世界から与えられているものに気付くこと
note9日め!
今日は何を書こうか、画面を開いてから考えている。
そうだ、ちょっぴり世界観が変わった視点について。
人は、ともすれば退屈や不満を見つけやすいもの。
スカウターでも備わっているかのように、
思考をほったらかしに野放しにしておくと
次々に連鎖してあれが嫌だ、これをこうしてほしい と始まり出す。
まるで連想ゲームのように、次から次へと。
そんな”イライラ見つけ隊”が発動しているのを感じたときの切り替え方。
それは「今 世界から与えられているものに気付く」ということ。
負の連想ゲームから抜け出して、
自分に差し出されているものを見、拾ってゆくほうへ。
うーーーん。
罪悪感:極刑レベルに 色々やらかしてきてしまった711に対して(何してきたんだよ)
この世は、それでも、それでも、それでも!!!!!、
温かいご飯や
優しい家族、友人、眠る場所を
与えてくれている。。
自由に歩ける足、視力、健康まで与えてくれている。
美しい花や可愛い動物まで見せてくれている。
キラキラした晴れの日の心地よい空気まで与えてくれている。
な、なんて懐が広ぇんだ、神さまよォ、、、、!!!!!!!!となります。
世界に広大な優しさを感じます。
ちょっといくらなんでも広すぎやしませんか、懐が!!!となります。
太陽光を虫眼鏡で集めるが如し視野を狭め
つまらないことに ブスブスしていた
自分はなんだったのでしょう。
寛大に与えられっぱなしで
文句言ってる場合じゃねぇな。
って、まず一瞬でも!
視界が変わることが重要です。
電気、ガス、水道のライフラインが無事供給されているありがたさ。
家で眠れるありがたさ。
健康のありがたさ。
今日もたくさん受け取っていたな。
寛大な世界にありがとうして眠ろう。
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