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理解者

Netflixで0.5の男を見ていて、学生時代のことを思い出しました。
40歳でゲーマー、実家暮らしをしている主人公の松田龍平さんに文句を言わず温かく見守る母、風吹ジュンさん。
社会はいつだってはみ出しものへの目は厳しいです。
皆と同じじゃないと、ちゃんとしていないとすぐに冷たい視線が送られます。

いつからだったか私は自分のことを理解してもらうことを諦めたと思い込んでいました。

言葉にするのは難しいのですが、昔から否定されたり怒られたりすることがとても怖くてなるべく避けて自分のことはあまり話さずに生きてきました。
そのため大人しい、不思議な人と思われていることが多かったのです。
自分でも意見が言えないだめな人間だと思って生きてきました。

でも姉の前では思ったことを話せるのです。姉は昔から何でも否定せずに私の話を聞いてくれました。

理解されなくてもいいなんてづっと言ってきましたが嘘でした。
本当は誰よりも理解されたい。自分のことを知って欲しい。分かって欲しい。

だからこうして文章を書くし絵を描くのです。
表現したい!といううずうずとした欲がづっと眠っていて大人になって爆発したんだと思います。

理解してもらえないたびに悲しみと自分はだめなんだというレッテルが積み重なっていく…
そうして自分の個性を失っていく…

でも音楽や映画を見ているとちらっと顔を出してくる理解されたい、自分らしくありたいという気持ち…
これからもきっとこんな気持ちを行ったり来たりして生きてゆくのだと思います。

何歳になっても自分を大事に生きていくって簡単じゃないですね。
こんな気持ちがあることを忘れたくなくて残しておきます。

ご拝読ありがとうございました。
良い1日を。

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