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Rosen, Life Itself

研究室の学生に、Rosenの考えが、私の考えに近いのではないか、と指摘され、Life Itselfを読み始めた。

どうも、この書籍のロジックには問題があるとのことですが、結構正しい指摘もしていると思う。まだ、全部を読めてはいないのですが、5章のアリストテレスの因果に関する議論について、概要をまとめ、その問題点を指摘したいと思います。

アリストテレスの因果

アリストテレスは、4つの因果関係を分類しました。material cause, efficient cause, formal cause, final causeです。
material causeはどのような物質から構成されているのか?formal causeはどのような形に構成されているのか?efficient causeはいわゆる力による因果で、final causeは目的因と呼ばれるもので、アリストテレスの物理学からニュートン力学が取り除いたものです。(あるいは、科学から取り除かれたものですね。ダーウィンの進化論でも目的因を否定しています)

生物や意識(自由意志)の話をするとき、一番問題となるのが、final causeです。これは、ニュートン力学の観点(現状の科学の枠組み)では説明できない、というか、とても嫌われています。
物体は目的を持たないし、目的に従って動作しない。目的と呼んでいるものは、ニュートン的な機械論の枠組みに還元されるはず、というのです。

Rosenは、生物は機械ではない、ということを主張するうえで、このfinal causeの科学を構築しなければならないと考えたようです。
(似たようなこと考えている人は他にもいます。創発主義者、スペリーだとか、生気論のドリーシュだとか。こういった考えは物理主義者、たとえばクリックのような人たちに、ものすごい批判されましたが)

Rosenの議論

p. 139 

f → (a → f(a) ) 

という式において、f(a)を結果(effect)と考えたとき, a はmaterial causeに該当し、fはefficient causeに該当するとRosenは述べます。
それでは、final causeに該当するものは? fやa自体の原因ではないか?と考えています。

また、final causeがニュートンの観点で説明できないのは、ニュートンの観点では、常に、原因が結果に対して時間的に先行しますが、final causeは順番が逆であるように見える。つまり、目的に相当する結果が先行する点であると議論します。

final causeはニュートンの観点では説明することができないとRosenは主張します。(多くの人がそう考えているのは、科学者の多くが生気論を否定することからもわかります。Rosenはこの本で、機械(マシン)というパラダイムではFinal causeを説明できないことを証明しようと試みています。それが成功しているのかはよくわかりませんが、コンピュータではFinal causeを実現できないという結論は間違っていると思っています。理由は、コンピュータが可能なEntailementの関係はRosenが列挙したものに限られないと私は考えるからです。)

Rosenは、生物は機械に還元できないと主張しております。そしてRelational biologyという考えを提案しているのですが、このRelational biologyが具体的になんなのかいまいちつかめません。5章を読む限りでは、いわゆるEfficient causationに囚われると無限後退に陥ること、また、Final causationが時間という観点から見ると他の因果とは異なること、などを理由に、時間を消去し、抽象的な関係に着目した生物学を構築しようとしているのかもしれません。(私は、問題の本質は、数学的な「関係」と、機械的・物理的世界観の融合だと思っていて、機械的な世界観の排除ではないと思っています。これが正しいRosenの読み方かはわかりませんが。)

私は、Final causeは、時間をなくすのではなく、時間が逆になるような方法を考えるべきで、私は、それは、フィードバックループではなく、フィードバック制御ではないかと思っています。
フィードバック制御は、目標との差を観測して、出力の調整を行う制御です。まさに、Final causeのように、目標が、結果より先に先行するので、フィードバック制御が発見された当初は、目的因と結びつけられて議論されました。これによってFinal causeのようなものは定式化できるのですが、一方で、フィードバック制御に与える「未来の目標」の原因をどのようにentailするかという問題が生じます。システム自身が目標の原因となるための条件を明らかにするという問題があるのですが、それはさておき、Rosenのマシンモデルにはフィードバック制御の概念が含まれていないと思いました。そのため、証明の前提条件自体に不満を感じました。

所感

フィードバックループではなく、フィードバック制御を考えるべきだと、私は考えています。フィードバック制御では、誤差の観測にもとづいて、物理世界を制御することができます。
Rosenの定式化では、Relationに着目するとき、物が消えてしまっているように見えます。たしかに、構造間の関係を見る視点は大事なのですが、それでは、数学(圏論)とニュートン的世界は、孤立したままだと思います。

学生に言われた通り、確かに、Rosenの考えは、私が考えている物理に還元できない数学(関係・構造)という観点を生物に取り入れるという点で似ていると思いました。

また、fやaの原因を考えるというのは、ある意味、脳が感覚情報から言語を作り出して因果関係をモデル化するという記号接地のようで、妙な納得感がありました。(因果が自分自身にループするのもAgent causationみたいに見えました。)
fやaのような概念を、現実世界から「同化」し、現実を解釈することが、ロボットが意味を理解するということにつながるし、表現学習という人工知能の一分野のゴールでもあります。

私自身は、どちらかというと、生物とはなんぞや?というよりは、意識や随意性(自律性・自由意志)、ロボットで心を作れるのか、ということに興味があるので、Rosenと同じではないですが、非還元的な科学観を作りたいという点では同じだと感じました。
(一方で、非還元科学を嫌う人が多すぎるので、こういった話はなかなか受け入れられないというのが現実ではあるのですが)

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