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ここに揺れる花

 初めてのことである。こんな、といっては失礼だろうか。このような企画というべきかあるいは……何と呼ぶのが適切か私にはわかりかねる。そういった類のものに参加してみる、なんて言うことは全く初めてのことである。これが流行と呼べるものなのか、それは分からないけれども、そういうものから距離を置いてきた、ある意味では忌み嫌ってすらいたものからするとこうやってキーボードを叩いていることさえ不思議でならないのである。

 文章を書くのは好きだ。おそらく、こんなわけのわからない、起承転結もオチも面白みもない文章を読んでくれるような殊勝な方々はあるいは理解してくれるのかもしれないと若干の希望的観測と私の虚栄心のためにそう書いておく。そうでもしないと、こうやって書いていること自体、あるいは誰かに読んでもらうこと自体、恥ずかしくて仕方のないことなのだ。

 文章を書くことが好きになったのは一体全体いつからだろう。彼女──といったって、そういう彼女では決してない──はいったいどういうだろう。文章好き、あるいは読みもの好き、それが高じてか低じてかいつしか創作が好きになっていた。だけれども、何も国語の成績が上がったわけではない。いったいどうやってあの分かりにくい文章から登場人物の心情なぞ読み取れというのか。しかも、あくまでもそれは出題者の理想とした心情にすぎない。そういう、型にはまった、というものとはまた違うのだろう。だけれども、そういった人を定式化してしまうような教育が大嫌いだった。というよりも、高校に入ってから大嫌いになった。中学校までは、生徒同士で議論して、ある時は妥協点を探りあい、ある時は真っ向から対立して、そうやって授業さえ創られていた。だから、高校に入ってから、その高校の標榜する”自由”の不自由さに、あるいは”権利なき自由”に、あまりに愕然とした。けれども、入学当初はそんなものでも、人間は順応性の生き物である。入って一年もすればその環境を当たり前のように受け入れていた。そして、中学時代までの友人とのつながりなんてものも浅薄で、あるいはもはや途切れていた。

 いったい私は何の話をしているのだろうか。閑話休題。元に戻ろう。今の話はまた気が向いたら後ろにでも書くか、また別の機会に書くだろう。

 さて、創作活動なんて言い方をすると大仰でかつ大層な文化的活動に思えるが、私のそれというのはいたって低俗で、通俗的なそれであった。初期はいたってシンプルだ。今でいえば中二病とでもいうのだろうか。もう古いか。私はまだ大学生であるから、その言葉がはやったくらいがちょうどその時期だったのかもしれない。ともかく、ひたすらに難しい言葉を使う作品が格好いいなんてバカの一つ覚えみたいに何ゆえか、専門書を読み漁っていた。今となってはもはや何も記憶にはない。非常に非文化的で没人間的なことをしていたものだと思う。何様の視点だろう。そりゃあ、人間様だろう。

 多分、書くことが好きなんだと、そう自覚したのは、中学生の時だ。私の通っていた学校は、先進的というのか大層奇天烈というのかはたまた時代の周回遅れかそれは分からないけれども、その才なきにもかかわらずそれを好きになってしまった、不幸な人間を作り出したのはその時代であった。斯くして私は今こうして文章を書いているわけである。

 好きな文章がある。好きな本でも好きなアニメでも好きな映画でも好きな歌でも、そういたものはやはりあるのだが、好きな文章がある。中学の時の同級生の文章であるが、これがなんとも、いつ読んでみたって、いつ読み返したって楽しいのだ。こんなことを本人に言ったらどんな顔をするか分かったものではないけれども、面白いのかはわからない。感情移入というのはどちらかというとできない。けれども、とにかく楽しいのだ。カラフルなのだ。決して私のようなモノトーンの文章ではない。本人に自覚があるのかはわからない。一度これを読んでくれるような殊勝な方々にも読んで見てもらいたいのだが。

 そろそろ、見出しの画像のことでも書いておこう。見出しで正しいのだろうか。トプ画とは別だからそういうことにしておこう。もう三年前になるのか。たった今振り返って仰天しているが、修学旅行の時に沖縄で撮った写真だ。テンニンギクかと私は思っているけれども、真偽は定かではない。フラワーアレンジメントをやっていた人間がそんなんでいいのか、と思いつつ、分からないからしょうがないじゃないか、と自分に言い訳をする。確か、どこだったか、私の記憶では、座喜味城だっただろうか、そこかあるいは平和祈念公園で撮ったものだ。なぜだかこれに惹きつけられたのだ。理由はまるっきりわからないけれども。「特攻花」なんて単語を耳にしたことが或いはあったのかもしれない。そのせいかもしれない。しかし、そこに言った直後に私は39度くらいの高熱を出して病院に行く羽目になったものだからはっきり覚えていないのだ。熱のせいで自由行動は一日すべてがつぶれた。そんなわけで私の修学旅行の思い出というのはまるっきり、写真とホテルに集約されるのだ。平和学習といったって形式的な代物にすぎなかった感が否めなかった。少なくとも、今歴史学を志すものとしては、だが。

 随分と前にnoteに投稿したが、去年の春晴れて大学生になった。もっとも、前期の入試は肺に穴が開いて死に体で、いや、文字通り死んだせいで今京都にいるのだけれども。何も不本意というわけではない。夏場の陰湿なまでの蒸し暑さと冬場の冷酷なまでの、北海道とはまた違う寒さをのぞけば住環境は最高である。もっとも、最低賃金の低さには絶句したが。なんてったって、私が高校生の時にやっていたアルバイトの時給より安いのだ。物価は大して変わらないというのにどうなっているのだいったい。家庭教師なんてものをやっていればあんまり無関係なのかもしれないけれども。そして迎えたのが今年だ。もう半分以上が過ぎ去ったなんて言う時間はとんとない。五月に始まったオンライン授業は淡白で、環境含めての大学生活じゃないか、なんて、そう思っている身からすると全く物足りない。加えて、毎週出てくる課題ときた。もとから精神は強いわけではないし、むしろ一瞬で打ち砕かれるガラスのハートであるから、月に一回ならまだいい方、週に一回とか、精神がどこかへ旅に出る。今でさえ、これを書いているたった今でさえ、十一個の課題を抱えているのである。全くばかげている。加えて、これは元から夏休みは集中講義でつぶれる予定だったとはいえ、多少隙間ができるのでその合間で旅でもしようか、なんて気持ちでいたところに、「前期で開講できなかった講義を集中講義として開講します」なんていう、ああ、これは素晴らしい通知が来たものだ。おかしい。最初は、夏休みはつぶさないとかなんとか言っていたはずだのに。もはや知ったこっちゃないけれども。ただの愚痴だ。

 ついさっきの話をしよう。雨が小康状態になったのだ。割と断続的に降り続いていた雨が。これ幸いと私はパーカーを着て家を飛び出した。何を隠そう。晩飯を買うためだ。自炊しろ?そんな高尚な営みはとっくの昔に敗れ去った。というより、栄養バランスを考えるのが面倒なだけだが。今でも自炊は普通にする。気が向いたときに一気に作ってためる。それが一番性にあっているのだ。私は自転車に飛び乗った。そして、ライトをつけて、夜だから。時折無灯火の自転車を見かけるがあれは危険極まりない。私のように夜目の利かない人間からすると怖くて仕様がない。それと同時に、それでもって事故起こしたらほぼ10:0であなたが悪くなるのでは、なんて思いつついつもよける。さて、夜の京都は静かだ。祇園とかに行ったらまた話は違うだろうけれども。いや、実際違うけれども。去年の夏を少し思い出した。高校の時の部活の友達と繰り出したことを。さて、夜の京都の大通りを自転車で猛スピードで疾走する。もちろん車道を。歩道なんぞ凸凹していて怖すぎて通れたものじゃない。五分もたたないと思う。すくに目的地は見えた。マクドナルド、関西風に言えば「マクド」か。長崎生まれ東京育ちなんていう生粋の東京人たる私からするとマクドナルドは「マック」なのだけれども。関西に喧嘩を売っているわけではない。私は平和主義者だ。温厚篤実・冷静沈着それで通っている。少なくとも私はそう思っている。その実ただの超のつくマイペース人間だけれども。だからたまに、たまにといったって本当にごくたまだ。激高するとドン引きされる。私は悲しい。ストレスをため込んで発散もできずに自分でもわけのわからないままそうなっているだけだというのに。

 方向修正しよう。マクドナルドについた時だった。私の身に異変が起きた。吐き気と過呼吸と激しい頭痛に襲われたのである。原因なんぞ私は知らない。どうせ腹の減りすぎとかそんな具合だ。しかしマクドナルドの店を出ても若干続き、小休止をしてようやく落ち着いた。さて、するとどうだろう。天気予報では、というより、雨雲レーダーの予報では、家を出た時間から一時間程度雨はやんでいる予報だった。しかし、現実はそううまくはいってくれない。雨がぱらつき始め、急いで自転車に乗って漕ぎ出した。そして家までの中間地点に差し掛かったあたりだった。雨足が強まってきた。家に着くまであと百メートルくらいだったか。雨足はさらに強まり、所謂本降りとでも言うべき状態になったのだ。すこぶる不運な人間である。神様、僕は気付いてしまった。なんて。

 自己紹介、なんて銘打ってみても存外に書くことはない人間である。ただ色々と物事を考えて、考えて、考えて。そういうことが好きで、写真が好きで映画が好きで読むのも好きで旅が好きで、文章を書くことが好きなのだ。

#自己紹介

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