前職のお局に囚われている
前職は新卒で入社した。それなりの年数を働いたがコロナ禍初期における社内でのコロナ対策に不満があり、コロナ対策をしっかりしていて給料も高い現在の会社に転職するために辞めてしまった。
そう言うと意識が高いように聞こえるが、本当はもう少し複雑だ。
私はお局から嫌われていた。新人のときから同期の中で私だけ辛く当たられていた。逆に言うと私以外の同期は可愛がられていて明らかに扱いに差があった。それは他者の目から見ても明らかで、お局にイビられたあと先輩からフォローされることが多々あった。
私は退職直前まで商材の品質管理部門にいたが、あるとき在庫を勝手に持ち出した人がいて帳簿と実物の数が合わなくなっていたのが見過ごされている期間があった。その商品は毒物のように厳密な管理が必要なものではなかったため発見が遅れた。そしていざその商品が発注されたときにピッキングができないことで事態が発覚した。
私は代替品を取り寄せるために奔走し、なんとか必要な納品に間に合わせることができた。しかしお局は一連の流れを私の発注ミスということにして上に報告した。上もそれを信じ、私は身に覚えのない叱責を受ける羽目になった。
というのも勝手に在庫を持ち出した人が役職付きの人だったため、揉み消すためのスケープゴートにされたのだ。私はそれに嫌気が差し、もっともらしい理由をつけて会社を辞めた。
現在の会社にはお局らしい人はいない。何度か移動を経験したが良好な人間関係のもとで働けているし給料も上がった。転職してよかったと心から思っている。
それでも私の社会人としての基礎は前職で作り上げられており、事あるごとに前職のことを思い出している。
特に新人が入り、その未熟な言動を目にするたびに「あのお局がいたら怒るだろうなあ」と考えてしまう。どんなふうに注意されるか、嫌味を言われるか、私が受けてきたハラスメントが脳内で再生される。私はそれらを繰り返さないことでいい先輩として振る舞っている。
逆に言うとお局というNG例を知っているから好かれる先輩について考え行動することができている。あれは前職のカラーであり、現職のカラーには合わないため出さないのが正解である。わかっている。重々承知している。
しかし私は苦しんで1人前になったのに、優しくされてのびのび成長できる後輩たちが憎くなることがある。みんな苦しんで折れて、それでも残るやつだけが残ればいいのに。そうすれば質が高まるのに。古い考えだと思う。私は自分を慰める術を持たない。ただ自分の衝動を理性で握りつぶして適切な行動を取り続けている。
一体いつまでお局の影に怯えながら働かないといけないのだろう。この職種を辞めるまで続く気がする。早く克服したい。もう私はお局がいない場所にいるのだから心も自由になりたい。