株式会社フラシェパンセ

心理療法・心理検査や、心理臨床的見地に基づいたコンサルティングなどを提供している小さな株式会社です。ときどき、中の人の徒然を書いたりしています。

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最近の記事

暴力性とinkludenz

暴力性に晒されると、暴力が展開している場に閉じ込められる感覚に見舞われる。もうそこからは二度と出られないような感覚である。「呪術廻戦」で呪詛師や呪術師が使う「領域展開」の如しである。かつてテレンバッハが唱えた"inkludenz"(封入性と訳される)は、これに近い感覚なのではないだろうか?と想像している。内因性鬱病を発症すると、限界から抜け出せない感覚に見舞われる。その果てに自死する人もいる。 暴力性は、そこに閉じ込められた犠牲者や生贄をとにかく逃がさないような構造を伴って

    • トラウマ再生産の果てに生まれてくる子どもたち

      トラウマに向き合うことから目を逸らし続けてきた国 既にご存知のとおり、この国は自ら生み出した甚大なトラウマと未だに向き合えていない。トラウマの存在は、政治によって揉み消されてきた。当然のことながら、政治家を選んでいるのは有権者であって、トラウマの存在否認を是認しつづけてきたのは有権者である。もはや国民的総意として「トラウマなど存在しない」という妄想が事実認定されてしまった。 国家的トラウマを解決しないまま、次世代が再生産され続けている 私もそんな病的国家の下に産み落とさ

      • イベント依存という病理

        日本人はイベントへの依存が深刻である。過去の歴史の中で最大最悪のイベントは「戦争」である。オリンピック・万博、果ては流行感染症騒動や甚大自然災害に対するお祭り騒ぎ&杜撰対応に至るまで、私にはどれもこれも「戦争への下準備」にしか見えない。 2002年に某球技系国際❝イベント❞が国内・隣国で行われたとき、某●谷が大騒ぎになった。当時私の職場は、B****amura通りを抜けた先にあったので、❝イベント❞になんの興味も関心もなかった私は、駅から仕事場へ行く道すがらでその騒動に巻き

        • 私を支えるフェミニズム概念とトラウマ構造に関する理解

          私は「多様性ガー!」という流行り言葉が蔓延する以前から、多様性概念を通じなければなかなか理解してもらうことが難しい人間でした。今でもそうです。言い方を換えれば、色々と弱い立場に置かれやすい存在でした。今でもそうです。 「弱い立場にいないと見られるためには、多数派であるかのようなフリをしている必要がある」ことは早い段階で解っていましたが、私にはそうすることができませんでした。それは多数派のフリをしている人たちがどうにも「本来の自己をかなり無理して抑圧し、自ら軽躁にダイヴしてい