「善」は必要ないのか
現状(っていうか、人が存在してからほとんどずっと…そしてこれからも)、大衆が「善」よりも、結局は「上手な幻想を好む」ために、本質から遠く遠く離れた「騙し・欺き」の方がほとんどの場合かなり都合が良いようだ。
そしてなんやこれ。
この騙しと欺きを「受け入れていくこと」、「身に付けていくこと」が「大人として」あるいは「人のあるべき理想の姿」として評価される(力がある、とされる者たちから)
はっきり言うてええか…。
わたしは…。
わたしは…、この、アホみたいな「前にならえの多いもん勝ち」現象にいつまでたっても馴染めないままだ。
大半の生きづらさは結局、そこから発生している。
(もっと用語の定義をはっきり示した方がいいが、なんとなく伝わったらそんでええわ)
大衆が好む幻想とやらを利用して狡猾に立ち回る、それが、まさに「知的である」とかぬかしてるニンゲン(輩)おるけど、結局私は馬鹿か何かなので、努力すらもできそうにないんだ。
助けてください。
おーいマキャベリ
なんとなく、伝わったら、それでいいです。