて演奏したり、あるいはある作品の自分が好きなフレーズを吹いてみたりなど。
フルーティストにはお馴染みの、モイーズの『ソノリテについて』や、よくタファネル=ゴーベールと呼ばれる『17の日課大練習』の中から吹いたりすることもあるかもしれません。
または基礎練習などの、一通りのデイリーエクササイズ(日課練習)を音出しに含める方もいらっしゃるかもしれません。私の場合は、「音出し」と「基礎練習」は何となく分けています。

音出しにかける時間

これも人それぞれだと思います。そもそも、自分がベストだと思う状態自体、人によって異なりますよね。

人によっては数分音を出しただけで、もう大丈夫!という場合もあれば、30分くらい音を出さないといつもの自分になれない、いや、60分は必要!という人もいると思います。

普通に考えれば一通り基礎練習を終えた時点で、ベストな状態になっているように思いますが、一通り基礎練習を終えるにはかなりの体力を消耗してしまう気がします。もしもその後に本番の演奏をする、となった場合、少しの時間なら良い状態で吹けても、例えば一曲15分くらいあるという場合、体力面でベスト状態をキープできるでしょうか?
いや、本来なら、基礎練習を終えても体力が余ってるくらいまで、普段から訓練すべきでしょうか?いや、でも余力があるくらいなら、基礎練習をもっとたくさんできるのではないか…!?いやいやそんなことはない、いやいやそんなことある…!?
正直なところ、私にとっての絶対の答えは現時点でありません。

また、自分に与えられた自由に音を出すことができる時間がどのくらいあるかによっても変わってくると思います。例えばコンクールや入試では本番の前にリハーサルの時間が与えられていますが、ものすごく長い時間があるわけではないことが多いように思います。コンクールや学校によって様々ですね。

ということを踏まえると、音出しにかける時間というのは状況によって様々である、と言えるのではないかと書きながら思いました。

本番などがない普段の練習では、音出しを丁寧にしてから、基礎練習に入る、あるいは曲の練習に入る。

レッスン前や本番前は、その与えられた、そして限られた時間でできる音出し方法を考えて短い時間で音出しをする。(レッスン前に、先生が音出しの時間を与えてくださることがあります。もちろん、いきなり吹くこともあります)

音出しができない時、どうするか?

さて、今まで音出しについていろいろ書きましたが、ちょっと待ってください。音出しができない時はどうするの?と思ったこと、ありますか?

私はこのことについてよく考えます。 

最初にこのことについて考えたのは、いつだったか?忘れてしまいましたが、自分なりに真剣に考えたのは高校生の時でした。
これは私が高校1年生の時の話です。
私が通っていたのは神奈川県立弥栄高等学校というところで、この学校は当時、スポーツ科、理数科、国際科、芸術科、といった科があり、芸術科は美術専攻と音楽専攻に分かれていました。私は音楽専攻(フルート専攻)に在籍していました。
弥栄高校は部活動も盛んな高校でした。そして私は合唱部に所属していました。フルートは専攻楽器として学んでいたため、部活では何か別のことをしたいという思いもあったかもしれません。あと単純に合唱がとても好きでした。

ということで、合唱部として活動していたのですが、その当時の顧問の先生が、合唱の中に時折フルートも混ぜてくださったので、合唱の本番では、ある曲では歌い、また別の曲ではフルートを吹くと、ということが多かったのです。

さて、合唱の本番の前には、「発声練習」を行います。発声練習は楽器で言う「音出し」と同じようなものではないかと(勝手に)思っています。
その際、「発声練習」はできるのですが、「フルートの音出し」はできませんでした。とくに音出しを禁止されていた、というわけではないのですが、何となく一人だけ違うことをするのは、合唱としての和を乱してしまうのでは、ということがありました。それとは別に、「音出しを必死にしなければ吹けない」という状態が、何となく嫌だったのかもしれません。いずれにしても例えフルートのソロの本番ではないとしても、音出しをせずに本番にフルートを吹く、という行為は自分にとっては試練の一つでした。

しかし、このような本番を経験してから、音出しをしたうえで本番を迎えることが、常にできるわけではない、ということを頭の片隅において置くようになりました。

最初は、音出しをせずに吹くということはかなり戸惑いがあり、思うように吹けてない感覚を持つことが多かったです。しかし何回かこのような経験を重ねていくことで、徐々に音出しをしなくてもここまで吹ける、というプラスの考え方を持てるようになりました。
もちろん音出しをしたほうが良い音が出るとは思いましたが、それでも、どんな状況でも吹けるということを自分に課し、それを目標にするようになったのです。
そしてもう一つ、音出しをしないでも吹けるようにしようと思うようになったのは別の気づきも大きかったです。それが次の項目。

音出しをしたからといって完璧に吹けるわけではなかった

これってどういうことかと言いますと、音出しが万全に出来ているからといって本番が上手くいくわけではないということに気づいたんですね。いや、こういう書き方では誤解を生んでしまうので言い方を変えます。つまり、本番がうまく行くかどうかは本番直前の音出しが良くできているかというよりも、それまでの日々の積み重ねのほうにかかっていると思うようになりました。
例えば、本番前にしっかり音出しをしていても、いざ本番になると、これは私の場合ですが、緊張して何もわからなくなることが多いのです。この緊張の問題については、本当に人それぞれだと思うんですが、本番前に色々なことを想定して、自分を観察して、対策を練っても、本番になるとそれまでやってたことが何もわからなくなるくらい吹っ飛ぶんです。
一番大きかったのはアンブシュアがわからなくなる、ということです。

それは本番前に音出しの時間がたっぷりあってもなくてもあまり変わらないようでした。何度か本番を経験しても、常にアンブシュアの崩壊の悩みはつきまといました。
自分の精神状態や身体の使い方も毎回分析しましたが、どうにも解決策が見えない。今思うと、まだまだ分析が足りなかったし、身体の使い方も分かってなかったと思います。正直今もよくわかっているとは言えない。
でもその当時は、自分のできる精一杯の対策を練りました。それでも、何度も何度も上手く行かない、という経験をしました。

それである時、思ったわけです。
いくら音出ししてても、緊張で崩れてしまうのなら、逆に普段から「音出し無し」という究極に恐ろしいコンディションで本番通りの通し練習をしていれば、例えばですが、もし当日ほんの少しでも音出しの時間がある場合、「この状況、いつもの練習の時よりマシなのでは?」と思うのではないか?
つまり、いつもよりも良いと思える点がたった一つでもあるだけで、緊張だけにとらわれることなく、前向きな精神に持っていけるのではないか、と考えたのです。そうすればアンブシュアが崩れてしまうことの対策になるのではないかと。

客観的に見ると、かなり荒療治であるようにも思います。
しかし、効果がなかったわけではないと思います。

加えて、本番は常に万全の状態で迎えられるとは限りません。最悪のケースを想定するなら、例えば何かのアクシデントで本番前に一切音を出すことができないまま、演奏しなければならなくなる、ということも起こりうるわけです。
そうなったときに慌てふためくことがないようにするには、やはりあえて音出しをせずに本番通りの練習をする、ということも必要ではないかと思いました。

ちなみに、この練習法は自分だけで思いついたわけではなく、以前に何処かで聞いた話がヒントになっていました。
それはあるトロンボーン奏者の方が、ラヴェルの《ボレロ》の有名なトロンボーンソロを演奏することに関してのお話でした。その時聞いた解説では、そのソロはトロンボーン奏者にとって非常に高い音が出てくる恐ろしいソロパートであり、それを成功させるために、朝起きてすぐ一番にそのソロを吹かれる、というものでした。

その話が頭の片隅にあったから、このような練習法を行うに至ったと思います。

ただ、この練習は、実際コンディションが良くない状態で強行すると、良くないクセがついてしまうことにもなりかねないので、注意が必要と言えると思います。

もしかしたら、これはある程度の年数楽器を演奏して、奏法がかなり身についている、という人が行うことで効果がある練習かもしれません。

いずれにしても、良くないクセがついてしまわないために大切なのは、「自分が出している音」と「自分の身体の声」を注意深く聴く(聞く)ことだと思います。

なんてかなりえらそうに言ってますが、これは自分に言い聞かせていることです。

フルート1本を吹くというだけでもこんなに難しいはずが、一つの本番で6本のフルートを吹くことにした(実際に吹いた)という話  


これは最近の体験談です。

先日、2024年7月28日、東京の神保町のかふぇ あたらくしあで、以下のコンサートに出演いたしました。

チラシ表面
裏面

これは私が所有するルネサンスから現代までの時代の異なる6本のフルートを用いて、それぞれの楽器にふさわしい時代の作品奏する、それも無伴奏で、というものでした。

これまで全部読んでくださった方は少しヒヤヒヤする内容かもしれませんね!?

しかしこのコンサートは、これまでのような悩みをどうやって解決するのかといったものとは全く別にあった「かふぇ あたらくしあの特別な空間、そしてお客様との距離がとても近い空間で、それぞれの6本のフルートの音色と音楽をじっくりと味わっていただきたい」という想いから生まれました。

ただ、それぞれのフルートは1本を除いて個々の本番では吹いたことがあったものの、同じ演奏会で異なるフルートを吹いたことは、多くても2本まででした。そんな中でいきなり6本を同じ本番で吹くというわけですから、傍からみたら大チャレンジかもしれませんね。

ちなみに、時代の異なる2本のフルートを吹くことについてはこちらの記事があります。

しかし、聴きに来てくださるお客様は、その企画がチャレンジであるかということよりも、時代ごとの音楽を楽しみにしてくださっている方が多いのではないかとと思っていましたし、私自身も実際、挑戦することに重きを置くのではなく、私自身が感じているそれぞれの時代の楽器、作品、そして作曲家の魅力を表現したいという想いがありました。
もちろん、単に想いがあれば良いというものではなく、実際それを演奏するにはどのような練習をしなければならないのか、という非常に現実的な問題が当然ありました。

そのプロセスについてはここでは細かく書かずに、本日のテーマである「音出し」の話に戻りたいと思います。

いくら6本のフルートを吹くことが大変だからといって、演奏会でその都度音出しの時間を取っているというわけにはいかない(と思います)。
いや、例えばその音出しが、美しいメロディーなどで構成されて、尚且つ長過ぎることがなければ、そしてそれが「音出し」が目的であるように思わせないくらい音楽的であれば、むしろそれはとても素晴らしいと思います。
実際、例えばバロック時代には、ある作品が演奏される前に、即興的に奏される「プレリュード」というものがありました。プレリュードは、日本語では「前奏曲」と訳されますが、この「プレリュード」という語は時代によって、あるいは作品によって意味が異なります。
ここで説明している「即興的なプレリュード」※は、当時の文献によれば、奏者がこれから演奏する楽器に慣れるため、あるいは聴衆と奏者自身がこれから奏される楽曲の調性に耳を慣らすために、奏者のファンタジーに基づいて即興的に演奏されていたようです。これはもともとその場で調弦の必要な楽器、例えばリュートのような楽器が調弦を行う際に音を出していたことに由来しているとのこと。

※実は、私が YouTube に動画をアップしている J. M. オトテールのプレリュードは、まさにその即興的なプレリュードを取り扱った重要な音楽書である『プレリュードの技法』に収められたプレリュードです!

ということで話が少し逸れましたが、このような要素を持ったプレリュードを演奏できるだけの能力があるならば、それぞれの楽器の前にプレリュードを演奏することは選択肢として考えられると思います。それが仮に音出しを兼ねていたとしても、音楽的であれば、そして聴いている方の耳に快いものであれば良いのではないでしょうか!
また、今回の6本のフルートは、それぞれ異なるピッチを持っているので、その異なるピッチにびっくりしないためにも、プレリュードはとても効果的な演出とも言えると思います。
さらに、アンサンブルのコンサートなどではチューニングが行われることは珍しくないので、数音の音を出すのはとくに問題はないかなとも思います。

しかし、今回はそれらの選択肢を選びませんでした。
その一つの理由として、曲間に私が解説と楽器の掃除を兼ねてお話しする時間を取らせていただいていたので(いわゆるMCみたいな感じです)、調性やピッチの違いの違和感はさほど生まれないのではないかと考えていた、というのがあります。

(楽器の掃除についてはこちらの記事をご覧ください!)

加えて今回のコンサートは無伴奏だったので、他の楽器と音程を合わせる、いわゆるチューニングはそこまで厳密には問われないと思ったので、プレリュードを演奏すべきである、とは考えませんでした。

残り一つの問題は、私がそれぞれの楽器に即座に対応できるか?です。それさえクリアできるなら、今回のケースではプレリュードなしでも違和感を与えてしまうことはないだろうと思いました。
ということで、その問題を解決するために今回集中的に行ったのが、一つ前の項目でお話しした「音出しをせずに全てのプログラムを通す」という練習でした。この練習を時間が許す限り、とにかく毎日行いました。もちろん、これはある程度曲が吹けている状態になってからのことです。

1本のフルートですら、音出しをしない状態で全てのプログラムを演奏する時の精神は極限状態です。
それを6本のフルートでも同じように訓練するわけですから、もはや極限状態を超えているようなものです。このような過酷な練習は、たとえその練習がはじめのうちに上手くいかなかったとしても、繰り返していくというだけでも、自分はこの厳しい練習を乗り越えたのだという、自分の中での「小さな自信」の積み重ねになりました。

このコンサートを企画する前までは、一度の本番で3本以上のフルートを吹くなんて恐ろしいこと…!と思っていましたが、この練習をひたすら繰り返したことによって、少しずつその恐怖が薄らいで、現実的に思えるようになってきました。そしてその訓練は楽器ごとの身体の使い方を無意識に染み込ませることにも繋がりました。
加えて、その練習を毎日振り返ることにより、自分の音と身体の声を注意深く聴いて(聞いて)分析する、という方向へ自分の考え方が変わっていったように感じました。

ここまで書いてきて思ったのは、音出しはとても大事だけど、それ以上に「演奏するときの精神状態」が自分の演奏のコンディションに関わっているのではないかということでした。そして、その「演奏するときの精神状態」にはそれまでの準備が大きく影響する、という考えに至りました(2024/08/14時点)。

まとめ

ということで、今回は「音出し」にまつわる個人的な体験談や考えをいろいろと書きました。 

 ・「音出し」は自分の状態をベストにするためのウォーミングアップ
・「音出し」は状況に合わせて内容を変える
・本番前に常に「音出し」ができるわけではないので、「音出しができない」という、最悪のケースも想定して普段から練習を行う、ただし音出しをした上での練習が不必要ということではない
・最悪のケースを想定した練習は、それを乗り越えることで「小さな自信」に繋がる
・「音出し」をすることはコンディションを整えるために重要だが、それ以上にそれまでの積み重ねが本番の精神状態に影響する

書いたことで、多少自分の頭の中も整理されたかなと思います。
そして、読んでくださった方に、何か少しでも発見があった!と思っていただければ嬉しいです。
(もし発見があったという方がいらっしゃいましたら、ハートをタップしていただけるととても励みになります!note のアカウントをお持ちでない方にハートをタップしていただきますと、タップしてくださった方の名前などは表示されずに、ハートの数が増えます😆!)

最後までご覧いただきありがとうございました!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?