泡沫の夢
一度でいいから言ってみたい。創作以外社不になりたい。創作だけで存在を許されたい。
私は物心ついたときから漫画家になるのが夢だった。絵を描くのが好きだったがお世辞にもうまいとは言えず誰からも応援されたことはなかった。
高校・大学と漫画研究会に所属し、在学中に発行する部誌で皆勤賞を取った。並行して同人活動もしていた。それくらい意欲的に漫画を描いている時期があったが、一次も二次も鳴かず飛ばずだった。
私は大学に入るのに1年間の浪人を経ているのだが、浪人が確定したときに親から漫画を描いていたせいだと断言された。親は私の創作活動に否定的だった。そんな親と離れたくて地元を離れる必要のある県外の大学に進学をし、漫画ライフを勝ち取ったつもりでいた。
社会人になると部誌に投稿をすることはなくなったので気ままな同人活動を続けていたが、承認欲求に溺れてうまく行かなくなった。そして二年前に完全に漫画を描くことを辞め、小説に転向した。小説に転向してからは喉から手が出るほど欲しかった創作への称賛の言葉をたくさん得ることができ、楽しく活動できている。
しかし小説でプロになりたいと思ったことはない。プロになるなら漫画でデビューしたいと、心の何処かで燻り続けている。
商業作家の友人がいる。彼女は私に、会社員として働けることはすごいことだと説いた。彼女は毎朝同じ時間に同じ場所にいることが苦痛らしい。なんの疑いもなくそれができる私はすごいと褒めてくれた。彼女に創作を褒められたことはない。
私はいまの会社でとても働きぶりを評価されている。転職前は上司からは評価されなかったが、先輩や同僚からは高く評価されていた。そのため自分は社会人(会社員)に向いているのだと自負している。
それは潰しが効いてるということだ。漫画が書けなくても生きていける手段があるということだ。あんなに漫画は努力したのに芽が出なかった。しかし仕事は普通にやっていたらできた。思わぬ適正があり社会に居場所を作っている。
とてももどかしく思っている。
生きる手段が漫画しかなかったらよかったのに。それがとても贅沢な考えであることはわかっている。しかし叶わなかった夢の残骸がもしもの世界に焦がれている。
私は社会適合者だから漫画家になれなかったのだろうか?
フリーランスこそ社会性が必要だと聞く。だったら私は最強じゃないか。どうして漫画家になれなかったのか。どうして絵が下手なままだったのか。どうして面白いものが描けなかったのか。ずっと自問自答している。
休職を経験する程度にいまの仕事はきつい。常勤に戻ってしまった結果、前と同じ仕事を要求されてはやんわりと断るのを繰り返している。現状から逃げたい気持ちが過去の夢に縋っているだけかもしれない。会社員は経済的に安定している。社会的信用がある。仕事さえしていればいい。つまらないものを生み出しても謗られない。至れり尽くせりなこの環境に不満を抱いている。
仕事への不満がなくなったら漫画家の夢も諦められるのか。
小説家として大成すれば漫画家に興味がなくなるのか。
答えはわからない。私はふとしたときに夢の残骸に苦しみ続けている。