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noteを始めようと決めた日

 ホンカツという読書会によく参加していた。本のことだけを語る会ではなく、正確には、「本をきっかけとして自分語りを順番にする会」だ。

 2022年のゴールデンウイーク前半に参加したホンカツで、私はnoteを始めることを決めた。

 その時の言葉が綴られたメモを発掘したので、そのきっかけとなった星野源のエッセイ「よみがえる変態(文庫版)」「働く男」の引用と共にここに抜粋してみる。


<星野源「よみがえる変態」>

文庫化に際してのあとがき
※単行本が出てから5年後に文庫化し、その5年前に出版された自分のエッセイを振り返ってのあとがき。

今回、この頃の自分が文字通り死ぬほど頑張ってくれたから今の自分が居るのだということも、改めて強く意識することになりました。彼が必死にもがきながら前に進んでバトンを渡してくれたから、今がある。

 自分の昔の文章を読んで、自分もよくそう思う。
 恥ずかしかったり未熟だったりする部分はあっても、「これが当時の全力なんだな」(書くのも生きるのも)と毎回思う。当時はこんなに考え抜いて、苦しんで生きていたことをなかなか他人に理解されなかったけれど、とりあえず未来を含めた自分だけでもそれを受け止め愛してくれると信じて、自分が確認できるように書きとめた文章がたくさんある。ホンカツのメモも大事にとってある。

 本当は、人に見せる文章を書いてみたいとも思っている。

<星野源「働く男」>

書く男

きっかけはただの憧れです。文章がうまい人に憧れていました。

ペン一本で、壮大な物語を創り出したり、ペン一本で、腹がよじれるくらい爆笑できるエッセイを書いたり、そういう人にずっと憧れていました。

だったらやるしかないと。

「星野くんに文章の才能はないと思うよ」
といろんな人に言われましたが、そんなの関係ねえと奮い立ち、誰にも見せないエッセイや、小説を書きまくりました。

でも、そうやって書いていても、それを読んでみても、一ミリも面白くない。
そりゃそうです。才能がないんだもん。

と、いうわけで、ただ自分でやっていても技術は向上しないぞとわかった。

知り合いのライターさんを通じて、編集者さんを紹介してもらい、頼み込んで、文章の仕事をもらうようになりました。
事務所には「直接こんな仕事が来たんですけど……」と言いましたが、本当は一人で営業をしていました(笑)。

雑誌の隅の小さいスペースで、200文字のコラムの仕事をもらいました。
その後、400字の連載をもらえるようになり、その6年後、2000字のエッセイ連載が始まりました。

それがまとまり『そして生活はつづく』という本になりました。
だんだんと、書くことを楽しめるようになってきました。
ずっと憧れていたことが、仕事としてやれるようになりました。

才能があるからやるのではなく、才能がないからやる、という選択肢があってもいいじゃないか。
そう思います。

いつか、才能のないものが、面白いものを創り出せたら、

そうなったら、才能のない、俺の勝ちだ。

 すごくこの言葉に背中を押されている。そろそろやらなきゃいけないかもしれない。

<星野源「よみがえる変態」>

※2012年にくも膜下出血のため活動を休止し、翌年に再発した。

もちろん、再発の宣告を受けてからひと月半後の手術、その後続くリハビリ期間は本当に辛かった。しかし辛い日々のことはもう一度目の手術の際に書いているし、悲しいことばかり書くのは飽きてしまった。

 自分の人生について、悲しく話すことも楽しく話すこともできる。一人で考えている時は悲しみのドツボにはまって抜け出せなくなり涙を流すこともある。でも、飽きる。しばらく涙を流すと悲しい気持ちに飽きてくる。そして楽しいことを求めはじめる。

 人に話す時、多分、人に見せる目的で書く時は楽しい方をベースに書くと思う。そうやって楽しい気持ちで自分の人生を振り返り続けていると、自分はなんて楽しい人生を送ってきたんだろうと思える。もし自分が幸せになりたいなら、「自分は幸せだ」と認識したいなら、私は多分、他人に向かって「私は幸せです」と言い続けたらいいのだろうか。

 でも、悲しみを抱える自分を否定したくない。一人で悲しくてどうしようもない時に書きとめたものも、消さずにとってある。未来の自分だけでもその悲しみに寄り添ってあげなきゃと思っている。

<星野源「よみがえる変態」>

手術を控え気持ちは憂鬱だが、ものを作る、という視点で己を見ると、とても面白い。辛い病気を面白がり、前向きなものに転化するということは、その病気になった本人でないとできない。周りがやれば不謹慎になってしまうからだ。幸福なことに、自分はそれをできる環境にあり、リアルタイムでアウトプットする場がある。

 不幸ぶっていると思われるのが嫌だったが、楽しく振り返って人に読ませるために書いたら案外何が題材でもいいのかも?


「案外何が題材でもいいのかも?」と当時は背中を押されていたけれど、何でも書くほど自分をさらけ出せてないし、このブレーキは恐らく簡単には外れない。

 それでも、noteを始められて良かったと今でも思う。

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