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漱石先生の「こころ」

お久しぶりです、おはなです。
ここ半年ほど、好きな漫画の二次創作沼にハマってしまい、本を読むよりも文を書くことに全力を注いでいました。

今もその趣味は続いているのですが、より良い文章を書くためには良い文章に一文でも多く触れることが大事だなと思い、少しずつ読書時間を取り戻しているところです。

読書リハビリでまずは何から読もうと手に取った本は夏目漱石先生の「こころ」でした。

私は『恋愛小説の世界 名作ブックコレクション』を定期購読しているため、毎月何かしらの傑作小説が自動的に届くという夢のような日々を過ごしています。
しかもこちら、表紙も最高なんです。
どの話にも何かしらの植物やお花が描かれていて、箔押し仕様になっています。
定期購読プレゼントとして専用のブックカバーも頂いているので、汚れる心配はありません。
私はこの「こころ」の表紙にいる鶴が水面に反射して映っているところまで描かれているところが大好きです。


「こころ」は学生時代に教科書で一度、そして大学生の時に全編通して一度読んだため、今回は再読となります。
教科書で「先生と遺書」を読んだ時にも、文豪の作品というからには堅苦しい書き味なのだろうという予想に反し、とても読みやすくこの人の書く文章好きだなと思ったことがあります。
ただ、この時の遺書に書いてある先生の行動に理解を示せたかと聞かれると、無言で首を横に振ります。授業で先生や作者の意図を聞かれても、そんな恋愛感情なんて先生本人にしかわかりませんよと思いながら、それっぽい解答をしていました。

大学生の時に夏のイベント、新潮文庫のプレミアムブックカバーで真っ白な表紙で書店に並べられているの購入したのが2度目の出会いです。
この時初めて私は「先生と私」から読んだのですが、この話を読んでから遺書を読むのとでは全然先生への解釈の深掘りが違うことを知り、なぜ教科書では結末だけ読むようなひどいことをさせたんだ???と不思議に思いました。

そして今回の「こころ」の再読です。
全てを知った上で読むこの話は、これまで2回とはまた違った感情を得ながら読みました。

まず「先生と私」。
ここの「私」が奥さんと初めて会う場面。ここで「私」は奥さんから、この時期先生は雑司ヶ谷の墓地にある或る仏へ花を手向に行く習慣があるということを教えてもらいます。
この事実を奥さんから聞くというこの伏線を、知っているか知らないかで先生の遺書を読み進んだ時の気持ちが全然違うんです。
だからこそ、私はこの場面が大好きですし、その後先生から聞く「あなたは死という事実をまだ真面目に考えたことがありませんね」と「恋は罪悪ですよ」の二言が胸に刺さって抜けなくなります。

そして「両親と私」。
ここでは「私」に焦点が当たりつつ、先生との距離が少し離れます。
ここで「私」は死という事実に向き合うようになり、彼の家族関係がどんどん明るみに出されていきます。
この時、「私」が常に先生との距離感を変えることがなければこのような結末にならなかったのではなかろうかとここを読むたびに考えてしまいます。
先生の最期の手紙を受け取り、そのまま勢いで電車に飛び乗った「私」の行動は実父、実母に対しては正しい選択ではなかったでしょう。でもここで頭で考えるよりも先に行動に移してしまった気持ちが痛いほど伝わってきます。
そんな彼の心情を考えた上で「先生の遺書」は始まります。

「先生と遺書」。
確かにこれだけで一つの作品として成り立つため、教科書に抜粋できる気持ちはわかります。
謎に包まれた先生の過去が本人の言葉によって丁寧に記されています。
ここにきて初めて出てくるKの存在が先生にとってどれだけ大切で、どれだけ直視できない人物だったのかというのも読めば読むほど感情が溢れてきます。
今までの先生の不可解な言動が全てここに繋がることを実感し、どうすることが正しかったのか答えなど出てこない疑問を何度も何度も考えてしまいます。
ここで時が止まればいいのにと読みながら思わずページを捲る手を止めてしまうこともしばしばありました。それでも彼の覚悟を最期まで見届けなければいけないと読み切ってしまうのは、この本に込められたあまりにも強い引き込む力のせいだと思います。


こうして私の読書リハビリ第一弾は終わりました。
この作品を漢字ではなくひらがなで「こころ」と名付けた漱石先生のセンスには感服です。
今までのように月に10冊読めるようになるにはもう少し時間がかかりそうですが、最高な読書の時間を久々に味わえてただただ幸せでした。
また感想を呟きたくなったらお邪魔します。

ここまで読んでくださりありがとうございました。

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