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走ることで得られたもの #想像していなかった未来
投稿コンテスト「#想像していなかった未来」のエッセイ作品です。
1 東京マラソン出場が決まって
私は昔から、走ることが好きだった。
小学校の期間限定陸上部では、長距離選手。
中学校では野球部に入ったが、一番好きな練習は冬の走り込み。
高校では陸上競技部に入り、競技としての長距離種目を楽しんだ。
大学で部活を続けなかったことは人生で一番の後悔かもしれないけど、市民ランナーとして、フルマラソンやハーフマラソンを中心に走った。夜通しで横浜から箱根湯本まで走るイベントなどにも参加し、競技とは違った走る楽しみも味わえた。
そして社会人4年目、念願の東京マラソンに当選した。
簡単に当選できる大会ではないから、練習にも自然と力が入った。仕事もそれなりに大変になってきていたけど、長い距離の練習は休日にまとめたり、他の大会を練習に使ったりしながら、上手くやり繰りできていたように思う。
2 走りながら考えた 「人生とは」
そんなある日の練習。今でもはっきり覚えている。
その日は複数人で練習する機会に恵まれた。集団の最後尾で、集団で走る自分たちの姿を眺めながら、ふと思った。
「なんで、自分たちは走っているんだろう?」
ランナーなら一度は他の人から聞かれたことがあるであろう質問が、ふと自分の頭によぎる。走りながら、考えた。
他の動物たちは、きっと我々がいまやっているような走る練習はしない。最速の動物と言われるチーターでも、その最高速度更新のために努力はしないはずだ。持って生まれたスピードは凄まじいが、それはあくまで生きていくために備えられたもの。
だとすれば、いまこうして走っているのは、我々が人間だからできること。より速く、より長く走れるように、我々は努力をすることができる。たとえそれが、生きていく上で必要のないことであっても。実際に、フルマラソンを走り切れる走力なんて、生きていく上で必要ない。でも、人間はそれを追い求めることができる。
「人生とは、生きていく上で必要最低限以上のことをすること」
この言葉が降りてきた時に、ストンと腑に落ちた。感動した。もともと「人生」という言葉には興味があった。ただの「生」ではなく、「人としての生」。何が「人として」なのか。それは生きていく上で必要最低限以上のことをすること。言い換えれば必要のないこと、無駄なこと、やらなくてもいいことをすること。これらができるのが人間であり、これらをすることこそ「人生」ではないか。
別にやらなくてもいいマラソン練習をしていたからこそ、自分なりの「人生とは」という問いに対する答えに辿り着けたのだと思う。走りながら、自分なりの人生観を得られるなんて、まさに #想像していなかった未来 であった。
3 走らなかった時期を過ごして
走ることそのものが好きで、走ることで人生観も得られた。そんな私は、東京マラソンの後、走ることから遠ざかってしまう。今振り返れば単なる言い訳だが、要因は2つ。
1つはいわゆるコロナ禍。「不要不急」は控えるという大号令の下、マラソン大会は軒並み中止となった。「不要不急」の否定は、私の人生観の否定そのもの。精神的なダメージは大きかった。
もう1つは仕事の多忙化や私生活の変化。仕事では年々「やるべきこと」が増え、休日を犠牲にすることも増えた。「やらなくてもよいこと」が後回しになっていった。私生活ではコロナ禍に妻と出会う。半年でスピード婚をして、共同生活スタートから結婚式、長男の誕生、マイホーム購入、次男の誕生。ここまで自分のことよりも、家庭を優先してきた。もちろん、家庭については幸せを感じている。不満はないので、そこは述べておきたい。
そんなこんなで走らなくなって約5年。結果論だが、私はある日起き上がれなくなり、うつ病の診断を受けた。仕事も私生活も「やるべきこと」を優先し、「やらなくてもよいこと」は私の日々から消えていた。あの日腑に落ちた人生観など、もはや忘れていた。これも #想像していなかった未来 だ。
4 今とこれから
療養期間に入り、気が沈む日もあるけれど、だいぶ前向きに過ごせるようになってきた。エッセイを書くこと、本を読むこと、そして走ること。生活の中に「やらなくてもよいこと」を少しずつ取り戻すことができてきた。「やるべきこと」も大切だけど、それだけで自分が崩れてしまったら、家族を守ることもできなくなる。「やらなくてもよいこと」ができるくらいの余裕は常に持ちながら生きていくことが、「やるべきこと」を続けるためにも大切だと、あの日腑に落ちた人生観をまた違った感覚で捉えられるようになった。療養期間の初期に読んだ、三宅香帆さんの『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』にも、似たようなことが書いてあったと記憶している。
再び走ることを始めた今、改めてわかったことがある。
私は、昔から走ることが好きだ。
そしてこれからも、好きだ。これは、想像している未来だ。
その先の新しい #想像していなかった未来 に会える日を、楽しみにしている。