経験を全てチカラに変えて「失敗は最高の参考書!」
将来の夢は日本一の建具屋になる!
創業78年目、1945年4月1日に山口県にて祖父「藤山実」が建具店をスタート。
モノづくり(技術力)という中心部分を残しながら時代に合わせ業態を変容してきました。
父は丁稚奉公で身をおこし家具職人として修業を積み、祖父が始めた建具店の後を継ぎました。
私は5人家族の長男として生まれ、家業は自分が継ぐと小さい頃から自覚がありました。
小学校の文集に「日本一の建具屋になる!」と書き、将来は自分も父のような職人になることを夢みていました。
父の家具を作り上げる腕前は素晴らしく、私はそんな父をとても尊敬していました。
ですが、憧れる一方で職人気質の父の性分は
周りの人に厳しくもありその姿は幼い私にとって
ときに怖くも切なくもありました。
「あいつはポンコツや!まったく仕事ができん」
食卓で話す父の愚痴は永遠のように長く感じ
それを聞くたびに胸が傷んだのを覚えています。
私にとって反面教師となる苦い思い出ですが
それも含め私は父の後ろ姿を見て育ち
今の会社経営の糧としているのだと思います。
現場を知らないと仕事はできない!
高校を卒業してからは、半ば家から追い出されるように大阪の専門学校に設計を学びに行きます。学校以外の時間は、陳列棚の組立作業のアルバイト。
ここでの経験が
のちのFitrackの誕生につながります!
アルバイトの現場では、職人の怒号が飛び交うのを何度も目にしました。
どれだけ良い大学を出ても、現場を知らない設計士が書く設計図は「机上の空論」。
現場を知らない、ものを知らないということは
仕事をする上であってはならない。
小さい頃から父の働く姿を見ていたこともあり
モノづくりの本質的な部分を理解していたのだと思います。
嫌になるほど陳列棚の組立作業を繰り返し
現場での経験を積みました。
3年で会社が倒産!親に借金するも・・・
学校を卒業するタイミングでアルバイト先の会社の社長に
「会社を法人化するので来ないか?」と誘われます。
世の中はバブル時代。
専門学校で設計を学んでいたこともあり、設計会社から好待遇の誘いはたくさんありました。
それをすべて断りそのままアルバイト先の会社に就職。
将来は自分で会社を経営したいという夢に向かい、会社設立に立ち会うことができる会社に、20歳そこそこで取締役として発足メンバーに加わります。
会社は順調に大きくなりましたが、3年ほど経ったころ雲行きが怪しくなります。経営状態が悪くなり、社員に給料が払われず人がどんどん辞めていきました。
今辞められては困る・・・まだ若く情熱だけがあったこともあり、親に1,500万の借金をして会社存続に走り回りました。
ですがその大切なお金を当時の社長にギャンブルで使われ、泡となりなくなってしまいす。
ほどなくして会社は倒産。
社長も専務も、取締役メンバーも誰一人連絡がとれなくなり、一人残され会社の後始末をします。
会社が多額の借金を抱えていたため、怖い体験もしました。
借金の取り立て屋に軟禁されたり・・・
それはそれは、普通ではありえないことを数知れず。
会社設立から倒産、そして軟禁。
もう2度と同じ体験はしたくないと思う一方で、もしこの会社に入らず違う選択をしていたら、きっと今の私は無いと思います。
その後も、会社経営をする中で浮き沈みはたくさん経験してきましたが、この経験に比べたら「少々のことはかすり傷!」
そう思えるほど、私の価値観を大きく変えてくれた3年間でした。
失敗は最高の参考書!Fitrackができるまで
勤めていた会社が倒産後、仲間と一緒に会社を始めたのが23歳の時でした。
これまでの経験を活かし、大手スーパーやコンビニ、ホームセンターなどの店舗陳列棚やスチールメーカー品の施工を始めましたが、なかなか相手にされず、信頼して実績を積むまでに2~3年の時間がかかりました。
ですが、会社を発展させるためにはそのままでは物足りなく、オリジナル商品を生み出したいと本気で思うようになりました。
30歳の時に、採用した2人をきっかけに収納用品を取り扱う収納事業部を設立。
店舗の陳列棚から住宅の壁面収納に舵を切ったことで流れが変わりました。これまでは、店舗の什器を取り扱っていましたが、住宅の壁面収納を作ることで発想が変わり、長く使っていただけるよう耐久性や見た目にもこだわった商品開発に着手。
収納の知識がある社員を雇ったことで、暮らしの困りごとを解決する商品という視点が新たに生まれ、壁面収納で暮らしを豊かにするFitrackが誕生しました。
Fitrackはお客様はもちろんのこと、工事をする誰もが簡単に取り付けできるようになっています。
それは、陳列棚を何度も取り付けてきた現場経験からの気づき。
現場を知っているからこそ生まれた発想だと自負しています。
社員とともにつくる
株式会社藤山のこれから
商品開発においての失敗は苦しみではなくむしろ発見の連続!
初めから成功することなど全くなく、何度も失敗を繰り返すことは会社の大きな強みとなりました。
「失敗は最高の参考書!」
何度も失敗を繰り返しそれでもなお、作り続けるのは、会社を永続発展し続けていく覚悟を持ち前へ進んでいるからです。
過去、勤め先の会社が倒産したとき、働いている社員やその家族、取引先とすべての人が不幸になっていく姿を見たとき、会社は絶対に潰してはいけないと心に誓いました。
以来、なにがあっても会社を続けていく「覚悟」を持ち続け前へ進んでいます。
2025年に株式会社藤山は、創業80年を迎えます。
私のいまの目標は、前述したとおり会社を「永続発展」し続けること。
そのために「他喜力」(たきりょく)という言葉を大事にしています。
働くことを単なるお金儲けと考えてしまうと、人生は味気ないものとなっていしまいます。お金を追い求めるよりも、人のシアワセを考える。
自分の身近な人から、そして仕事を通して関わる全ての人の幸せを考えることこそ、新たなモノづくりのヒントが生まれ長く愛される会社として発展し続けるのではと考えています。
関わる全ての人が幸せになることを目指し、Fitrackは愛されるオリジナル商品として生まれました。
これからも更なる商品開発を目指し、社員一丸となって前を向いて歩み続けていきたいと思います!