暴力性とinkludenz
暴力性に晒されると、暴力が展開している場に閉じ込められる感覚に見舞われる。もうそこからは二度と出られないような感覚である。「呪術廻戦」で呪詛師や呪術師が使う「領域展開」の如しである。かつてテレンバッハが唱えた"inkludenz"(封入性と訳される)は、これに近い感覚なのではないだろうか?と想像している。内因性鬱病を発症すると、限界から抜け出せない感覚に見舞われる。その果てに自死する人もいる。
暴力性は、そこに閉じ込められた犠牲者や生贄をとにかく逃がさないような構造を伴っている。物理的には何ら拘束されていないのに、暴力性が介在する人間関係からは逃げられない感覚がかならず伴う。暴力性と無縁な状態でいると、暴力性に取り込まれている人を見るに「何故そこから逃げないの?」という素朴な疑問をもつことが多い。しかし、暴力性に取り込まれた犠牲者にとって、自力でその場から抜け出すことはかなり難しい。
暴力性は必ずしも「見てわかりやすい」暴力を伴う訳ではない。殴られたり蹴られたりして外傷ができたなら、一目で暴力の被害に遭ったことがわかる。しかし、暴力性の多くは見てもすぐにはわからない。特に、構造的な暴力性は、半ば「それが当たり前」のような支配的言説によって正当化されているので、ますますわかりにくい。
私も最近、発見の難しい暴力性に巻き込まれた。私に暴力を振るったのは、私の雇用者である。雇用者は某行政組織の一部である。彼奴らは役人然とした涼しい顔で暴力を振るってきた。
行政には、行政組織というだけで「まさか暴力は振るうまい」という言説が付いてくる。私はその言説によって、まず私自身を自責した。私は「よもや暴力を振るうまい行政に責任はなく、責任があるのは私の方だ」と思い込まされた。そして度重なる加害者による責任転嫁を鵜呑みにしようとした。
しかしながら幸いなことに、私の身体、厳密には私の自律神経系(ニューロセプション)が自責や鵜呑みを拒絶し、激しく抵抗した。私は暴力加害と己の身体が発する拒否反応との間で板挟みにされたが、その最中に己の身体の声のほうに耳を傾けることを選んだ。その結果、私は行政の加害性/暴力性に気付き、責任転嫁を激しく拒絶した。行政の不作為を指摘し、責任転嫁はハラスメントであることを指摘し、激しい身体の拒否反応の源泉は加害者側にあることを指摘し、反応が終息するまでは働かないことを宣言した。行政は長らく制度設計を怠慢している。その責任を私に転嫁してきた。そこで、然るべき制度設計を行い、その実効性が立証されるまでは働かないことを宣言した。私が提示した条件を行政が満たせるとはとても思えないが、正当な要求である。
このような過程を経て、私はようやく暴力の場から脱出した。それと引き換えに一つの職を失った。「職を失ってまで暴力に対抗するのは妥当ではない」というのも、行政に纏わりつく言説の一つである。その言説を否定し、暴力の場と完璧に訣別するために、私はさっさと仕事を辞めた。仕事を辞めてみると、不思議なことに暴力に巻き込まれる気が一切しなくなった。関係性で被害者を縛ることにより暴力性が成立していることを、体感的に認識した。私が責任転嫁を鵜呑みにし、行政の怠慢を私自身の機能性発露によって隠蔽したのなら、それこそ納税者の方々に対する暴力である。私には暴力の一端を担うつもりは毛頭ない。もちろん、私自身が暴力被害を受け続けなければならない筋合いなどない。
行政はかなり暴力的である。暴力の場に人を閉じ込め、それを搾取することで危うくも維持されている行政がある。それは維持されていると言える代物ではない。しかし閉じ込められた人々は、対抗の言葉を奪われてしまう。そのため異議申し立ては殆ど聞こえてこない。それが暴力性たる所以である。そして異議申し立てが聞こえてきさえしない限り、行政は機能しているように見えてしまう。そんな訳はない。被害者がただひたすらに沈黙させられているだけである。
私が責任転嫁されていることに気付くまでの間、私は一人ぼっちの空間に閉じ込められ、誰にも接触できないような感覚に見舞われていた。私は完全に孤立していた。それがinkludenzたる所以である。しかしその最中に、いつも私の自我を支えてくれている人物が脳裏に思い浮かんだ。彼らに接続することで、私は孤立から脱出することができた。
私もそういう存在でありたい。
私もまた、誰かが閉じ込められているときにこそ接続可能な存在でありたい。
暴力性は至るところに偏在している。すぐ隣で暴力が展開されていても、まったく気付かないことも多い。私達は暴力性に対し、常に目を光らせておく必要がある。そして、暴力性に閉じ込められた人々が接続できるよう、いつも準備を整えておく必要がある。