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永井陽右さんの「共感という病」から学ぶ、わかりあえない人とのつきあい方
9月に入り少し涼しくなってきた気がします。
そろろそ秋の気配がしてきましたね。
とはいえまだまだ自粛の日々。
前回書いたワクチンの会社からのプレッシャーは、大規模接種場の予約がとれたため少し緩和されました(笑)
このもやっとしていた時期にちょうど読んでいた本があります。
共感という病/永井陽右(ながい ようすけ)著
サブタイトルは「いきすぎた同調圧力とどう向き合うべきか?」です。
著者の永井さんはこの本について、一般的にいいとされている共感の負の面を明らかにしていくことを目的としていると書いていました。
あんまり自分では共感できないけれど、みんなが共感してるからつい「わかる~」って言っちゃう時ってあると思います。
または、みんなと違った意見や考えかたを持っている人がいたら、「あの人はちょっと変わってるから」と線を引いて排他的になったり。。。
そういった「お互い共感しよう」とか、「人はわかりあえる」っていうけど、ほんとに共感っていいことなの?ということや、人とどう向き合っていくかということを考えさせてくれる本です。
仕事やプライベートの人間関係で、相手とわかりあえずにもやっとしている方におすすめします。
紛争地域の最前線で活躍されている永井陽右さん
まずは著者の永井陽右さんをご紹介します。
久々にこの手の取材を受けました。字数制限があり色々と言葉足らずな点はありますが、今どんなことをどんな想いでやっているのか聞いていただいたので是非!
— 永井陽右 | アクセプト・インターナショナル (@you___27) March 14, 2021
もっとも危険な紛争地ソマリアでテロリストの更生を支援する29歳、永井陽右さんの覚悟https://t.co/eaW6pGXWTc
永井さんは1991年生まれ、NPO法人アクセプト・インターナショナルの代表理事。
学生時代に目の当たりにしたソマリアのひどい現状を見て、「ソマリアを救いたい!」という一心で紛争地域のソマリアに赴き、現地でテロ組織から投降してきた兵士などの更生や社会復帰支援を行っています。
「Forbes 30 Under 30」や「King Hamad Award」など、国内外で受賞や選出も多数されているそうです。
私と同じくらいの年で、こんなにすごい活動をしている人がいるんだということに衝撃を受けました。
社名のアクセプトは「受け入れる」というところからきているそうです。
色んな人の価値観や考え方を受け入れている永井さんだからこそ、共感することのいい部分や悪い部分がよく見えているのだと思います。
共感という病のあらすじ
項目はこんな感じになっています。
第1章 キモくて金のないおっさんは、なぜ共感されないのか?
第2章 共感中毒がもたらす負の連鎖
第3章 紛争地域から見る共感との付き合い方
特別対談 石川優実
第4章 戦略的対話 わかりあえない相手とのコミュニケーション
第5章 基本的に人はわかりあえない
第6章 共感にあらがえ
特別対談 内田樹
対談もあるのでさくっと読める感じがしました。
第1章がなかなかパンチのある題目で、思わず手に取ってしまいますね(笑)
本書は永井さんの活動の中で得た経験から、共感について考察しています。
永井さんが普段接している「わかりあえない人」は、わかりあえないと思った時点で命があぶないという可能性や、お仕事の臨場感もひしひしと伝わってきました。
場所と分野と対象が極めて難しいので移動は基本的に防弾車なわけですが、おかげ様で先月から車両の防弾レベルを一段階上げました。泣く子も黙る防弾性能B7級ということで全てがさらに厚く&重くなり、外見は変えれない分内部が途方もなく狭くなっております。。。 pic.twitter.com/wFczg6Oz7o
— 永井陽右 | アクセプト・インターナショナル (@you___27) September 1, 2021
人はわかりあえない!
私がいちばん印象的だったのが、「人はわかりあえない」ということです。
「わかりあえない!」と放棄することではなくて、人は人、自分は自分というのを認めることだと私は解釈しました。
コールセンターの管理をしていた時に、職場の人がよく口にしていた言葉があります。
「あの人、全然私のことわかってくれない!!」
もしかしたら、仕事でなくてもプライベートでも思うことはあるかもしれません。
本書の中でこんな文章があります。
「私が日々思うことは、たとえ共感されなくても、誰とも繋がっていなくても、基本的には全く問題ないということです。
(中略)
そんな自分の存在は、誰かに肯定されなければ存在しないといったものではないのです。」
-共感という病 P 177より-
わかってもらえなくてもいいじゃない!!
そう思うとなんだか気が楽になりました。
この文章だけ切り取るとなんだか無機質に聞こえるような気もしますが、そんなことはないので、気になった方は読んでください(笑)
さいごに
本書を読んでいて、すごくコールセンターでの色々な出来事を思い出していました。
仲のいい人たち同士の派閥があって、「こんなことがあった」という話に対して「それはひどい」と共感する人たち。
私はいつも仲裁役でした。
事実を確認すると、「なんだか誇張されているなぁ」と思うこともしばしば。
自分がその場を体験していないのに、他の人がそれはひどいと怒って私に愚痴をこぼしにやってきます。
もちろん体験した人にとってはひどいことと感じたのだと思います。
でもそれは本当にひどいことだったのだろうか。
共感という病を読んで、共感するにも感情と理性の両方の面で自分を見ていく必要があるなと思いました。
仕事にいかして、人間関係を円滑にしていきます。