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本のお手入れをして、思ったこと

Amazonマーケットプレイスで、中古の本を買うことがよくある。

通常はコンディションが「良い」以上のものを選ぶのだが、古い本で絶版になっていたりすると、「可」の状態のものしかなく、しかも結構高価なこともある。背に腹は代えられぬ。とりあえず出品されている中の安い「可」の本を買う。ヤケやヨレ、線が引いてあるなどはしょうがないなあと覚悟して購入する。

多少であれば我慢して読めるのだが、先日届いた本はちょっと我慢できないレベルだった。

カビが気持ち悪い。そしてクサイ。

返品しようかと考えたが、受け付けてもらえるかわからないし、捨てるのも気が引ける。中古にしてはそこそこの値段だったので、買い直すのもばからしい。

「本、カビ」などで検索すると対処法がありそうだったので、見よう見まねで、手入れをすることにした。

こちらがその本。

開高健氏の、文学に関するエッセイや評論を集めたものだ。戦後の作家たちとの対談など、貴重なものがたくさんおさめられていて700頁近くある。

まず一昨日、パストリーゼをキッチンペーパーに吹きかけ、丁寧に本全体をふき取って風通しのいいところで乾かした。

そして今日。
Amazonで注文した紙やすりが届いたので、作業にとりかかることにする。

こちらがそのカビの一番ひどいところ。「天」の部分。
かなり気持ち悪い。処分するには忍びないが、誰かに売るにはちょっとどうなの?と思うレベルじゃないでしょうか。


小口と地の部分も少しの汚れとカビがあったが、そっちは我慢できるレベル。

マスクをして、テーブルにビニールをしく。
まずは粗い紙やすりで削っていく。どのくらいの粗さのものを使えばいいかわからなくて、触ったザラザラの感じで、真ん中らへんにあった400という紙やすりを取り出す。

早速こすってみるが、あまり変化がない。
そこで180という、より目の粗いものにしてみる(数字が大きい程目が細かくてつるつるに、数字が小さいほどザラザラして粗くけずれる)。

こすっていると、少しずつカビの部分が薄くなってきている気がするが、カビの根が紙面に伸びているのだろうか、なかなかなくならない。

まあこんなもんでいいか、と思ってから今度は800という、より目の細かい紙やすりで仕上げをしていく。なぜか、目が細かい方がよく裁断面が削れていくようで、どんどんすべすべで平らな状態になり、カビの部分もかなり薄くなった。


これだったら我慢できるレベルだ。しおりのヒモがやすりで切れてしまったけど。

本全体をまた、パストリーゼを吹きかけたキッチンペーパーで拭き、作業した台も全部拭き上げる。

その後、本の中の「書く」というエッセイを一篇読んでみたが、まだまだ匂いが気になる。

今度は、無香料の消臭剤と本を大きなゴミ袋に入れて空気を入れて口をふさいだ状態で数日置くことにする。

それでも匂いが取れなかったら、買い直すしかないかな。


こんな風に本を手入れしたというのは、初めてのことだった。
手入れが終わって、ふとAmazonの注文履歴を見てみると、Amazonでのいちばん最初の購入履歴の日付はなんと、2001年の7月10日。実に19年のお付き合いになる。

おそらく漫画も含めて千冊以上の本と、何百万円かを投じてきたと思う。Amazonでは本以外のものも買っていて、10年くらい前の時点で使った総計が350万円という計算をしたことがある。今は倍以上、3倍を超えているかもしれない。

これまで本当に残念なことに、本を「消費財」のように扱ってきてしまった。クリックして適当に買って、適当にその辺に積んで。それだけ生活にも自分にも余裕がなくて、欠乏感を埋めるために本を買っていたこともあるのでしょうがなかった気もするが……。


松岡正剛さんが、『ちょっと本気な千夜千冊虎の巻』という本の中でこんなことを言っている。

本を読むとは、その本を通して未知の世界や未知の人間と接触したということ。また、その本の書き手やその本の写真家の思索や感覚といっとき交わったということです。読書は交際なんです。行きずりの恋かもしれないし、一期一会の出会いだったかもしれない。そういうことを、ぼくは、「かけがえのないもの」だと見ているんです。

人生でいつもそばにあり、多くの時間を費やし、いろんな学びを得た本を、「消費」するのではなく「交際」するつもりで、これからは手に取っていきたいと、今日はそんなことを思った。

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大前みどり
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