都会の空に浮かぶ島
大学の正門を入ってすぐ右に、20階建てのビルがある。屋上部分は三角のルーフトップのようになっていて、月桂樹のシンボルマークが掲げられている。20年以上前、そのビルの屋上に、大学のサークル仲間5人で忍び込んだ。
「あの建物、屋上に出られるんだよ!」
あるとき、メガネのハタノくんが、興奮気味に学食にやってきた。学内で一番高いビルの、屋上に出る行きかたを発見したという。エレベーターを乗り継いで、鍵の閉まっていない非常階段から、行くことができるそうだ。
いつも見上げるだけだった場所に行ってみたい。考えるとわくわくした。あまり大事になってはいけない。目立たないように少人数で、あまり人のいない夜に、その秘密の場所に行くことにした。授業が終わったあと、学食で話をしながら時間をつぶし、暗くなるのを待った。
「こっちこっち!」
「声が大きいってば!」
エレベーターを乗り換えるには、教授たちの研究室が並んでいる通路を通る必要がある。鉢合わせをしたら、訝しがられるのは必至だ。足音も声も忍ばせ、そろそろと建物内を移動した。
建物の奥まったところにあるエレベーターで最上階まで上がり、避難口の僅かな灯りを頼りに非常階段を上る。屋上への扉は、ハタノくんが見つけたときと同じように、鍵が開いていた。
扉を開け、外に踏み出すと、遮るもののない広大な空間があらわれた。心がさらに弾む。三角のルーフトップは、近くでみると階段状になっている。思っていたよりすごい高さだ。腰がひけながら、這うようにして最上部まで辿り着く。思い思いの場所に腰を下ろし、眼下の景色を眺めやる。
群青の海の底に、膨大な数の電飾ライトが沈んでいるような景色が、全方位に広がっていた。その、都会の空に浮かぶ小島のような場所に、私たちは時がとまったように、座っていた。誰も口を開かなかった。
「なんかこうしてると、自分が今、どこにいるのかわからなくなるね」
思わず口をついて出た。
その頃、私たちは、まだ何者でもなかった。自分が何者なのかを摑みたくて、必死にもがいて手を伸ばしていた。
でもその時間、夜の空に溶け込みながらただそこにいた時間は、面倒なレポートのことも、ずっと立ちっぱなしのアルバイトのことも、振られたあの人のことも、気が重い将来のあれこれのことも、空を漂い滲んで消えていった。
「大丈夫」と誰かが言った。
そう、私たちは大丈夫だ。これから出ていくこの海が、どんなに怖かったとしても、大丈夫。そう思えるほどに、空が私たちを包んでくれていた。
(2020.5.16の文章筋トレより 一部修正)