ホセ・カンセコ『禁断の肉体改造』ステロイドの首領がすべてを語る告白本
メジャーリーグを震撼させた暴露本の正体
ホセ・カンセコ『禁断の肉体改造』(原題『Juiced』)は2005年に出版され、ステロイドをはじめとするメジャーリーグの薬物使用の実態を余すことなく書き綴った暴露本である。
ホセ・カンセコとアナボリック・ステロイドは、彼を語るうえで切っても切れない関係にある。
カンセコはステロイドを使用して驚異的な肉体をつくり上げ、抜きんでたパワーとスピードを発揮して史上初のシーズン40本塁打40盗塁を達成するなど、メジャーリーグでトップの選手として活躍した。
それだけでなく、カンセコはステロイドの伝道師として、メジャーリーグにおけるステロイド使用蔓延の淵源となった。
ところでホセ・カンセコのWikipediaのページには、この『禁断の肉体改造』について次のような記述がある。
随分おちゃらけた口調だ。
確かに、大枠においては、この要約は間違ってはいないし、この暴露本の性格をよく捉えている。
しかし、一つ言えることは、少なくとも日本で出版されたこのベースボール・マガジン社の翻訳版において、カンセコの語り口は真剣そのものだ、ということだ。
カンセコはステロイドの使用を推奨する。そして、ステロイドを「未来そのもの」であるとまで言い切る。
カンセコは、ステロイドは「正しく」使用しなければならないと強調する。
彼はベースボールにおけるアナボリック・ステロイドの「ゴッドファーザー」を自認する。
1984年にステロイドの使用を開始したカンセコは、翌年のメジャーリーグデビューと共に球界にステロイドを持ち込み、他の選手たちにどうやってステロイドやヒト成長ホルモンを使用するのかを教えた。
ステロイドの使用とウェイトトレーニングとは、ワンセットである。
同時にウェイトを開始し、筋肉の増強に努めることが、ステロイドの正しい使用法だとカンセコは語る。
カンセコの成功を目の当たりにしたメジャーリーグの各球団は、新しいボールパークの建設のたびに、最新のウェイトトレーニング施設を備え付けるのが恒例となった。
そこには、ステロイドの使用が前提条件にあった。
ステロイド界のゴッドファーザー
この『禁断の肉体改造』が2005年に出版され、暴露本として注目を浴びたのは、カンセコ自身のステロイド使用だけではなく、彼がステロイド界の「ゴッドファーザー」として各球団の主力選手にステロイド使用のイロハを教え込んだことを赤裸々に物語っているためだ。
中でも、マーク・マグワイアへの提供は決定的だった。
80年代後半から90年代初頭にかけて、ホセ・カンセコとマーク・マグワイアのコンビはオークランド・アスレチックスを象徴する「バッシュ・ブラザーズ」としてメジャーリーグを席巻し、二人の勢いを駆ったアスレチックスは1989年のワールドシリーズを制した。
1986年から、カンセコがシーズン途中でトレードされた1992年シーズンまでの間、このコンビがアスレチックスで放った本塁打は446本に上る。
もちろんカンセコもマグワイアも、もともと豊かな才能を持ったバッターであることは間違いない。
ステロイドは、バットとボールのコンタクト能力、いわゆる〈ハンドーアイ・コーディネーション〉には作用しない。
マグワイアが新人時代に放った49本の本塁打が、薬によるパフォーマンス向上のためではないことをカンセコは認めている。
しかし、二人を並の一流打者から、球界を代表するスラッガーへと押し上げたのは、アナボリック・ステロイドの効果だったこともまた事実である。
カンセコは次のように語る。
「バッシュ・ブラザーズ」の活躍はステロイドの投薬によって支えられていた。そしてその情報は各選手にも伝播した。
こうして1990年代に入ると、薬物使用の流れはさらに加速し、メジャーリーグ全体に蔓延するほどになる。
カンセコは、メジャーリーガーが次々にステロイドを服用し、体力の増強に努めるようになったのは必然の流れだったと語る。
1994年、メジャーリーグの選手会はストライキに突入し、ついにはワールドシリーズ開催中止という信じられない事態にまで至った。
このような混乱の中で、メジャーリーグの人気は地に落ちた。
危機的な状況を打開するには、とにかくホームランが必要だった。
野球の華であるホームランによって、アメリカンフットボールやバスケットボールに流れてしまったファンの熱気を取り戻すことができるか。
ホームランこそが、MLB復活の起爆剤だった。
そしてそれは現実のものとなる。
1998年、マーク・マグワイアとサミー・ソーサのホームラン王争いに全米が熱狂した。
この年、マグワイアがマークしたのは70本。ソーサは66本。それまでのロジャー・マリスの61本を大きく塗り替える驚異的な記録であった。
丸太のような腕で次々と本塁打を量産するマグワイアの姿を覚えている人は多いだろう。彼のヴィジュアルには、それだけのインパクトがあった。
そして選手たちにとっては、自身の成績は死活問題である。
ステロイドを使用することで数百万、数千万ドルの契約が勝ち取れるのであれば、だれがそれを前に踏みとどまることができるだろうか?
メジャーリーグにおけるステロイドの蔓延は、必然の結果だった。
ボンズ、ジーター…他選手への評価
本書でのカンセコはある意味「怖いものなし」の状態であるらしく、現役かそうでないかに関わらず、どの選手に対しても、ぶっちゃけたコメントを残している。
興味深いものもあるので、そのうちのいくつかを取り上げる。
デレク・ジーター
…「ステロイドなしなのに一線級でやっているジーターには脱帽する。ステロイドをやっていたなら、彼はもっといい選手になっていただろう」(196頁)
主要打撃タイトルを獲ることはできなかったが、20年もの長きにわたり名門ヤンキースのショートストップとして活躍しつづけたジーター。カンセコの「ステロイドなし」のお墨付きは、ヤンキースの象徴だった彼の功績をさらに偉大なものにするだろう。
バリー・ボンズ
…ボンズとカンセコとは、2000年2月にラスベガスで行われたホームラン競争で顔を合わせた。当時116キロ、筋肉が最高度に発達していたカンセコの肉体を見て、ボンズは「いったい何をやったらそんなになれるんだ?」と言った。
そして翌2001年、ボンズは18キロも筋肉を増量した身体でキャンプ地に現われ、このシーズン73本のホームランを放った。それまで彼は15年のあいだ49本以上のホームランを打ったことがなかったにもかかわらず。
リッキー・ヘンダーソン
…アスレチックスでのチームメイトだったリッキー・ヘンダーソンに対して、カンセコは賞賛の言葉を惜しまない。ヘンダーソンはリーグ屈指の好打者で、MLB歴代1位の通算1406盗塁という空前絶後の大記録を成し遂げた。
「彼はこのゲームで最高の選手のひとりだし、おそらく史上最高のリードオフ・マンだろう」(244頁)
ジョー・トーリ
…カンセコのヤンキース在籍期間はわずか2ケ月と短く、目立った結果は残せなかったが、この2002年ヤンキースはワールドシリーズを制し、カンセコはチャンピオンズリングを手に入れた。
カンセコは監督だったトーリに関し、「彼は私に対してきちんと向き合ってくれた」と尊敬の念を口にしている。
ジョー・トーリはヤンキースを計4度ワールドシリーズ制覇に導いた。また、松井秀喜在籍時の監督としても知られている。
ジェイソン・ジアンビ
…驚異的な体格でホームランを量産したジアンビがステロイダーであったことは周知の事実だ。しかし、カンセコはジアンビのステロイドの使用法が間違っていたと断ずる。ステロイドはウェイトトレーニングとの併用によって初めて効果を発揮するのであり、ジアンビはそれを怠っていた。
確かに、ジアンビの成績は2002年のヤンキース移籍以降、低下傾向にあり、アスレチックス時代のような高打率を残すことは出来なかった。
波乱万丈の私生活
この自伝を読んでいると、カンセコがどのような人物かがくっきりと浮かび立ってくる。
天性の明るさを持っているが、それでいて繊細で、周囲の人の目を気にしがちなところがある。
しかし決して韜晦することのないそのスタンスは、自身を語るものとして、語り手として適している。
ホセ・カンセコは1964年、キューバ・ハバナに生まれた。親が反カストロ派だったことから幼少時にフロリダに移り住み、キューバ移民としてアメリカで育った。
自身がキューバ系であり、少なからぬ差別を受けたことはカンセコの心に傷を残しており、本書の中で幾度もそのコンプレックスを打ち明けている。
キューバ移民がアメリカで夢を掴むためには、野球しかない。そう父親から教え込まれたカンセコは必死になって野球に打ち込み、双子の兄であるオジー・カンセコもMLB選手となり後に近鉄バファローズに入団した。
そして「バッシュ・ブラザーズ」としてコンビを組んでいたマグワイアが欧州系の白人であることで、キューバ系の自分とは扱いに差があったことに不満があったようだ。ステロイド批判のやり玉に挙がるのはいつも自分であり、マグワイアにその矛先が向かうことはなかったという。
キューバ系の自分はあくまで「客寄せパンダ」の扱いであり、真にファンに愛されていなかった、とカンセコはこぼしている。
またカンセコは、派手な私生活についても明け透けに語っている。
一人目の妻はミス・マイアミ。二人目の妻はクリーブランドのフーターズのウェイトレスだった。どちらもその容貌を一目で気に入ったカンセコがアタックし、結婚した。
夫人のほかにも多くの浮名を流したカンセコだが、特に有名なのはマドンナとのエピソードだ。
1991年、カンセコはすでにMVPを受賞しメジャーリーグのスターになっていたが、マドンナが自分に会いたがっているという話を耳にする。
そしてハリウッド・ヒルズのマドンナの自宅を訪れ、二人の時間を過ごした。その後も毎日のように電話がかかってくるようになったが、それを聞きつけたパパラッチが騒ぎ立てたため、この年のうちに二人の関係は終わった。
カンセコは、同じ部屋で二人きりで時間を過ごしたことは事実だが、マドンナとの間に肉体関係はなかったと断言している。
この本のトーンから言って、このことは真実であるように思われる。
Wikipediaには、「マドンナと不倫関係にあった」と記載されているが、どうもこのことは事実ではないようだ。
実際に調べてみないとわからない事柄は、世の中には多い。
単なる「暴露本」を超えて
『禁断の肉体改造』出版後も、カンセコは〈お騒がせ男〉として本領を発揮しつづけている。
MLBのスターであったカンセコは根っからのエンターテイナーであるらしく、メジャーリーグを離れたあとも独立リーグでプレーを続け、さらにはボクシングや総合格闘技の試合にも出場した。2009年には来日し〈DREAM.9〉に出場。チェ・ホンマンに1R1分17秒でKO負けを喫している。
とにかく、ホセ・カンセコという男は面白い。
本書『禁断の肉体改造』は単なる暴露本であるだけではなく、カンセコの半生と当時のメジャーリーグを巡る興味深い証言を知りたい者ならば、一読の価値があるものだ。
(※本書の著者は「ホゼ」・カンセコと表記されているが、本稿では現在の日本の慣例にならって「ホセ」・カンセコで統一した)
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