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憧れの人達「椎名林檎」④ 椎名林檎の思い出

 これまでは椎名林檎と東京事変を布教する記事を書いたが、ここからは私の椎名林檎に関する思い出や思い入れについて書く。

「椎名林檎については思い入れがあり過ぎて、自分の中で書くことに勝手にハードルが上がってしまった」と言ったが、そのハードルを越えて熱量を表現できるよう勤しんで書いた。
 私が「憧れの人達」に真っ先に名前を挙げるまでのいきさつと熱意が伝われば嬉しい。


<はまったきっかけ>

 椎名林檎との出会いは2009年の中学卒業間際だった。高校受験が終わり、さて中学卒業、高校入学に向けて何をしようかと浮かれていた2月。
 私は、自分のカラオケのレパートリーが100%アニソンであることを始めて問題視した。進学するのはあの都立リア充高校の駒場高校だ。アニソンは大好きだったが、「ちょっとイケてるJ-POPの一つや二つは歌えないとリア充達の輪に入れないのではないか」と危機感を覚え、リア充カラオケ用のレパートリーを増やそうと決意した。ちなみにこれを書いている今、「リア充カラオケって何?」と思っているので、おそらく当時の私が夢見たリア充達の輪にはカラオケとか関係なく入れなかったことになる。

 当時の私の「J-POP枠」にはポルノグラフィティと椎名林檎がリストアップされていた。
 ポルノグラフィティに関しては、オタク友達の一人が「サウダージ」を歌っていたのと、「今宵、月が見えずとも」がアニメ銀魂放送中のCMと給食中の校内放送でやたら流れていたため興味を持ったのがきっかけだ。
 椎名林檎がリストアップされた理由も二つある。一つはネット上のオタク友達のブログによく椎名林檎の名前が挙がっていたこと。もう一つはファンが勝手に作ったアニメ「さよなら絶望先生」のイメージ映像、通称MADに椎名林檎の平成風俗収録版「ギャンブル」が使用されていたことだ。

 とりあえず女性アーティストから入るか、と思い、深く考えずに椎名林檎を選んだ。渋谷のツタヤでソロ名義「勝訴ストリップ」、東京事変名義「教育」の2枚のアルバムをレンタルし、CDプレーヤーで再生した。

 その時が記念すべき沼落ちの瞬間だった。

 元々バンドサウンドというのか、疾走感のあるアニソンが好きだったのだがこの2枚のアルバムは特に各楽器の激しい鳴り方が好みだった。
 そしてなんと言っても歌詞だ。当時私はストレートな歌詞が苦手で、特に「好き」「愛してる」を連発するラブソングを聞くと、「もう何千人も同じこと言ってんだから今更そんな曲出すなよ」と悪態をつく、何ともひねくれた中学生だった。そのひねくれ中学生の心に、椎名林檎の意味深な歌詞は刺さりに刺さった。ほぼ理解できていなかったがとにかく刺さった。(とはいえ「ギブス」も「ここでキスして。」も好きになった)

 すぐさまMVやライブ映像を漁り、ビジュアル面でも彼女の虜になった。ナース服にゴツいシルバーアクセサリーを合わせたり、エレガントなドレスや上品な着物でエレキギターをかき鳴らすという「女性らしさ」と「強さ」を兼ね備えたギャップ萌えな佇まいにはフェチを刺激されまくった。
「戦う美しいヒロイン」が好きだった私は、アニメキャラにはまるように椎名林檎の媚びない凛とした佇まいに惚れた。彼女は私の初めての「憧れの人」になった。

 iPodに入れて、「勝訴ストリップ」と「教育」を何度も何度も聴いた。1か月後くらいにiPodに「平成風俗」を追加した。絶望先生MADで聞いて耳に残っていた「ギャンブル」が目当てだ。
 そこからはソロ名義、事変名義のアルバムを1枚ツタヤで借りて1か月ほどかけてしゃぶり尽くし、また1枚借りる、ということを繰り返して最新作に追いついた。追いついてからのCDは新品を買うようになった。

<英語歌詞>

「平成風俗」を聞いて、椎名林檎の歌詞には英語が多いことに私は気づいた。
 英語は得意な方だったが、所詮受験英語を詰め込んだ中3だ。平成風俗の収録曲13曲中7曲が英語詞だったのだが、多くは当時の私の英語力ではさっぱり理解できなかった。歌詞カードをコピーし、分からない英単語を電子辞書で調べてメモしたが、それでも分からなかった。

 というか、日本語訳が発表されているものほど分からなかった。

 どういうことかと言うと、

Up there a heaven now, but it knows no name
の天なら限りない

and the stain is the color of red through red
れも赤色に匂つてゐます

And thus,
くて

You cannot cry, confuse the lies, try to remember
いては惑つてはりませぬ

「茎」

 東京事変の「復讐」はもっとすごい。

Beautiful thing, you lock your sights, your hands are trembling
お前はかく美しく見えるものが好きだろう

Savoring the taste of flesh and bone
一番気にしているのは舌触り

Another one found, the rain it pounds, and something looks the same
見付かっている被害者には共通の特徴がある

Innocence, you crave it black and cold
それはお前の好む若さと擦れていない新しい肌

Take it down now, throw it down, all you men wear that crown
私にはわかっている「お前が男だ」ということ

「復讐」

 日本語訳というより、「日本語歌詞」「日本語版」と言った方が良いだろう。教科書に載っているような直訳でこの日本語になるわけではない。
 私は電子辞書を叩き、「この it 何!?」「誰が誰に言ってるの!?」と半ギレになりながら英語を頭の中でこねくり回した。どう読解すればこの日本語の意味で解釈できるのかと食らいついた。

 これが中高生の英語学習として適切だったのかは分からない。
 それでも、この自由奔放な英語と日本語の対比と比べたら、教科書のどんな英文も私には素直に見えた。この「英語と日本語の表現の限界や繋がりを味わう」という行為は、当時は気づいていなかったが私が翻訳を趣味とする最初のきっかけになっていた。

 さて、カラオケの話に戻るが、当初の望み通り私のレパートリーは椎名林檎と東京事変の二色に塗り替えられることとなった。
 英語詞の曲も練習して歌うようになり、高2で新たにはまるLady Gagaの洋楽と併せて発音とリスニングの練習を兼ねるようになった。

<歌詞に影響を受け過ぎる>

 中学を卒業した私は、とても残念なことに中二病を卒業していなかった。

 高1の化学実験で「沸騰」という現象を厳密に理解するため、透明なフラスコに水を入れて下から熱し、水が沸騰するまでの様子を観察してノートに書くようにと言われた。
 フラスコの底から泡が生まれては上って消えていく様を、私はノートに何の恥ずかしげもなく「諸行無常」と書いて得意になっていた。「林檎嬢っぽい」と思っていたのだろう。薄い塩酸の飛び散ったノートで頭を引っぱたいてやりたい。

 ちょっと本当にこれ以上は勘弁して欲しい。

<恋愛と椎名林檎楽曲>

 椎名林檎にはまったのと同時期に、私には人生初めての彼氏ができた。
 彼と電話ができない夜は「ギブス」「花魁」といった切実なラブソングを聞いてセンチメンタルな気分に酔うという、ここに書くにはこそばゆい恋愛に浮かれまくっていたのだが、この関係はほんの数か月後に振られて終了となる。
 これは結婚した現在から振り返っても人生で最も大きな失恋だった。そして椎名林檎の歌声は私が恋に破れても、むしろビリビリに破れた私にさらにべっとりと寄り添ってくれた。「ギャンブル」の悲痛にしゃくりあげる絶唱を「私の代わりに泣き叫んでくれている」と勝手に解釈し、それを聴きながらひたすら元彼への未練を募らせていた。
 ちなみにその元彼が好きでたまに聞かせてくれたのがポルノグラフィティだったため、別れてから1年ほどポルノグラフィティにアレルギーを起こして全く聞けなくなった。(今はよく聞く)

 それから時が経ってまたいくつかの恋愛をした。恋の始まりには「カプチーノ」、精一杯のオシャレをしてデートへ向かう道中には「女の子は誰でも」、デートの帰り道は「メトロ」、「ありきたりな女」に出てくるような一生物の愛だと信じ込んで、違ったから「やっつけ仕事」でこんな関係どうにでもなれとか思って、別れた感傷には「すべりだい」に寄り添ってもらって、また次の恋をした。

 夫はプロポーズ時、「旬」のオルゴール付きでプロポーズのメッセージが彫られた指輪ケースをプレゼントしてくれた。椎名林檎の楽曲の中で一番私らしいと思い、「旬」を選んでくれたそうだ。


 中3から現在までの15年間、椎名林檎の音楽は様々な場面で私の人生を彩ってくれた。移動中、テストや受験勉強の合間、眠れない時、何か激しい感情を発散したい時、再生ボタンを押せば、彼女はいつでもただそばで歌ってくれた。

 自分の思い出が染みついた楽曲というのが数多くある。たとえば「今夜はから騒ぎ」を聞けば受験期の冷たい帰り道を思い出すし、「ギブス」で思い出すのは人生最初の元彼だし、「能動的三分間」はテスト勉強を始めるための洗練されたタイマーだった。
 他のファンも同様にあると思うが、私には「他の人と同じ聞こえ方がしない楽曲達」がある。その楽曲と思い出たちを振り返ると、ありきたりかもしれないが自分だけの人生を歩んできたのだという感慨を覚える。

 例の幼馴染、従姉妹、夫を連れてライブへも行った。東京事変と合わせると鑑賞したライブは6ツアー。家にはサムネの6種類の手旗が保管されている。
 生で見て聴く椎名林檎の圧倒的存在感には毎度毎度頭を殴られるような衝撃を受けており、贅を尽くした楽器隊、映像、ダンサーなどの演出によりどんな現実も忘れて夢のような世界に没入した。
 今年秋のライブには従姉妹と参戦予定で、山形から埼玉まではるばるやってくる彼女と思う存分カラオケで林檎・事変楽曲を歌いまくるという激アツイベント付きで今から待ちきれないでいる。

 これからの私の人生も、椎名林檎の歌声や、彼女が手掛けた楽曲と共にあるだろう。
 彼女の新たな作品が今後の私に多大な影響を及ぼしてくれることを、引き続き楽しみにしている。

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