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活舌を鍛えに通った神田

録音した自分の声を、初めて聞いたときのことを、覚えているだろうか?

たしか小学校低学年の頃だった。転校してしまうクラスメイトへのお別れのメッセージをクラス全員分、カセットテープ(!)に録音した。その録音した自分の声を聞いて愕然とした。私はこんな声じゃない、と。

でもそれは、残念ながら正真正銘の自分の声だった。
ダミダミ、ガサガサ、モゴモゴした声。聞いていて悲しくなった。

加えて、昔から人前に立つと、足はガクガク、声はブルブルの子羊のような人間だった。小学校のときに、勇気を出して生徒会の書記に立候補したときから、人前で話すと震えるクセがついてしまった。

そのガクブルを克服しようと、社会人になってから話し方教室に行ったり、個人レッスンを受けたりした。先日書いた演劇ワークショップに行ったのもその流れだ。そして何年か前に通ったのが、神田にある、司会やナレーターを派遣する会社が実施していたナレーション講座だ。

この講座で一番学びが大きかったと思うのが、活舌よりもアクセントの重要性についてだ。活舌は一音ずつハッキリ発音すればすぐに改善される(らしい)。だが、アクセントは、人によっては相当に時間がかかる、と。

ここでいうアクセントとは、英単語の発音記号の上についている「 ’ 」のアクセントのことではなく、日本では一般的にはイントネーションと言われている音の高低のことだ。

こちらの説明のように、単語の中や文章の中で、その音節の音が上がるか、下がるかは標準的に決まっている。それがちょっとでもズレると聞いている人に「ん?」と違和感を感じさせてしまう。間違っていても、自分にとって当たり前すぎると気づけない事が多いのだ。

日常会話なら問題ないが、不特定多数の人の前で話すような場合には、必ず重要になってくる。そのため、話すことに関するプロの人は怪しいと思ったら必ずアクセント辞典で確認をするという。

きちんとしたアクセントで話していれば、聞いている人は違和感を感じずに内容そのものを受け取ることができる。その上で、どういう場で誰に向かって話すのかによって、表現のしかたを変えていくのだ。もちろん、個性を売りにしている人は別だ。私の場合は仕事で必要なため、そういうトレーニングを受けたというわけなので。

「そうか、声質とか活舌以上に大切なものがあるのだな」と、自分の話し方や声にコンプレックスを抱えていた私は、改善の余地があると思い、なんだか少しほっとした。

そしてもう一つ大事な学びがあった。
なぜ早口言葉で噛んでしまうのか?ということについてだ。
それは、次の文字に目をやってしまうからだという。
読んでいるうちに次の文字を目にしてしまうと、今この瞬間に出そうとしている音と、目で見て次に読もうとする字が似ているがゆえに脳が混乱するらしい。

例えばよく聞く早口言葉を言ってみてほしい。

「蛙ぴょこぴょこ三ぴょこぴょこ合わせてぴょこぴょこ六ぴょこぴょこ」

これは、「三(み)」「六(む)」と「ぴょ」「唇を閉じる音」が続くところでひっかかりやすく、後半は「ぽこぽこ」となってしまったりする。
そういうときは、唇を閉じる特に「ぴょ」の音をつばが飛ぶほど強く言ってみると唇に意識がいき、引っかかりにくくなる。あとは一音ずつ、はっきりと、口を大きく動かしながら言う練習もいいそうだ。


「骨粗鬆症訴訟勝訴」

これはもう漢字のかたまりの時点で噛む要素満載。

「骨/粗/鬆/症/訴/訟/勝/訴」

とスラッシュを入れて、読む時は読む文字だけを見るようにするのだが、それでも、「鬆/症」「訟/勝」のあたりで「しょうしょう」ではなく「しょうそう」となってしまう。そういうときはひらがなにして、なおかつ意味のかたまりではなく音のかたまりで分けてしまう。

こつ そ しょうしょう そ しょうしょう そ

これだったら、漢字を読むよりは、引っかからないはずだ。

原稿を読むときなどに言いにくいところは、細かく区切り、意味を意識せず音だけを出すようにする。今読む、まさにその文字だけを見て、次はまた次に読むその文字だけを見る。それでも言えないところは、言えない部分だけを何度も大きく口を動かしながら言ってみて、言えるようにする。

そんな風に引っかかりやすいところを丁寧に解説してもらいながらの、全12回のナレーション講座だった。最初はお約束の「あめんぼあかいなアイウエオ」や「外郎売り」から始まり、毎回CMのナレーションを読んでフィードバックをもらった。ニュース原稿、早口言葉、ラジオドラマの演技、文学作品の朗読、ドキュメンタリー番組のナレーション、深夜放送のパーソナリティ、競馬の実況、イベントの司会や結婚式の司会と、豊富な実例を練習した。

読むための原稿のつくりかた、読む状況に応じてどう読み分けるかなどもプロの実例を見せてもらった上で、自分が実際に読んだものに対してフィードバックをもらい改善と自信につながった。

今、そんな風に話すことができているかというと、あまりそういう機会がないし、日常では意識していないので全然できていない。だが、そのときの書き込みがたくさんのテキストを保存してあるので、ちょっと口を慣らせば感覚を取り戻すことができるはずだ(と思っている)。


さて。そこまでやったことで、人前でガクブルしなくなったか?

それは否。
慣れている形式であれば緊張しないが、不慣れな場だとやっぱり固くなる。力が入る。ただ、足と声の震えはほとんどなくなった。それはどちらかというと場数を踏んだことによるものが大きいのだろうけども。

今のところ私の中では、司会でも講演、研修でも、話し始めの部分だけを何度も何度も繰り返し練習して、頭が真っ白になってもきっちり言えるようにしておくということが、一番の対応策だと思っている。緊張するのはしょうがない。自意識過剰でもなんでも、身体反応だから。

とりあえず最初のかたまりを言えると、少し落ち着いて目の前の人を見たり自分の状態をメタにみたりできるので、その場の人たちの反応や呼吸を見ながら話すことができるようになっていく。という気が、今のところはしている。あとは本番が始まる前に、全身に思いっきり力を入れて身体をガッチガチにしておいて、ふーっと深い息を吐きながら力を抜いてから話し始めるとか。そういうことの合わせ技でいつも乗り切っている。

最初からゆったりリラックスしてにこやかに話せるというのがもちろん理想だけれど、無理に笑顔を作ろうとして「あ、今私の顔ひきつっている」みたいになるほうが余計目も当てられない事態になったりするので、そこはもう、自分なりのやりやすい方法を見つけていくしかないのかなと。

実際、どれだけ緊張していたとしても、本題に入っていくと、人からどう見られているか? より伝えたい中身のほうにフォーカスが移っていくので自然に緊張はほぐれていくものだ。2時間なら2時間ずっと緊張しっぱなしでいられるほど、身体も神経も頑丈じゃない。

わざと「緊張してます」と最初に気持ちを開示する人もいるし、わざとかんで「あ、かんじゃった」と最初に失敗しておくという人もいるし、それはそれで、その人がやりやすい方法でいいと思うのだ。

ただ一つ言えるのは、ノウハウに頼るのではなくて、身体に頼ること、身体を信じることが大切ではないかということだ。自分の身体が音が響いて気持ちいい状態になることが大切だと思う。自分という身体がよい音を響かせる楽器のような状態になれることが一番いいのだろうなと。


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大前みどり
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