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高校の教育無償化のねらい

 

国会での審議


 2月28日の国会の予算委員会の模様を視聴していた。質問者はれいわ新選組の大石議員。大石議員の発言によると、教育無償化という政策をとると、結果的に公立高校がどんどん潰れていくことになるのではないかということだ。

 公立も私立も区別なく無償化になると、子ども(保護者)はどちらの学校を選択するだろうか。おそらく、どちらも無償なら私立にという子どもや保護者が多くなっていくのだろうと思う。

 大石議員によると、実際に大阪府では人口減少により質の高い教育機関が生き残り、入学希望者の少ない公立高校はどんどん淘汰されていっているという現状があるということだ。

 私が以前、NOTEの記事(「ゆがめられる教育」「学力学習状況調査の弊害」)の中で紹介した著書『崩壊する日本の公教育 鈴木大裕 集英社新書(2024)』『新自由主義と教育改革 髙田一宏(2024)』にも同様のことが述べられている。

無償化政策の本音


 子どもや保護者のためを思って無償化という政策を掲げ、推進するのであればそれはとてもよいことだ。しかし、無償化を推進しようとしている某野党の取り組みの現状を見ると、どうもそれが真のねらいではなさそうに思えてくる。

 本音は、公立高校を淘汰し、浮いた財源をほかの政策に回す、こういう意図があっての無償化なのではないだろうか?

 公立高校の中には、少人数であっても特色ある教育課程を工夫し魅力ある学校づくりを進めているところもある。不登校の生徒の受け皿になっている公立高校も多いと聞く。

 このままでは、無償化によって公立高校が淘汰され、子どもが通いたいというのに通う学校がないということになりはしないか。

 無償化政策を信じてよいのかどうか


 十数年も前に私の息子たちも公立高校を卒業した。私立高校のように入学金や同窓会への多額の寄付など(があるのだろうか?)はなかったが、授業料だけではなく、教科書や学用品だけでも相当な出費があったということを記憶している。小学校教員だった自分からすると、このお金のかかり方が「義務教育ではない」ということなのだと実感したものだ。
 
 だから、無償化によって授業料だけでもかからなくなるのなら保護者にとってはありがたいということにちがいない。

 ただ、単に学費がかからないということだけに目を奪われて、高校無償化にもろ手を挙げて賛成していって本当によいのだろうか。

 大いに疑問が残るところである。

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