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集団主義(安心社会)からの脱出が難しい理由:信頼概念についての誤解と対策

ここまで、崩壊しつつある日本企業の集団主義(安心社会)に安住していると、新たな職を見つけることが難しくなると論じてきた。さらに、安心社会は長続きしそうにないこともわかってきた。


この見方に賛成するとしたら、次の疑問は「長年安住してきた安心社会から抜け出して、新たな社会に移ることは簡単か?」ということになるだろう。

今回は、実は安心社会からの脱出はそれほど簡単でないのだ。その理由について検討してみよう。

安心社会の外に出るのが怖い理由

大手企業の社員は、少なくとも定年を過ぎるとその会社の集団主義の保護対象ではなくなり、社外に放り出される。こうなると、その(元)社員はどうなるだろうか?

それまで所属していた集団主義社会のメリットは、社会のシステムが「安心」を保証してくれることである。このメカニズムのおかげで、日本人は相手から裏切られる心配をすることなく、経済活動に専心できてきた。

しかし、このことが日本人がお互いを信頼し合っていることを意味してはいない。このことこそが、集団主義脱却時の全ての問題の起源なのだ。

日本のような閉鎖社会では、仕事相手を裏切るとあっという間に悪い評判が広まる。その結果、その後のビジネスにおいて大きな損をすることになる。

だからこそ、日本のビジネス社会では口約束であっても相手が身内であれば、その契約が必ず守られると信じることができた。これは、社会が提供する仕組みであって、相手を個人的に信頼しているから保証されることではない。

この集団主義社会が崩れつつある時に、その外の開放社会に出てビジネスをしようとした場合、こうした安心のメカニズムが存在しないことは自明である。それを補うためには、別の手段が必要となる。

アメリカのように、他人と一緒に仕事をする場合にはいちいち契約書を作る必要がある。さらに相手が契約書通り行動する保証はないから、最悪のケースに備えて、相手に裏切られるリスクをつねに考えて行動せねばならなくなる。

ビジネスをする上で、これではあまりにも非効率である。これを避けるための知恵が必要となる。

それに対して個人ができることは、予め予想されるビジネス上のリスクを最小化しておいて、その後は心配するのをやめて行動することである。つまり、ビジネス・リスクが非常に小さいと考えられる人を選び、その人を「信頼」して行動するのである。

閉鎖社会から安心メカニズムが存在しない開放社会に出たときに必須となるのが、人を「信頼する」(リスクが少ない人の見当をつけ、その人たちだけと付き合う)スキルなのである。長年安心社会に安住していた人にとっては、このスキルに馴染みがないので外に出るのが怖いのである。

ビジネス上必要な信頼とは何か?

では、どうすれば、このスキルを身につけられるだろうか?そのためには、ビジネスにおける「信頼」が何を意味するかを理解しなければならない。

まず最初に注意すべきことは、ここで取り扱う「信頼」は直感的な信頼概念とはかなり異なるということである。必要とされるのは、過度にリスクに気を取られることなくビジネスを円滑に行うための潤滑剤として機能する「信頼」なのである。

このことを理解するために、非常に面白い文化人類学的な知見を紹介しておこう。紹介するのは、立命館大学教授の小川さやかさんが自分の博士論文をもとに書かれサントリー学芸賞を受賞された「都市を生き抜くための狡知 タンザニアの零細商人マチンガの民族誌」である。

タンザニアは発展途上国で、先進国から輸入された古着を転売する商売が成立している。マチンガとは、輸入された古着を卸売商から仕入れ路上で販売する零細商人のことである。

古着は紐で括られたまとまりのまま小売まで流通するので、まとまりの中には高値で売れるものとボロとが混在している。財力のないマチンガは、まとまりを総計いくら以上で売るという条件で卸売商からタダで仕入れ、それらを売った後で条件を満たした額を卸売商に納めることで生計を立てている。

マチンガはありとあらゆる手管を使って、古着のまとまりをボロも含めて高く売ろうとする。必然的に口が上手くなる。上手くならないと生きていけない。

しかし、いつも運よくよく売れるとは限らない。その時は卸売商に売上の条件をまけてもらう。もっと売り上げが低いひどい時には、卸売商に食事や生計費を恵んでもらうこともある。

口のうまいマチンガは、本当は売れているのに売上を低く申告し、サヤを取るなどのことまでする。このような恩恵と裏切りがありながら、卸売商とマチンガの間には何の社会的拘束力もない。

その結果、思わぬ高値で売れた時は、マチンガは卸売商に代金を払わず他都市に持ち逃げすることもある。そして、何ヶ月後に何食わぬ顔で戻ってきて、再び同一の卸売商との取引を復活させることもあるという。

日本のような社会に慣れた身には、何でもありの信頼など全くない荒唐無稽な社会に見える。しかし、このような社会でもそれなりの「信頼」が存在するというから話が面白い。

上述の顧客や卸売商から言葉巧みにお金を掠め取ったり卸売商から施しを受けたりする能力は、「ウジャンジャ」と呼ばれる。これは、盗みとは区別される。スリや泥棒は「悪いこと」であるが、「ウジャンジャ」は「悪いこと」ではないのである。

そして、卸商人は「ウジャンジャ」があるマチンガを「信頼」するのである。逆に、売上金額を正直に申告するだけのマチンガは信頼しないのである。

その理由は、たとえ持ち逃げされるリスクがあっても、顧客や卸商人からお金を掠め取る能力がある(販売能力が高い)マチンガと付き合った方が、卸商人の総収入が増えるからである。馬鹿正直なマチンガでは、この世界でとても売上を上げることはできないのである。

独立後の社会主義経済の混乱を経て、タンザニアの路上商人の世界では、長い時間をかけて「ウジャンジャ」に関する共通理解が形成されてきた。

正直者とだけ付き合っていれば、裏切られないので1回あたりの取引コストは減るかもしれない。しかし、そうすると「ウジャンジャ」のあるマチンガからの総収入を失うという機会コストを払うことになる。このような経験則が、彼らの行動指針となったのである。

以前に以下の記事で、掟を守る仲間だけと付き合い取引コストを減らそうとしたマグリブ商人よりも、裁判所などを整備して広く使い合いを拡げるという機会コストを重視したジェノヴァ商人の方が長く生きながらえたと述べた。それと全く同じ理屈が、形を変えてここでも成立しているのである。

これが、ビジネスにおける「信頼」の意味である。

通常の世界では、信頼と「取引コスト」の削減(1回ごとの裏切られるリスクを削減する)が直感的に近い意味を持つ。それに対し、ビジネスにおける信頼は「機会コスト」(長期的な総収入が減るリスク)の方を重視する点が異なるのである。

この信頼の意味の違いがなかなか理解できないので、安心社会の日本企業を離れた時にビジネスを続けることが難しくなるのである。

信頼関係を構築するために必要な2つのコペルニクス的転回


必要とされる「信頼」の概念が理解できたとしても、集団主義の企業の外に出る時に効果的に信頼関係を構築をするスキルがないと外に出るのが怖くなる。そこでの最初にして最大の問題は、社会全体ではなく個人がお互いに目利きしないとビジネスができないということである。

この第一のコペルニクス的転回が理解できたとして、どうすれば信頼関係が構築できるようになるだろう?

これについては、チリのアジエンデ政権で若くして財務大臣を務めたフロレスが共著者となっている「信頼の研究」という本が参考になる。

フロレスは、ピノチェトのクーデターでアジエンデ大統領が自殺し、自らはアメリカに亡命を余儀なくされるという悲痛な経験を経てコンサルタントとなった人物である。彼は、この経験からをもとに人生の要諦は「信頼」を築くことであるとして、信頼の概念を深く研究している。

その本の最初の部分では、信頼について以下のように述べられている。

  • われわれは、数ヶ月あるいは数年の快適な関係の後、無意識に相手を信頼するのではない。我々は信頼することを決めるのだ 

  • 我々は信頼を信頼するかしないか、またいつそうするかしないかを決め、その結果は甚大である。それが、信頼を信頼することから始めることの必要性を示すものである。

  • 重要なのは、信頼(すること)であって、信頼に値するかどうかではない。実際的な問いは誰が信頼できるかではなく、いかにして信頼するかである。(信頼は単に稼ぎ出されるものでない。与えられるべきものである。)

  • 人々を信頼することは彼らの責任感(あるいは誠実性)を当てにすることである。つまり、彼らが信頼を裏切ることを選ぶかもしれない可能性は認めながら、彼らは信頼に値する方法で行動することを選ぶと信ずることである

つまり、信頼関係は自然に構築されたり誰かに信頼されるという受け身のものではなく、自らが誰かを信頼すると決めることで始まる能動的な行為の結果なのである。

これが、信頼についての第二のコペルニクス的転回である。

最初に述べたように、ビジネス・リスクが非常に小さい人を選び、その人を「信頼して」行動するのである。そうしなければ、そもそもの目的である機会が増えないのである。

ビジネスで信頼する相手(顧客)を選ぶ=マーケティング

安心社会の外で、効率的にビジネスを始めようとする場合、この信頼の定義に従って行動することになる。すなわち、次の2つのことを行った上でビジネスを開始する必要がある。

  1. ビジネス・リスクが非常に小さいと考えられる人を選ぶ

  2. その人が裏切らないと「信頼」できるような関係になる

それ故、最初に行うべきは「誰を信頼するか」を決めることである。この相手はビジネスの取引相手であるから、多くの場合は顧客(あるいはサプライヤーだが、こちらについてはここでは触れない)である。

繰り返しだが、信頼すべき相手はビジネス・リスクが小さい人である。これは、決して難しいことではない。顧客として、問題解決に本当に困っていて助けてほしいと思っている人を選べば良いからである。

こちらが顧客の助けになれる限り、顧客は関係を断ち切ろうとはしない(ビジネス・リスクが小さい)だろう。これが、信頼と言う観点から見た、マーケティングの世界でいうターゲティングの意味である。

ターゲットを決めたら、次にその人たちが「信頼に値する方法で行動することを選ぶと信ずる」ことができるようにする必要がある。このためには、ターゲット顧客に自分が彼らの問題を本当に解決できることを伝えられれば良い。

そして、これはマーケティングにおけるポジショニングそのものである。

このように、ビジネスで信頼関係を構築できる相手を選ぶことは、マーケティングで効果的な顧客を選ぶことそのものであることがわかる。

マーケティングは、氏名が特定されない顧客一般に働きかけ信頼できそうな潜在顧客のリストを抽出する行為である。抽出の結果氏名が明らかになった特定顧客に対し、彼らの状況に合わせた信頼を獲得していく作業がまだ残っている。

それが、営業時に行うことである。これについても、どう信頼関係を構築してけば良いかが、次の本に示されている。

以上の作業は、会社を離れたら別の企業への再就職でも独立でも、いずれにしても必要になることである。その具体的な実行方法については、稿をあらためて別途議論することとしたい。

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