20190412

4月に入って毎日、喜怒哀楽全てを感じているような、感情的には忙しい日々を送らせてもらっています。

環境の変化やライフスタイルが一気に変わる手前というのはこんな気持ちにさせられるのかもしれません。


それでも今日は「哀」が強めでした。

親にエンターテイナーになるという夢の話をしても理解されないし、お金もかかることだし、そして何より自分のことで母と父と姉が言い合っている状態を見ているのはとても申し訳なくなります。

母が「絶対にお金のことは何とかするから、機会を手にしたなら腹くくって頑張って」と言ってくれてとても嬉しいのに、それと同時に心が痛む自分もいます。本気になれていないからかな。この勝負は負けたくないな。自分的に。

恥とかよく見られたいとかそんなレベルのこと、もうなんなんって。そんなものがあるから、今までの人生、歩みが遅かったのかなあとも思います。


文体ごちゃごちゃだけど。

どんな「哀」に包まれてる時でも、そういうことに心を乗っ取られて、やるべきことを疎かにしてはいけないと感じさせてくれる文章に今日は出会えて救われました。

お前が何か外にあるもののために苦しんでいるのであれば、お前を悩ますのは、その外なるものそれ自体ではなく、それについてのお前の判断なのだ。(八・四七)(マルクス・アウレリウス「自省録」より)

本がこの世にあったおかげで何日生き延びてこれたかなあ。昔の人がいてくれたから、いまこうやって存在出来ているのだと僕は思います。


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