エヴァンゲリオンとは何だったのか?
見に行く前に、考察をまとめるメモ。見終わったあとで、大ハズシして悶絶する遊び。
注:万が一、考察が当たっていた場合、物語の核心に触れる可能性があるので注意。
エヴァとは何か?
エヴァとは、「大人の身勝手な都合に翻弄される、子供たちの物語」である。以上、終わり。
いや、冗談でなく本気でそう思ってる。
エヴァとは「大人の身勝手な都合に翻弄される、子供たちの物語」だ。数々の意味不明の不条理に、子供たちが何を感じ、何を選ぶのか?それがエヴァのすべて。
それ以外のすべての設定は、人型決戦兵器も使徒も人類補完計画も、みんなみんなフレーバーテキストにすぎない。あれはケーキのデコレーションなのだ。
すべての謎は代替可能な要素
つまりエヴァにおいて攻めてくるものは、べつに使徒でなくてもよいのだ。怪獣でも異次元人でもよいし、いっそ社会不況や洪水でもかまわない。それでもエヴァは成立する。
人類補完計画も、ガフの扉も、ネブカドネザルの鍵も、なんでもかんでも。あれらは「意味不明の小難しい単語」であれば、なんでもよいのだ。
大事なのは、「大人たちが、まったく理解できない会話をしながら、意味不明な事情と大義をかかげ、理不尽に子供たちを巻き込んでいる状況」そのものなのだ。
エヴァという物語では、子供たちがかかえる事情や思いは置き去りにされ、子供のSOSは大人たちに届かない。大人たちは、まったく意味不明の言葉を振りかざし、子供たちに意味不明な行いを強制する。
だからエヴァンゲリオンにでてくるすべての謎は、子供の目線でみた「大人社会の小難しい事情」のメタファーなのだ。
人類補完計画や使徒は、リーマンショックであり、借金の連帯保証であり、突然の転勤であり、親の離婚であり、リストラであり、強制的な小学校受験であり、タワマン購入による引っ越しと転校であり、そういった「まったく意味不明に、子供の人生を左右・強制する大人の事情」の象徴なのだ。そう、質問や意見を言おうとしても「アンタは言われたとおりにしていればいい」とシャットアウトされてしまう類の、家庭の問題だ。
エヴァという物語のなかで、各種設定や用語が説明されないのは、そのためだ。「まったく意味不明に、子供の人生を左右・強制する大人の事情」の象徴だから、それゆえにストーリー内で説明されずに展開されるのだ。
あらゆる設定は「子供の目線」の体験装置
各種の大人の事情を、人類補完計画の設定にくるむことには、もうひとつ意味がある。それは、「大人の賢しげな不条理」が意味不明なフレーバー単語に包まれることで、もう大人になってしまった僕らも、シンジ達と同じ視点(意味不明に振り回される視点)を疑似体験できる点だ。
この予測・解釈が正しかった場合、シン・エヴァンゲリオンでも各種の謎は、放置されたままだろう。エヴァンゲリオンの各設定の機能は、「謎であること」「意味不明であること」そのもの。説明してしまったら、その機能と役割を失ってしまう。だから、答えなど提示されない。
ググっても辞書引いても、宗教関係者にきいてもサッパリわからないことにこそ、意味と役割があるのだ。
そんなわけで、監督が見せたいのは、「意味不明な大人の事情に翻弄される子供たちと、彼らが何を感じ、何を選ぶのか」なのではないかなと思う。
隷属するのか(綾波)、逃げるのか(シンジ)、無理に大人になろうとするのか(アスカ)、大人になることを拒否するのか(マリ)、諦めるのか(カヲル)のか...あるいは新しい選択をみつけるのか。
大人に翻弄されつつも、大人とどう向き合い、自分たちがどういう大人になろうとするのか?それがエヴァンゲリオンの中心であり、それ以外のすべては、謎のまま残るフレーバーテキストとマクガフィンにすぎない...という結論になった。
シン・エヴァンゲリオンみたあとに、大外れで悶絶するかもしれないが、そういう風に理解した。
<追記>視線と眼帯の話
もう一つ、エヴァQで印象的だったのは、登場人物の視線。
Q劇中の大人は、誰も視線をあわせてくれない。身体的にもっとも近しい父親も、精神的にもっとも近しいミサトさんもバイザーつけて物理的に視線を遮断してる。リツコさんは背を向けてる。唯一視線をあわせてくれる大人は、冬月副指令だけなんだけど、彼は「大人として主体的にふるまうこと」から降りて、傍観者たる老人になってる。
運命の子供でも、アスカは眼帯して半分視線をシャットアウトしてる。つまりエヴァQでは、アスカは「半分だけ大人」扱い。もともとチルドレンの中でアスカだけが、歪ながらも「大人になろうと頑張る」という方向性を持つチルドレンだった。だから現状、アスカだけが大人側にまわる資格を持つ。
だけどエヴァの呪縛(物語設定的にも、商業的理由でも)のせいで、アスカは映画完結まで大人にさせてもらえない。だから半大人としての眼帯であり、だから怒ってる。そして大人として、シンジとの交流を拒否し、理不尽をつきつける側になってる。
Q全体が、「大人の身勝手な都合に翻弄される、子供たちの物語」の明確化。大人との断絶、理不尽が本気をだしてきたパートと考えてもよい。
あわせて14歳に固定されたアスカは「エヴァを卒業させてもらえず次にすすめない監督の葛藤」の分身であり、アスカにブチ切れられているシンジは「シンゴジラとかやって完結を後ろ延ばしにしてきた監督」の分身...なのかなと思う。エヴァの呪縛は、チルドレンだけでなく、エヴァから卒業させてもらえない監督や、視聴者までもまきこむ大きなワード。
まぁ、そんなわけでシン・エヴァンゲリオンがしっかり完結し、シンジ君が大人とコミュニケーションとれるようになれば...父親もミサトさんも、バイザーはずれて視線をあわせてくれるかもしれない。アスカも大人になれるし眼帯が外れる。
シンジ君が大人になれれば、子宮や臍の緒としてのエヴァンゲリオンも、プログレッシブナイフもいらなくなる(90年代は子供がナイフを持つ時代だった)。
逆にバッドエンドの場合は、アスカがバイザーつけたりするのかなと。旧劇版のラストで、アスカがコミュニケーションを拒否して「気持ち悪い」と終わらせたのもそういうことかなと考えてる。
視線の話は、エヴァの各種ガジェットの話ほど自信はないけど、おおまかそういうことかな・・・そんな感じで理解してる。
そして…上映後の答え合わせは、こちら!!!
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