「書く」が戻ってくる
少しずつ「書きたい」という気持ちが戻ってきた。
私にとっての「書きたい」は、自分のなかにうごめいていたり、湧いたり浮かんだりしている「なにか」に、ひとつひとつ言葉を照らしてあてはめながら、それらをびろーんとした何かしらの「連なり」にしたい、ということだ。
とはいえまだまだ醸す時間が必要で、そもそも何を書きたいのかもまだよくわかっていなくて。
でも、純粋な意欲が戻ってきたのはとてもうれしいことで、書きたくて手がうずうずするくらいまで、もう少し楽しみに待とうと思っている。
そんなタイミングで、本棚からこの本が私を「ねえねえ」と呼んでくれた。
『ずっとやりたかったことを、やりなさい』の著者ジュリアン・キャメロンの本。モーニングページやアーティストデートを提唱している著者が、書くことについて述べた43のエッセイだ。
「書くことは~」で始まる文章が、次から次へと出てくる。「7.書く人生」という章では特にたくさん出てきた。いくつか抜粋してみる。
私にとって書くことは、欲求を満たすことだ。
私は書くことを、モノローグではなく会話として体験している。
書くことは「ハートの声に耳を澄ませる芸術」なのだ。
書くことは栄養でもある。私は健康を保つためにも書かなければならない。
書くことはまさに何かをはっきり見ようと意識し、見たいものに双眼鏡の焦点を合わせる行為なのだ。
書くことは、観察者としての私たちが現実世界と踊るダンスだ。
書くことで私は人生を一新できるからだ。書くことによって思考が生まれ、書くことじたいが私を育むのだ。
書くことは錬金術だ。
書くことは薬であり、どんな困難に襲われたときもふさわしい友である。
書くことは、映画の撮影レンズのようだ。
書くことは心の中の映画を観察し、編集し、BGMを加え、ナレーションを入れることだ。
書くことは冒険なのだ。
ひとつひとつに、うんうん、そうそう、たしかに!、へええ、なるほどと思う。読みながら「あなたにとって、”書く”とはどんなことなの?」と問いかけられる。
まだ前半しか読み進んでいないが、去年インタビューを通して向き合ってきた「書く」を改めてふりかえりながら、「書く」をさらに探究していきたいと思う。
この「書く」をめぐるインタビューも、治療のペースがつかめてきたら再開したいと思っている。
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