哲学対話「流される」の開催レポート
毎月第4土曜日の定例のオンライン哲学対話に加えて、進行役をお迎えして平日にも開催しています。6月8日(木)に開催した際の様子を進行役のもとさんがレポートしてくれました。
哲学対話の概要
哲学対話とは「普段はあらためて考えない疑問」、「すぐには答えが見つからなそうな疑問」について、みんなで語りあって思考を深めていく場です。51回目となる今回のテーマは「流される」でした。
◉チェックイン
音声確認の意味も含め、①ニックネーム、②今の気分、を一人ずつ話していただくところからスタート。寝違えてしまったという方や、鼻炎に悩まされている方、 ジメジメした季節で憂鬱という方もいらっしゃいましたが、憂鬱な気分を吹き飛ばすような充実した面白い対話ができれば、という気持ちで臨みました。
◉ 前半(フリートーク)
前半の30分ほどは、「流される」というテーマに関して思うことを自由に話していただく時間です。実例・具体例を提供してくださった方、「流される」という言葉の使用に関する視点・論点を挙げてくださった方がいました。実際に発言された順とは必ずしも一致しませんが、まずは実例を紹介しましょう。
<実例・具体例>
流されているな、と感じた実際の経験を共有していただきました。
人からのおすすめで、新しいテレビ番組を見たり音楽を聞いたりする機会はよくある。
興味のなかったドラマだが、ネットであまりに評判が良かったので、騙されたと思って見始めたら泣いてしまった。 その涙は本当に自分の感動なのか、事前にインプットされた口コミ情報に流されて感動しているような気分に浸っていたのか分からない。
妻の観ていた韓国ドラマがきっかけとなり、韓国の歴史に興味を持って本を読んでいる。 最近では台湾関連のニュースが騒がしく、台湾の歴史にも興味を持ち始めた。
コンビニで半額になっている商品を2個買うことがある。 もとは単に安いからという利己的な理由だったが、今ではお店の存続のため、食品廃棄にならないためという利他的な視点が出てきている。
スーパーに菓子を買いに行ったら、菓子の詰め放題セールをやっていた。 やらないと損という気持ちになり、買うつもりのなかったお菓子を必要以上に詰めて買ってしまった。好きでもないお菓子を食べることになったが、その時は、どれだけ菓子を詰められるかというチャレンジを楽しんでいた。
人が介在することばかりではなく、自然現象に流されることも多い。たとえば天気が曇りだと気分が塞ぎがちになったりする。
< 視点・論点>
以下の視点・論点が提示されました。
◎「流される」はネガティブな印象?
人からアドバイスを貰って自分の選択が「影響される」ということは生活の中で多いはず。 「影響される」の他に、「導かれる」という言葉もある。だが「流される」という言葉を使うと、一気にネガティブな感覚を持ってしまう。なぜネガティブな印象になるのかが不思議。
流れるプールというのがあるが、流されるプールとは言わない。 「流されるプール」というネーミングはネガティブな印象を与え、気持ちよさを提供できないから、流れるプールと言ったのだろうか?
話を聞いているうちに、プラスの「流される」もあるように思えてきた。流されるという選択をした結果、後にその良し悪しを判断する基準があれば、それは良い「流される」になるのかもしれない。良いことだったと判断するなら流されたままにし、良くなかったと思えば、選択した時点に立ち戻るということができるかも知れない。
◎「影響される」と「流される」の違いは?
流されるの前に付く言葉としては、“人の意見に” 流される、”状況に” 流されるという言葉が思い浮かぶ。 これらは「影響される」と言うこともありそう。「影響される」ことと、「流される」ことは何が違うのか?
自分の意見の有無が「影響される」と「流される」の違いではないか?何も自分の意見がなく、ただ人の意見に従う場合に「流される」と言い、もともと自分の意思があって、人の意見を自分なりに解釈して意見を変える場合は「影響される」と言うのでは?
「影響される」場合も「流される」場合も、自分の意見はあるのではないか?もともとの自分の意見はあるのだけれども、それとは違う方向に行ってしまう場合に「流される」と言い、 人の意見を受け入れて自分の意見そのものが変化する場合には「影響される」と言うのでは?
実例としてあがった経験談の中には、この論点からすると「流される」に該当しないのではないかと思われるものもあり、それについて問いかけがありました。回答とあわせて、やり取りをご紹介します。
Q. 韓国ドラマがきっかけで韓国や台湾の歴史を調べているという経験談は、自分の意思に沿って学んでいるのではないか? どういうところを「流された」と感じているのか?
A. 歴史そのものには以前から関心があったものの、韓国の歴史について全く知らなかった。 韓国ドラマがきっかけとなり、自分でも予想していなかった方向に興味・関心の対象が広がった。 「影響される」とは違うと思う。 これは、プラスの面での「流される」だという気がする。
Q. 半額商品をコンビニで買うにあたり、廃棄にならないようにという利他的な動機があるなら、それは自分の意志によるものではないか? 何に「流された」と感じているのか?
A. 動機が利己的だろうが利他的だろうが、半額だから2個買うという行動だけをとると、流されているように見えるのでは。 ただ、なんで?というプロセスの部分では、自分で意見を作り上げている。ただ流されているのではなく、自分が好きだからそうしているのだ、と思いたい気持ちがある。利己的な行動なら完全に流されているが、利他的な動機があるので50%流されるに薄くなっている。
◎自分から「流される」場合もある?
「流される」は受動態だが、何に流されているのかが明確ではない。「流れている」だけなのでは?
「流れに乗る」というと、「流される」とは印象が違う。
「流されてみよう」と思うことも多い。 仕事がうまくいかないときや人間関係がもつれている時は、ペンディングにしておき、ある程度の時間寝かせてから、流れを見て決定する。 主体的に流されている。 自分から影響を取りに行くようなイメージ。「導かれる」のを待っている。
◉問い決め
前半のやり取りを踏まえて、後半に深めていく問いを出し合いました。
以下の問いが出されました。
流されてばかりでも幸せになれるか
「流される」が「流れに乗る」に変わることはあるのか。あるとしたら、なにが起きた時?
よい「流される」とは?
主体的に流れに身をまかせている時は、本当に流されているのだろうか?
流されている時は行動が先なのか?心の中の事(思考、感情、意志)が先なのか?
流されることは良いことか、悪いことか…。
「流される」と「流れる」の違い
自分が行きたくない方向に流されているときに、どうやったらその流れを変えられるのか
影響されると流されるの違いは何か (マイナスとプラス)
流されることは必ずしも否定されることでもないのか。その原因を追及することが新たな発見が生まれると思う。
話し合いの末、いくつかの問いを合体し、最終的に、以下7つの問いについて投票をしました。
流されてばかりでも幸せになれるか
よい「流される」とは?
主体的に流れに身をまかせている時は、本当に流されているのだろうか?
流されている時は行動が先なのか?心の中の事(思考、感情、意志)が先なのか?
流されることは良いことか、悪いことか…。
自分が行きたくない方向に流されているときに、どうやったらその流れを変えられるのか
流されることは必ずしも否定されることでもないのか。
投票の結果、僅差で選ばれたのは、3. の「主体的に流れに身をまかせている時は、本当に流されているのだろうか?」という問い。
ここで10分間の休憩をはさみました。
◉後半(対話)
後半は、選ばれた問いの背景を聞くところからスタートしました。
問い:「主体的に流れに身をまかせている時は、本当に流されているのだろうか?」
Q. 身をまかせているという文からは「流れに抗わないでいよう」という印象を受ける。だとすれば、それは「流されている」のだろうと思う。 この問いが出てきた背景は?
A. 人間関係がこじれた時や会議が煮詰まった時に、ペンディングにする・寝かせておくということがあるが、それは主体的に選んでやっているつもりだ。流されるということの定義が「意図していない方向に行くこと」だとするなら、それとは違う気もするが、どうなのだろうか?
流れに身をまかせたことの実体験として、「ペンディングにする」という言葉が出てきました。 しかし、ペンディングにすることと、流れに身をまかせることを同一視して良いものなのか? この点を巡って意見が交わされました。
◎ペンディングにすると「流れに身をまかせる」は近い
両者はイコールではないが、流れに身をまかせると言っていいペンディングがある。書類の処理をペンディングにする場合、時間が経過しても状況は勝手に変わらない。これは単に後回しであって、流れに身をまかせてはいない。一方、会議で案件をペンディングにして結論を持ち越すと、一週間後には各自が案を練ってきて、方向性が変わっていく。この場合は「流れに身をまかせる」に含めて考えていいと思う。
ペンディングとは、自分の意見を出さず、流れ出すのを待っている状態。どうしたらいいか決められないので様子を窺うという状態。 流されるということと近いと思う。
◎ペンディングは「流される」の一歩手前
流れは一本とはかぎらず、二股・三股に分岐していく。 あるいは、ちょっと横のところに別の支流ができる。 とりあえず自分もどこかの流れに入ってはいるが、そういう自分自身を外から見ている別の自分もいる。ある程度の時間が経ったら、どこかの流れに乗っかる。その前の準備期間がペンディング。つまり、ペンディングは流される一歩手前の「潮目を見ている」状態。
複数の流れがあって、その中から、「どの流れにしようか」と選んでいる状態がペンディングではないだろうか。複数の流れの中から選ぶという行為に主体性があるのかも知れない。
ペンディングは様子見の状態。 それは流れに乗ってはいない。 プールで言うなら、自分の体は流れの中に入っていない。 上から見ている監視員のような状態。
ペンディングにするとは「様子見する」ことだという定義が出てきて、それは「流される」の手前の状態では?というところに傾きかけましたが、そうとも言い切れないというご意見も出てきました。
◎「様子見する」つもりで、実は「流される」こともある
流れのスケールによっては、「様子見する」が「流される」ことになり得る。職場や生活のことなど、身近なことを様子見をしていても、その間は物事は進展しない。 つまり、様子見することは流されることとは重ならない。だが、もっと大きな流れ、国や政治のことを考えたら話は変わってくる。 選挙において投票をしなかった場合、自分は「様子見して」いるつもりであっても、その間に事態は進行して世間は変わっていくので、結局はその流れに身を任せることになる。
身近なことでも、たとえば病気の進行など、どうにもできない流れというのがある。 身近な流れか社会全体の流れかというスケールの問題ではなく、自分が制御できるかどうかがポイントなのでは? 制御できない流れについて「様子見する」ことはできない。 流されてしまうし、その流れを受け入れざるを得ない。
場合によっては「様子見する」ことが「流される」ことと重なるということが判ってきましたが、そのことに気づけない、自覚がないこともあるのだというご意見もありました。
◎流されている自覚がないこともある
何か事が起こったとき、傍観者は、流されていない = 様子を見ているつもりかもしれないが、それは実は流されていることではないかという気がする。 無自覚に流されていることはよくある。 流されている自覚があるかどうかが大事なのでは。
一方で、「流れに身をまかせる」ことの中にある主体性に言及してくださった方もいました。
◎流されるときにも主体性はある?
主体的に流れに身をまかせている場合は、周りの風景が見えていて、やめようと思えば、その流れから抜け出すこともできるし、流れに一石を投じることもできる。つまり、流されているふりをしているだけ。 流されているのとは違う。
流れに身を任せるというのは、個々の結果の良し悪しではなく、流れ全体を受け入れること。 たとえば、自分や家族が病気になった時。 その流れに抗うのではなく受け入れて、諦めるべきことは諦める。 受け入れようという覚悟を持つことに主体性が発揮される。
◉進行役感想
「かなり抽象化された言葉のやり取りで実体がない」というご感想を終了間際にいただきました。
実体験に基づく具体例を豊富に挙げていただいたと思うのですが、このような感想を抱かれた方がいるということは、問いと主張、その主張の根拠となる具体例の関連を明確にするという紐づけの作業ができていなかったということなのでしょう。
対話の筋道から逸脱するような発言もなく、順調に進んだように感じていたのですが、参加者の中には置いてきぼり感を感じた方もいらしたようです。 発言に対する交通整理がもっと必要ということかと思いました。
これらは今後の課題としたいと思います。
「個人と他人の関係性も言及されていない」というご感想もいただいたのですが、正直なところ、このご指摘の意味は今でも理解できずにモヤモヤしています。
いずれにしても、誰も置いてきぼりにせず、参加者全員が同じ問いに向き合えるようにするというのは難しいことだとあらためて感じました。
今後の開催予定
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