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オーケストラ部⑨ 最後の定期演奏会

 ついに最後の演奏となる、3年4月末の定期演奏会である。

 舞台袖に整列し、観客が入っている気配を感じながら、私は「みんな頑張ろうね」とここぞとばかりにリーダー風を吹かせていた。そして、全ての楽譜を楽屋に忘れていることに気づいた。

 一瞬で背筋が寒くなり、落ち着き払ってリーダーぶっていた自分の間抜けぶりを呪った。
 会場は1,200人キャパの大きさで、舞台袖と楽屋までは相当な距離がある。

「楽譜忘れた……」「え!?どうしよう、私の見る?」と話しているうちに待機列が動き始めた。

 私は楽屋まで猛ダッシュした。
 楽譜を掴んでまた猛ダッシュで舞台袖に戻り、何食わぬ顔で遅れて入場した。幸い、まだ入場中の奏者がいたので演奏を待たせることは無かった。

 緊張ゆえのうっかりではない。私は基本的にどの本番も、「いっぱい練習したしみんないるし大丈夫でしょ」と思ってあまり緊張してこなかった。頼むから、一番大事な本番くらいは緊張感を持って欲しい。気づくのがギリギリ間に合うタイミングで本当に良かったと思う。今書いていても、当時の血の気が引く感覚は鮮明に思い出せる。

 そんなこんなで息を整えながら座席に着き、間もなく指揮者が入場して大きな拍手が起こった。
 Aは観客席に深く一礼し、指揮台の上に立った。Aはゆっくりと私達全員を見回し、「大丈夫だよ。楽しもうね」と語り掛けるような、包み込むような笑顔を見せた。その包容力はF先輩を彷彿とさせ、「指揮者には代々この笑顔が自然と受け継がれるようになっているのか」と私は悟った。再度言うが、ここで私がホルンに空席を作り、Aの包み込むような笑顔を破壊するようなことがなくて本当に良かった。

 演奏は集中して悔いなく出来た。この時のことを思い返すと、“練習は本番のように、本番は練習のように”という言葉をまさに体現していたな、と思う。
 苦手な高音も、自分一人の音が目立つ緊張する箇所も、一発で狙った音が出せるように日々練習してきた。観客のいない合奏練習でも、毎回本番のつもりでベストを尽くしてきた。その状況と、この大きなステージの上は、誰も何も変わらない。いつもの合奏と同じように時は進み、楽曲が進行した。

 私はとても自然な気持ちで、最後の一音を奏でた。

 演奏会が終わると、各自ロビーに散らばってお客さんに挨拶をする時間となる。OB・OG、家族や同級生などに聴きに来てくれた感謝を伝える場である。
 この時間、彼氏持ちの部員は聴きに来てくれた彼氏から花束を渡される。そんなリア充1000%の光景を、私は「いいな……」と悲しげに眺めていた。ちなみに彼氏持ちはバイオリンに多く、相手はサッカー部が多かった(潮永調べ)。

 その翌日が部活動としては最終日だ。撮れたてほやほやの定期演奏会の映像を全員で見た後、各パートリーダーが全員の前で引退のメッセージを述べ、みんな号泣する日だ。

 私は「とても寂しい」とは思っていたが、泣きはしなかった。2年間日常だった部活を引退することに対しては、「始まったものはいつかは終わるんだなぁ」とぼやっと思った。

 そして翌日から、部活に行くことは無くなった。
 2年間、何とも思わないくらい自然に繰り返していた朝練も昼錬も放課後錬も土日錬も、ごっそり全部無くなった。

 その時間が全て“受験勉強”に置き換わった生活は本当に辛く暗く孤独で、部活最終日以上の寂しさを私は日々感じるようになった。
 同じ目標を目指す仲間に囲まれ、特に苦労とも思わず日々当たり前のように練習に励み、金管ズと一緒に帰る賑やかな生活を恋しいと思った。


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