哲学対話「甘え」の開催レポート
毎月、平日と休日にオンライン哲学対話を実施しています。5月9日(木)に実施した際の様子をレポートします。
哲学対話とは「普段はあらためて考えない疑問」、「すぐには答えが見つからなそうな疑問」について、みんなで語りあって思考を深めていく場です。70回目となる今回のテーマは「甘え」で、参加者は13名でした。
※以下、当日出た意見を、個人が特定されない範囲で紹介します。個人の具体的な体験などは省略した他、進行役の解釈・編集が避けられないことをご了承ください。またメモを見返して意味がよくわからない部分は省略しています。
チェックイン+哲学対話について
最初にみなさんから今の気分や体調を簡単に一言ずつお話していただきました。簡単にでも早い段階で声を出していただくことで、その後の発言のしやすさに繋がればと思って毎回やっています。
その後進行役から、哲学対話についての簡単な説明や、充実した対話になるために意識したいことをお伝えしました。
問い出し&問い決め
参加者のみなさんから、甘えについてどんな切り口から考えてみたいか、問いの形で出していただきました。
1.どこまで甘えは許されるのか?
2.甘え上手と甘え下手、何が違う?
3.甘えってどういうこと?
4.甘えると愛しては同じか?
5.無意識にしていることも甘えになるのか?
6.相手の好意を当たり前だと思うことは甘えなのか?
7.甘えと聞いたときに、ポジティブなイメージを持つか?ネガティブなイメージを持つか?
8.甘えたほうがいい状況ってどんな状況?
9.愛情表現としての甘えと、人から助けてもらう甘えとの違いは?
10.甘えが一方通行になることはあるのか?
なぜその問いで考えたいと思ったか、それぞれの問いの背景も話していただき、2段階で投票をした結果、最終的に2つの問いが残ったので、2つ続けて話すということにしました。
問い:
愛情表現としての甘えと、人から助けてもらう甘えとの違いは?
どこまで甘えは許されるのか?
ここでいったん短い休憩をはさみました。
問いについての対話
●愛情表現としての甘えと、人から助けてもらう甘えとの違いは?
・飼っている猫の甘えは、本能的に愛情表現としてやっている感じがする。一方で人が助けてもらおうとする時の甘えは見返りを求めているという点で違う気がする。
・猫だけでなく赤ちゃんも、大人のような駆け引きをするような甘えはない。
・どちらもつながっているのではないか。愛情の確認として甘えることはある。
・味方になってもらいたいときに、自分ができることでも甘えることで仲良くなろうとすることもある。
・家族のような関係性だと2つの甘えはつながっているけれど、見ず知らずの人の場合はつながっていない。
・猫においても、純粋な愛情表現ではなく、ごはんくれーというような意図のある甘えをすることがある。一方で、仲間が自分を心配して自然とハグをしてくれたときは、いとしいからするというような双方向の愛情のコミュニケーションがあったように思う。
・甘えることは、相手側にいとしさを感じさせるのではないか。赤ちゃんや猫は成長の過程で、そういう能力を獲得していくのではないか。
●甘えは何によって成立する?
・フードバンクのようなシステムで支援を受けることは甘えになるか?
・甘えというのは、甘える側と甘やかす側がいて、結合して初めて実現する。
・支援を受ける側が、できるのにやらないで人にやってもらう状態と、支援をする側が、その人がなんらかの条件に当てはまっているからと受容する状態が双方向にあると甘えが成立するのではないか。
・支援を受けようとするとき、食べないと死んでしまうというくらい逼迫しているのであれば甘えとは思わない。そこまで必要はないけどもらっておくかというのは甘えという感じがする。また、支援をする際に、頼る側に感謝がないと「甘えてるな」と思う。
・甘えがどのように成立するかを考えると、甘える側に欲求があるということが起点となるのではないか。
・できることが少ないと人に頼らざるを得ないから、甘えることが進化していく。
・甘えを受けるとき、自分にゆとりや余裕がないと甘えさせてあげられない。
・人から甘えられること、甘えさせてあげられることも、才能ではないか。
●何かの行為の、どこからが甘えでどこからが甘えじゃないのか?
・自分でできるのにやらずに、何かを得ようとする行為が甘え?
・自立観の違いから甘えかどうかの判断が決まってくるのではないか。一人ひとり、大人になることでこれくらいは満たしてほしいという基準があって、相手がそれを超えてくると甘えと感じるのではないか。
・全国から人が集まって相談を受ける人がいる。その人には否定されないという安心感がある。そういう人は甘えの基準が低いのかもしれない。
・自分でできるのになまけたくて依存するのが甘えだと思っていたが、そうでないものもあると思った。支援を受けたいことがはっきりしていて、それをはっきり主張できる場合、甘えとは思わない。自立していると考えていいと思う。一方で、依存的な甘えは受け入れないことが結果として相手のためになることが多い。
・常に自立していなくてはと思うと緊張感がずっとあるので、ちょっと肩の荷をおろせる家族や友達のような気をゆるせる関係のことも甘えと呼べるかもしれない。
・甘えないことが美徳とされている社会で、寛容を目指すにはどうしたらいいかをもっと考えたい。
2時間の対話を終えて
今回は進行役をしながらついつい自分でもいろいろ考えてしまい、メモがおいつかなかったのですが、みなさんのお話を聞いていて
・愛情表現の結果として甘えているとみなされる行為
・自分でできるのに誰かに依存する行為
・相手からなんらかのものを得ようとして、意識的に媚びたり駆け引きをする行為
というように甘えにも種類があるということがわかりました。
といっても、すべての甘えに共通することは何かと考えると、途中で参加者の方がおっしゃってくださったように、根底には欲求(希望や期待)があるのだなと思います。愛情表現の結果の甘えも、「相手に自分の愛情を伝えたい」という欲求があると言えるのではないでしょうか。
また人が何らかの行為を甘えと判断するときの基準として、「自立」というキーワードが重要だと思いました。自立している状態で頼るのは甘えではなく、私たちが何かしらを甘えと見なすとき、そこに自立性が欠けているということは多くの場合に当てはまりそうです。
放課後はさらに甘えについての話が続きました。
中国や欧米では、甘えという言葉がないこと。日本のようにかわいこぶることは、逆に評価を下げてしまうこと。どうして人は弱さを感じると庇護欲を刺激されるのか。謙虚さと甘えとはどんな関係があるか。
普段私たちがなんとなく自然とそう思ってしまっていることについて、どうしてそうなんだろう?と改めて問い直す充実した時間となりました。
放課後の話のなかでインスパイアされ、今度は「自立」「察する」というテーマで哲学対話をしようと思います。7月以降に実施します。
今後の開催予定
5月25日(土)10:00~12:00、オンライン開催。テーマ「むずかしい」(満席)
6月6日(木)10:00~12:00、オンライン開催。テーマ「責任」(満席)
6月22日(土)10:00~12:00、オンライン開催。テーマ「問う」(満席)
以下は募集中です!
5/19(日)9:00~10:30、対面開催。テーマ「孤独とは?」
参加費:1,500円(税込、ワンドリンク付)
7月6日(土)10:00~12:00 対面哲学カフェ@千駄ヶ谷。テーマ「休み」
最新の開催情報は下記Peatixページに掲載しています。