ホンカツという読書会によく参加していた。本のことだけを語る会ではなく、正確には、「本をきっかけとして自分語りを順番にする会」だ。
2022年のゴールデンウイーク前半に参加したホンカツで、私はnoteを始めることを決めた。
その時の言葉が綴られたメモを発掘したので、そのきっかけとなった星野源のエッセイ「よみがえる変態(文庫版)」「働く男」の引用と共にここに抜粋してみる。
自分の昔の文章を読んで、自分もよくそう思う。
恥ずかしかったり未熟だったりする部分はあっても、「これが当時の全力なんだな」(書くのも生きるのも)と毎回思う。当時はこんなに考え抜いて、苦しんで生きていたことをなかなか他人に理解されなかったけれど、とりあえず未来を含めた自分だけでもそれを受け止め愛してくれると信じて、自分が確認できるように書きとめた文章がたくさんある。ホンカツのメモも大事にとってある。
本当は、人に見せる文章を書いてみたいとも思っている。
すごくこの言葉に背中を押されている。そろそろやらなきゃいけないかもしれない。
自分の人生について、悲しく話すことも楽しく話すこともできる。一人で考えている時は悲しみのドツボにはまって抜け出せなくなり涙を流すこともある。でも、飽きる。しばらく涙を流すと悲しい気持ちに飽きてくる。そして楽しいことを求めはじめる。
人に話す時、多分、人に見せる目的で書く時は楽しい方をベースに書くと思う。そうやって楽しい気持ちで自分の人生を振り返り続けていると、自分はなんて楽しい人生を送ってきたんだろうと思える。もし自分が幸せになりたいなら、「自分は幸せだ」と認識したいなら、私は多分、他人に向かって「私は幸せです」と言い続けたらいいのだろうか。
でも、悲しみを抱える自分を否定したくない。一人で悲しくてどうしようもない時に書きとめたものも、消さずにとってある。未来の自分だけでもその悲しみに寄り添ってあげなきゃと思っている。
不幸ぶっていると思われるのが嫌だったが、楽しく振り返って人に読ませるために書いたら案外何が題材でもいいのかも?
「案外何が題材でもいいのかも?」と当時は背中を押されていたけれど、何でも書くほど自分をさらけ出せてないし、このブレーキは恐らく簡単には外れない。
それでも、noteを始められて良かったと今でも思う。