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「チャンスを手にいれる人」になるために何をするべきか|ブリスベンフローリスト

こんにちは。ブリスベンフローリストのYukinaです。

今日は「チャンスを手にいれる人」、「チャンスを逃す人」について実体験を話しながら自分の行動を振り返ってみようと思います。


私が働くブリスベンのお花屋さんは、1月2日から仕事始まり。
志願をして早朝マーケット(花市場)でのお花の仕入れを学び始めてもうすぐ2年が経つ。志願なので、もちろん早朝にマーケットでの仕入れをお手伝いしても支払いはない。

しかし、今月のロスター(勤務表)に微かに変化が出てきた。

私のロスターには月曜日、木曜日の週に2日間、早朝仕入れのお仕事が加わっていた。これは仕事としてお花の仕入れをしてきてねということを意味していた。そもそもなぜこのようになったのかというと、オーナー2人とも不在。そして、3店舗のうちの1店舗のマネージャーが退職したことにより、お花の仕入れに行く人がいない状態となったのだ。

自分のために勉強してきたことが認められたような気がして、とても嬉しくなった。

最近出回っている紫陽花の一種。パニキュラータ


なぜ私は志願してまで仕事をしたいのか?

マーケットでの仕入れは、3:45AMから始まる。私が住んでいるところからマーケットまでは、車で約30分。当然そんな早朝に公共交通機関は動いていない。

約2年前に夫に「マーケットでのお花の仕入れを学びに行きたい」と話した時、夫は快く「いいよ」と早朝に車で送ってくれることを引き受けてくれた。それ以降、毎週月曜日はマーケットまで送ってくれている。

同僚には、「よくやるなぁ。」とか、「Paid Jobじゃないんだから、やる必要なんてないよ。支払われるなら別だけど。」とか、「Crazyだね」なんて言われたこともあった。

でもそんなの私にとっては全然関係ない。夫へは、申し訳ないなぁと思いながらも新しい現場や、マーケットの人々との出会い、お花の仕入れを学べること、その経験自体とその先に価値があると思っていたからだ。

最初からお花屋さんでのお花の仕入れに行くというポジションを狙っていたというわけではない。どちらかというと、私が自分のビジネスとしてお花を買い付けに行くことを考えていた。

コンペティションで必要な花材を手に入れなければいけない時、個人のビジネスでウェディングのお仕事をするときのお花の買い付け、、。お花の仕入れを学ぶことは、お花屋さんでなくても私個人にとっても必要だったのだ。

マーケットでのお花の仕入れを始めてからもうすぐ2年。

マーケットの人たちは、私の顔も、名前も覚えてくれている。そして、私がお花のコンペティションをしていること、小さなサイドビジネスを持って活動していることも知っている。

ここまでやってきて思うこと。

Maison Fleurのスタッフの一人という位置付けから、Yukiとして信頼されることに意味があったのではないかと思う。

志願してまでその仕事を覚えたい、学びたいという姿勢は、継続しているうちにその姿勢をもつ私を理解してもらえるようになるということ。

人と繋がることを一番大事にしたいと思っている私にとって、時間をかけてでも信頼関係を築いていくことは全てにおいてプラスでしかない。

マーケットの冷蔵室はめちゃくちゃ寒い。年中、ダウンを持ち歩いてるの。


ぶち当たる壁。現実と向き合い、息を吸うように努力を続ける大切さ


話はすこし逸れるが、日本では大好きな仕事:医療ソーシャルワーカーの仕事をしていた。これは中学校からの夢だった仕事だ。

その大好きな仕事を退職する決意をし、オーストラリアに移住して、1年目。英語も話せない、友人もいないゴールドコーストでの生活が始まった。

一番最悪で私の教訓となっているのは、移住したての頃、夫の知り合いの日本食レストランで、「英語で話してください」と言われて全く何も話せなかったオーストラリアでの初めてのアルバイト面接。

夫の知り合いで面接させてもらったのに、全然ダメで恥ずかしいやら、自分が情けないやら、何の自信を持って面接に行ったのか?自分が経営者だったらもちろんこんなやつを相手にしないよねと自分のことを恥じた。

自分が今できることのフィールドで最大限の力を発揮できる職場に巡り会えるよう祈りながら、英語の勉強を始めた。

その後、良いご縁もあってお寿司屋さんでのアルバイトに始まり、観光業界に転職。コロナのパンデミックから、再度自分が何をしたいのか考えてフローリストになることを決意した。

この頃、オーストラリアにきて一番辛い時期だったように思う。

我慢強い私も、かなり嘆いていた。お花の学校に通い始め、少しできるようになっていたと思っていた英語が全く通用しない。

オーストラリアでの生活は2年を過ぎようとしていた。自分の努力ってなんだったんだろう?そんなふうに思ったこともあったけれど、やるしかなかった。

「やるしかない」状況は、私に毎日小さな努力をする機会を与えてくれたように思う。結果として、今、Maison Fleurという大好きなお花屋さんで働けているのだから、この時の私には拍手してあげたい。

「チャンスを手に入れる人」、「チャンスを逃す人」

私はとにかくいろんなことに嘆いていた時期がある。そんな時、夫がある日言ってくれた言葉が今でも忘れられない。

チャンスは誰にでも平等にきてんねん。目の前に列車が来たとして、切符持ってへんかったらすぐに乗れないやろ?それと同じや。

夫のアドバイスより

チャンスは列車。チャンスという列車に乗り込めるかどうかは、切符を準備してスタンバイしている自分がいるかどうかということ。

なるほどなぁ。これを聞いた時、なんだか本当にしっくりきて「いつでもその列車に乗れるようにしよう!」と思って行動することを心がけはじめた。

常に準備不足では列車を追いかけることすらもできない。ここぞと決めたいときに決めることすらもできない。。。戦いに行くときに、守備も何も持たずに倒れに行くようなものだ。オーストラリアに移住したての頃の、私の苦い経験がそれも証明している。

大切なのは、常にReadyでそこに行けるように準備している私がそこにいることだ。

そして最初、チャンスって聞くと、大きなものを想像しがちな気がする。でも、そうでもない。小さなものだって、チャンスになる。その小さなものを拾い集めていたら、大きな結果になることだってたくさんある。

小さなチャンス、大きなチャンス全て含めると、2021年から去年の2024年まで、私が乗れた列車はそれまでの私に比べて明らかに増えていると実感している。

  • お花の学校の先生の紹介でMaison FleurでのWork Experienceができたこと

  • Maison Fleurのメンバーになって働けていること

  • Government House アレンジメントの担当になったこと

  • コーポレート担当になったこと

  • Interflora ワールドカップでお仕事があったBartのヘルパーとして同行させてもらったこと。ワールドカップの裏舞台を見たこと

  • Bartを通じて海外のマスターフローリストと知り合えたこと。お酒を一緒に飲んでご飯を食べ、同じひと時を過ごさせてもらえたこと

  • 友人のウェディングのお花を担当させてもらえたこと

  • 口コミから、個人でのフリーランスとしてのお仕事が増えたこと

などなど、大きなものここに書き出してみてもたくさんのチャンスを掴んで、ここまで来れたと思う。


イギリス、マンチェスター。Interflora World CupでのBartのデモストレーション準備

2025年、1月。幸先の良いスタートをきれている気がする。

いつも隣で背中を押してくれている家族、応援してくれる友人や、サポートしてくださる職場。私が作るものを好きと言ってくださる皆様のおかげで今がある。

これからどう成長を続けていけるかは、全て自分次第。今年もコツコツ地道に息を吸うように努力して、チャンスの列車に乗ろう。

Yukina💫








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Yukina Sakabe |ブリスベンフローリスト
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