「なんとなく」その言葉のわたしの場合
なんとなく
これは、わたしが判断できない=はっきりとわからない、
ときに使う便利な言葉
わたしの場合、
なんとなくは、多く、逃げであると思う。
自分の気持ちを把握するタフさがない、逃げ
(自分の気持ちにきちんと理解せず諦める)
自分の気持ちを素直に表現できない、逃げ
(ほんとうはわかっていても、人の反応が怖くて明かせない逃げ)
そう、
わたしはこうやって、なんとなく、を使って
自分や他人の「真っ向」というものから逃げていた。
もしくは、いつでも逃げれる姿勢をとっていた。
(つまり、いたくない場所に無理していたのかも。。)
(自分の人生を操縦していない、放棄していたのは確か)
本音で生きる怖さと、本心のわからなさが重なってると思う。
はて、自分が一体今何を、どこに、何でそんなことを、
そういうことが癖になっていると、もう感覚もマヒするって言うか・・
認知症気味になっている気もする。
あぁ、完全に樹海に入った。。
あぁ、
あぁ・・・。。。
もう、自分が何を本当は思っているのか、
何も本当は思っていないんじゃないか、
その時の感覚で生きてりゃいい、
そう、何も考えていない、自分になっていた。
しかし、それは、自分を苦しめることになった。
時々光がみえる。
それは、本当は感じている感情
それが、どんな感情であっても、見えたときだと思う。
それが、隠したい感情だったら、なおさらかもしれない。
それが、本当は、光なんだと思う。
わたし、そんな気なかったんだよな~
ほんとは気が乗らなくて、でも行かないといけないと義務感が生まれていたんだよな~
ほんとうは、したくなかったんだよな~
でも、仲間のことは好きだから悪いなーって思っちゃったんだよな~
ほんとうに好きじゃないのに、悪いと思ってるんだよな~
行動が逆のことしている
本当は、気づいている。
本心に、気づいている。。。。。
そういう自分を、気づかずにいる、または、スルーしていると、
そう、逆の行動をしていると、求めていないことが起こる。
それがとても有難いことであっても!
逆の行動をしていると、気持ちのいい歯車とは違うちょっと
違う歯車が動き出す。
生まれた動き、そっちの歯車に乗せられ
ガチャン、
と違う方向へと自動運転であれれれと足を踏み入れてしまう。
それがすべて悪いわけではないけど、
もうすでに、自分の本心がわからなくなっている私の場合は、
人にはうまくごまかせても、
「負担」になっているだろうと思う。
そして、ごまかして生きるなんて、良くないと思う。。
今の私には、
わたしから私へは、
なんとなく。
その言葉でごまかさないで。
そういいたい。
はじめは、難しいかもしれない。
でも、
自分からどんどんかけ離れていく世界
そんな世界を生きていたら
大切な「こころ」がほんとうに何も感じなくなるよ。
ほんとうに大切な縁のある人とも、出会えなくなっちゃうかもしれない。
自分のこころ、感覚を、
どんなこころ、感覚でも、
人じゃなくて、自分だけには、教えてあげて、
そして、他人とわたしは違うんだから
無理しなくていいし、無理したって、お互い時間の無駄だし、
(ほかのひとの人生の時間がある)
だから、いちばん、いいこと。
それは、正直言って、恥ずかしい感覚でも、
自分を受け入れて、わかること。
どうか自分を、どんな自分でも、可愛がってあげて。
今まで十分、わたしは自分の気持ちを抑えてきた。
怖がってきた、
だからたぶん、自分の心が、気持ちが、わからなくなってきた。
でも、
大切なのは、抑えて、嘘をつくことで守って、生きることじゃない。
今さらって思ってる?
だけど、10年後、また同じことで悩んでたら。。そのとき自分は、
どんな表情してる?
気持ちをわかるって難しいよね。
でもね、自分の人生を歩むって、案外楽しいかもしれない。
今、どんなに非難されても、誰かとの縁が切れてしまっても
自分自身を大切にしないと、
ほんとうのつながりは出来てこないよ。
いちばんは、自分とのつながり、つながれたらそれだけで嬉しいと思う。
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