舞踏は持続可能な表現媒体
昨年の秋、舞踏を知らない友人が私の踊りを観て
「自分だけを信じてるみたいだ」と言った。
前回の投稿でのトークライブ「舞踏とわたし」
この中でも身体感覚を追求している自分に気付き、私自身がいわゆる「ダンスジャンルの舞踏」をやってるつもりがない。そんなことを思っていると会場のオーナーであり、美術家の水谷氏と話をする機会を得た。
"舞踏はこういうもの"というカタチがあるわけではなく、時代と共に変わりゆくもの。本来、枠に納まるものではないよねっというところに共通理解として落ち着いた後
「Youさんの踊りは、間違いなく"舞踏"でしたよ」とも。
舞踏が生まれた時代を知る美術家に、そう言って頂けたのは何か伝わるものがあったのだろうか。
それが何故だかとても嬉しくて、やはり「舞踏」には縁があるなぁと改めて確信した。
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今日、3.11東日本大震災から10年が経った。
とラジオが教えてくれた👂📻
私個人としては、知人友人のように震災で価値観が変わったとか、生活を変えたってことは全然ない。
むしろ、昔も今も相変わらず「自分の感覚」を貫いてるなぁと気付かされた😄
・・・・・
震災があった10年前、当時の私は18歳。
高校を卒業して、社会人になる前の春休み🌸
先生や家族、友人達、周りにいる全員に1度は反対された進路を自分の手で掴んで、手応えを感じ始めていた。
自分のド真ん中を貫いて⚡確かな道を歩む感覚。これからの未来にワクワクしていた頃だった。
"反対"といっても実際はたぶん心配してくれていただけ。私を大切に思ってくれる人たちが、わざわざ私の不幸を望むと思う??
「それであなたが幸せなら、やってみたらいいよ😌💞」そうやって共に歩んできた👣
・・・・・あれから10年。
当時の進路先はとっくに辞め、私の選択が正しかったのか間違っていたのかはわからない。ただその時々、方向転換しながら道を創ってきた。
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与えられた命を精一杯、生ききる。
誰の為でもない、自分自身に正直にいること。
ただただ生かされていることに感謝し
身近な人と分かち合うこと。
それは「型」があるわけじゃない。こうしたら幸せ、なんてマニュアルがあるわけじゃない。
だから、みんながみんな自分の人生に責任を持って向き合っていくしかない。
🙏
型がないなら創ればいい。
それは「舞踏」に共通する概念だと思う。
今、私は自分の生活全てを芸術に昇華したい。
"昇華"というからには個体ではなくなるということ。
自分の感覚や精神性をようやく伝えたいかたちで伝えられそうなわたしがここにいる。
ただ美しいだけでは済まされない、芸術の世界。
「生きる」ことには「死」が付きまとうように
ネガティブな要素もポジティブな要素も
全てここに"存在する"と認めることから始まる。
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最近よく目、耳にする
「サスティナブル」「持続可能」という言葉。
震災以降、持続可能な生活や活動を始めた人は多い。そう聞くと私には難しい、手の届かないものに思えた。
物質世界において方向性を変えていくことはそれなりの決意が必要で、同じくらい必要なことも理解できる。
続けている人たちの想いの強さはすごいものだし、それに関しては特出した方々がたくさん情報発信をしているから見よう見まねで試してみてもいいかもしれない。
今すぐに全部を変えることは自分には出来ない。
だからといってダメ出しする必要もない。
ただ、意識を変えていくことは今から、ここから、いつでも始められる。頭の片隅にちょこんっ🌱
そうすることで、自分の日々のスタンダードが少しずつ変わっていく。私にとっては、その方がより自然で心地よい"持続可能な"選択だと思う。
自分が手の届く範囲をより好い未来に繋げていく。そういう感覚を、みんなと分かち合いたい。
🌏それが今の私の幸せ🍀
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