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タツ(辰)の語源はツタ(蔦)ではないか?


2010


駄洒落のようであるが漢字渡来以前のヤマトコトハであれば、音韻の組み合わせで固有名詞が増えるのではないか。
漢字の図像が持つ呪力“興”によって意味を考えてしまうことから一度離れる。


龍・竜  

「説文解字」                                                                                                  龍は鱗のある動物の長であり、幽くなることも明るくなることもでき小さくなることも大きくなることもでき短くなることも長くなることもできる。春分に天に昇り、秋分に淵に潜む。

「三停九似説」
三停→首から腕の付け根・付け根から腰・腰から尾
九似→角は鹿、頭は駱駝、耳は牛、目は兎、頂は蛇、鱗は鯉、腹は蜃、掌は虎、爪は鷹


タツ   

「ホツマツタヱ」
タツの子は千年の間、海に住み、防火鎮火の働きを会得します。
タツになったタツの子は、次に千年のあいだ、山に住みます。
ここで「タツ」の力の及ぼし方を学びます。
この後「タツ」の力の活かし方を、里に住んで千年の間、学ぶのです.
こうして“ミ・イキ”を悟ってはじめて「タツキミ」に成り得るのです。
※この話は巻物「九世戸縁起」にも伝わっているそうです。

富士山は幾度となく噴火してきていて、その噴火を抑えている
象徴が頂上の“このしろ池”に住む、「タツ」でした。
噴火を抑える力を持ち、防火鎮火の役割を担った自然神でした。

吉野裕子全集第5巻から
「竜押し」P94
>この新霊は五メートルに及ぶ藁蛇の形をとっていて、祭りのなかでは「竜(たつ)」と称されている。
>「竜押し」は、新霊を祖霊に合体させる儀式
>新霊と祖霊の問答の一節
 「さればにて候。山に千年河に千年海に千年の齢を保ちたる行体にてはるばる尋ね参り候のものなれば、・・・」


龍(りゅう・ろん)と辰(たつ)は同一ではない。


辰(タツ)龍田(タツタ)などと漢字表記されるが、音だけ抜き出すと
タツ・タツタとなる。タツタは前から読んでも後ろから読んでも同じ音韻になる。
タツがツタを逆さまにして生まれた固有名詞である説明をしているようである。

「タツ」「タツタ」には広辞苑・古語辞典数冊を調べたが意味の区分けはなく、どちらも辰を表わし、龍田姫、立田姫(タツタヒメ)・龍田川(タツタカワ)などの固有名詞に使われる。漢字の当て嵌めには無理が生じていないだろうか。

樹木に絡まる蔦(ツタ)は上に向かうにつれて細くなる。

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筆者撮影


蔦(ツタ)を生きものに例えるなら上方に頭がある生きものを想像する。
頭と尾・上と下の位置が変わる。
日本語は縦書きが基本。

ツ タ
タ→ツ

十二支
子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥
ね・うし・とら・う・たつ・み・うま・ひつじ・さる・とり・いぬ・い  

訓読み(日本語・ヤマトコトハ)


し・ちゅう・いん・ぼう・しん・し・ご・び・しん・ゆう・じゅう・がい 

音読み(中国語)

タツの読みは日本語・ヤマトコトハである。

日本では蛇を最高度に神格化した「タツ」を想像し、シナでは「龍」、
インドでは「ナーガ」、西洋では「ドラゴン」を想像していた。

「タツ」を漢字の「辰」「龍」に当て嵌めたのは誤訳である。


現代シナでは蛇は食用のため乱獲され減少している、文化の中にも蛇信仰はない。
唯一、少数民族“苗族”のみに伝わる習俗。

龍がいつごろ創出されたか、確かなことはわかっていない。

近年の研究では、8000年前に中国東北部で想像された可能性が指摘されている。

しかし、私見では日本には1万2000年以上前から蛇を神聖視した縄文土器が
作られている。

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千葉市立加曽利貝塚博物館


植物のツタからタツが想像されたとしたら大陸から龍が輸入される以前から
日本には「タツ」が想像されていたのではないか。

龍と蛇を分けた議論を見受けるが、タツ・龍は想像上の生き物であり、

元々の起源が蛇であり分類する必要はないと考えています。

連想アナロジー
“地面を這いまわる蛇の動態”と“樹木の根の成長・蔓の成長”が似ていること、そして樹木に絡まるツル・ツタが森の生成循環を司る姿により蛇は
「地の神」「山の神」になったのではないだろうか。
山は一年ごと、無尽蔵に果実などをもたらす存在であり、豊饒性のイメージを持ち、「地母神」となったのではないだろうか。
蛇の古語「カカ」「ハハ」=「母」と呼ばれるのはそのためではないだろうか。

樹木に絡まる蔦(つた)は意思を持った動きに感じられ(擬人化され)人間の想像力を喚起します。
樹木につたわって螺旋状に上昇して伸びるツタの形象から、そのまま空に飛んでゆき
「気象の神」になり「タツ」となったのではないでしょうか。
「タツマキ(竜巻)」にそのことがよく現われているように思います。

大阪府立弥生文化博物館で開催された「倭人がみた龍-龍の絵とかたち」では大陸からを伝えられた龍は日本にいつどのように受容されたのかをテーマに研究されていました。

大阪府池上曽根遺跡から出土した弥生土器に龍が線刻されています。
これが大陸から稲作と同時に龍が伝えられた証とされています。

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弥生式土器  池上曽根遺跡出土  弥生時代後期 弥生文化博物館蔵

しかし、頭や体から突出する魚のヒレのようなものは、中国の龍には見られないとも
書かれています。

弥生土器に見られる龍には中国で描かれる四足がなく、すべてヒレ状のもので
表されている。
弥生土器に線刻された図像は「龍」ではなく「タツ」ではないだろうか。

日本の「タツ」が「ツタ」から発想されたとすると手足がなく、ヒレのような表現は葉から連想された
のではないか。
線刻された図像は“藤の葉っぱ”によく似ています。

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ブログ「メタフォトグラフィーの世界」より掲載

弥生土器に描かれた、この程度の線刻を中国から伝えられた龍とするなら、
縄文土器にこそ神格化されている蛇を読みとるべきではないか。

蛇を最高度に神格化した図像化は中国が成功。
龍は大陸での歴代各王朝が周辺諸国の文化を飲み込み、
そのたびに龍を現す要素を増やし“九似”と呼ばれるほどのハイブリッドな図像を形成した。

そしてアジア各地に伝播した。

日本のタツは龍と混同され、明確な図像に発達しなかったために衰退していったのではないか。





タツの語源をツタではないかと思いついた時、
私の気持ちは「ずっこけた」というのが正直な気持ちです。
まさかそんなことはないだろうと思いました。しかし
里山でみる山藤が樹木に絡みつく様子は“生き物”を感じざるを得ません。
そのためタツの語源はツタであると確信しました。
私は「ずっこけた」感情よりも里山での確信を優先することになりました。

今回は、この「ずっこけた」感情を探ってみたいと思います。

参考にした本がこの本です。
本居宣長「うひ山ぶみ」 (講談社学術文庫)

この本は国学の大偉人が弟子に教えた学問の要諦とは 「からごころ」を排して「やまとたましい」を堅持することで、真実の「いにしえの道」へと至ることが学問の道である。という内容です。

話を戻すと、私の「ずっこけた」感情は漢意(からごころ)なのではないでしょうか?
どのようなことかというと、タツの語源を考えるならば
ドラゴンや龍、ナーガと同列に扱われるタツであるわけですから
もっと文字の画数が多く、意味ありげな由来をもとめてしまう気持ちが働いてしまいます。
ツタをひっくり返しただけのはずがないという気持ちです。

この気持ちこそが漢意特有の「虚飾」ではないでしょうか。
日本語の語源を探る場合は常に漢意に陥らない努力が必要だと思われます。

日本語の語源を探るなら
ヲシテ文献を読むための基礎が役に立つと思われます。
本来の日本語(ヤマトコトハ)に漢字の当てはめを行うと
本来の日本語(ヤマトコトハ)が内包している意味から
遠ざかってしまう。という考えが基礎にあります。
そのため単語の音から考えて、似た音や文字の組み合わせで意味を探る必要があります。
日本語の造語感覚は駄洒落や音の組み合わせで増えるのではないかと私は考えています。

次に言語は人と環境の関係から生まれ、言語は環境への順応と共に育っていくのではないでしょうか。つまり、砂漠から産まれた言語や草原から産まれた言語、海から産まれた言語、そして森から産まれた言語があるのではないでしょうか。

日本語はどのような環境から産まれたと考えるべきでしょうか?
私は明らかに“森から産まれた言語”だと思います。
なぜなら「言葉=言の葉=コトノハ」まず最初に植物の「葉(ハ)」が使われているからです。
そのためタツの語源は森の風景に関わりがあると思われます。



このテキストの目的は何か?

実は語源を探求することよりも
“日本における蛇の神格化の過程を再検討したい”という目的があります。

私は環境考古学者 安田善憲先生を尊敬していますが
“蛇から龍へ”という考えの一部分には疑問を感じています。
まず、“蛇から龍へ”とは何かを要約します。

縄文時代には原始蛇信仰があったであろうことは日本のみでなく世界的にみても確実だと思われます。そのため縄文土器の装飾は蛇を表していると考えられます。

次に蛇は大地の神であり大地母神でした。しかし農耕の発見により恵みをもたらす重要な要素は豊饒の大地ではなく、天候に重要度が移ります。
狩猟採集は大地に感謝しますが農耕は天に感謝します。
これにより「カミ」の居場所が変わります。

人間が指さす神の居場所は大地から天を指さすようになります。

そのため「カミ」であった蛇は空に飛び立たねばなりません。
螺旋をえがく気象状況は雨を降らせます。

龍の誕生です。

次に縄文時代から弥生時代の変化では稲作が渡来し、同時に龍が渡来した。

日本では蛇を信仰する土台があったため大陸からスムーズに龍が輸入された。
つまり日本人は蛇を信仰していたが龍までは想像できなかったということです。

ここに重大な間違いがあります。

龍が輸入される前から日本では「タツ」が想像されています。
現在においても「タツ」の語は存在しており完全に龍に置き換えられてはいません。
もし、龍が輸入されたのなら、そのまま名前は龍であるとおもいます。
別の想像の生き物である麒麟は麒麟のままで流通しています。

“蛇から龍”ではなく“蛇からタツ”です。

日本には何もなく、常に大陸の進んだ考えや技術を輸入したと考えるのは間違いです。
そのようなことは現代の日本とシナを比べても一目瞭然です。

このことを単純に考えてください。
“大陸はたくさんの事物を産み出した。そして日本もたくさんの事物を産み出した”ただ、それだけです。

鉄の精錬技術にしても日本独自の技術です。
漆も大陸由来ではなく縄文土器に塗られていました。

“龍が大陸から渡来した”という考えを一度ゼロベースにすべきです。

龍・タツ・ドラゴンは人間の想像力が産み出した図像であり美術界の課題だと思われます。
美術関係者が取り組むべき問題であり、使い古された・安定した図像ではなく再検討すべきだと思います。

タツが大陸の龍とは無関係に想像されていたとすると、タツと龍をしっかりと区別すべきです。
 もちろんタツも龍も蛇の神格化された姿ではあります。
しかし図像は微妙に違っています。

龍は早い段階から手足があります。タツには手足がなくヒレ状の突起が体にたくさんあります。
弥生土器に線刻された龍(私の考えではタツ)は水の神のため水生生物のヒレであろうと解釈されていますが、私はツタから想像されたための葉の名残であると考えています。

龍とドラゴン、龍とナーガが似てはいるけれども別の民族が産み出した別ものと考えられるように
龍とタツも似てはいるけれども別ものと一度考える必要があるのではないでしょうか。


※このテキストは国学者 池田満先生のブログにある「タツの事の解き明かし」から発想して書き始めました。

参考文献
「ホツマ縄文日本のたから」 池田満著 展望社

「倭人がみた龍-龍の絵とかたち」 大阪府立弥生文化博物館

「図説 龍とドラゴンの世界」 笠間良彦著 遊子館

2013.05.23.追記
①「蛇巻き」
http://www.photoland-aris.com/myanmar/near/n55/

もうひとつが吉野裕子全集第5巻からです
②「竜押し」
P94
>この新霊は五メートルに及ぶ藁蛇の形をとっていて、祭りのなかでは「竜(たつ)」と称されている。
>「竜押し」は、新霊を祖霊に合体させる儀式
>新霊と祖霊の問答の一節
 「さればにて候。山に千年河に千年海に千年の齢を保ちたる行体にてはるばる尋ね参り候のものなれば、・・・」

どちらの儀式もホツマツタエに書かれていることと重なる部分がありました。
そしてどちらも儀式のクライマックスは森の木に藁蛇を巻きつけます。
これは私が推論したタツの語源がツタである可能性を示唆していると考えられます。
まさに森のなかでは樹木に藤蔓が巨大な蛇のように巻きついています。その様子からタツが想像されたのではないでしょうか。


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