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3分小説 『苦くて甘い針を落とす』
「なんかあったんですか?」
「それが……」
わかりやすいほどの闇を背負って、デスクに肘をついて頭を抱える部長。
話を聞けば、娘のパソコンを直した際に誤って音楽のデータを全部消してしまったらしい。
「『パソコン直してくれてありがとう』とは言われたけど、それっきり目も合わせてくんなくて」
「……へーえ」
子どもがいない俺にはわからないけど、部長も家では娘の反応に一喜一憂する父親なのかと思うと、なんとなく不思議な気持ちになる。
「俺の持ってるCD貸してみたけど『パパとは趣味が合わないからいい!』って突き返されて」
「娘さん、いくつでしたっけ?」
「この春で社会人。だから、通勤中にかけるプレイリストを作ってたらしい」
なるほど。気持ちはわからなくもない。
代わりにサブスクでも契約してあげたらどうすっか? と言いかけるも、サブスクそのものを説明することになっても面倒だ。それに、パソコンのデータを嘆くくらいだから、サブスクを解禁していない楽曲の方に思い入れがあるような気もした。
「なあ、どうしたらいいと思う?」
「知りませんよ。『仕事に私情を持ち込むな!』っていつも言ってるの部長じゃないっすか」
そう言い放つと
「冴草くんまで冷たい……」
いつになく女々しい言葉とともに頭をキーボードに押し付けてぐりぐりするもんだから、意味をなさない英数字がパソコン画面を埋め尽くしてされていくのが容易に想像できた。マジでちゃんと仕事してくれ。
「はい、どうぞ」
翌日、今にも底が抜けそうな重い紙袋を部長の足元に置く。
「え?」
「昨日言ってたじゃないっすか。娘さんが口聞いてくれないって。だから、俺の持ってるCD、全部持ってきました」
「え、本当?!」
「持ってくるのめっちゃくちゃ大変だったんすよ。昼食くらい奢って下さいよ」
「ああ、もちろん!」
感動のあまり小躍りしそうな部長に共感性羞恥を感じ、さっさと自分のデスクに向かった。何だよ、その踊り。部長のくせに芋洗坂係長の足元にも及んでないっつーの。
▽
「ふふふふーん♪」
「今日はえらくご機嫌ですね」
紫煙を燻らせながら鼻歌をうたう部長に声をかける。
「おぉ!冴草くんのおかげで娘と仲直りできたんだよ。ありがとな」
「良かったっすね」
満面の笑みを溢す部長を一瞥してから、俺も煙草の箱を取り出す。
「そういう冴草くんも、なんかうれしそうだね?」
「……え? そうっすか?」
素知らぬ顔で返事してから、緩みそうになる口許を慌てて引き締める。
実は部長にCDを渡す前に俺はあるいたずらを仕掛けていた。一番お気に入りのアルバムに連絡先を書いたメモを挟み込んでおいたのだ。
正直、相当な枚数のCDを貸したからすぐには気づかないだろうと思っていた。
けれど、思いの外早く携帯が鳴って一言だけのメッセージが届いた。
“私もあのアルバム好きです”
それほど有名じゃないロックバンド。人によっちゃ泥くさいと言われるような歌詞。メロディだって全然ポップじゃない。
それでも誰かと趣味が合うというのは嬉しいものだ。それどころか
“よく知ってんじゃん”
親しみまで抱いてしまった。
「あのあと、俺もCD貸してもらおうとしたら『冴草さんがいいって言ったらね』って言われたんけど……俺も借りていい?」
「ダメっす」
煙草の灰と同時に落とした俺の声には苛立ちが滲んでいた。早くも独占欲を抱き始めてる自分に内心呆れる。
「え、なんで?」
だってあれは
「美晴ちゃんに貸したやつですから」
「ん? 冴草くんに娘の名前教えたことあったっけ?」
「あー……だいぶ前に聞いたことがあって」
「なんだ、そっか」
勘の鋭い部長に一瞬ひやっとしたが、なんとか誤魔化す。
先に喫煙所から出る課長からもう一度「ありがとな」と無邪気にお礼を言われた。
何も知らないというのは、ある意味幸せだ。
喫煙所から課長がいなくなったのをしっかり見送ってからスマホを取り出す。今の時代、男女がこっそり繋がるのはあまりにも容易い。俺は息をするのと同じくらい軽い気持ちで指を滑らせる。
“今度ライブあるけど、一緒に行く?”
“行きたいです!”
“お父さんには秘密な”
“はーい、楽しみにしてます!”
同じのものが好きなら尚更。
仲を深めるのだって他愛もないことだ。
父親の顔が過るのが癪ではあるけれど、これを機に上司を味方につけられたら一挙両得。
でももしバレたら敵と見なされるんだろうか。ま、どっちでもいいけど。
(20170212 改編)
部長の鼻歌はベートーヴェンの有名なアレで、バックアップの窮地に立たされているのが私だったりしなくもない。なんとなく木星に初めて着いた人類の気持ちに……
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