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鯨の轍〜新入り埋文調査員の日々〜 第4話

 時間の猶予はない。急いでかずら橋の袂まで戻り、道路を川下へと下っていく。
「あっ、あった。川原だ」
 緩やかにカーブを描く道路下に石の川原が見えた。ガードレールから覗くと鉄梯子があり、錆びているようだが下に降りられるようだった。
 さっき落とした遺物があるわけない。しかし何かに急かされて足を掛けると、鉄梯子はギューギュー壊れそうな異音を上げた。
 川原は流れに沿って伸びている。幅はそれほど広くないが、流れまでは5、6メートルあるだろうか。
 大きな岩もあるが、手のひら程の比較的小さな石が多くを占めていた。人の手で積まれたような石も所々に置かれている。
 岩の上にポツンと紅い花束がお供えしてあった。誰が置いたのだろうか。
 ――こないだもな、子どもが見つからんかったで――
 老女の言葉が頭を掠めた。
 川原には転落した子どもの遺骸が流れつくのだろうか。背筋が冷やりとする。
 ギシギシ鳴る鉄梯子の音に振り返ると、女性が降りてくるところだった。
「この辺の顔じゃないね。どこからいらしたん」
 何と返そうか迷い、とりあえず頭を下げた。
「気を抜くと直ぐに水位が上がるから、貴方も気をつけないとね」
 川原に降り立った女性は大きな岩に花束を供え、神妙な顔で手を合わせた。
 目が細くて髪が長い、凛とした美人さんだ。歳は僕より少し上か。何か声を掛けなければと変に焦った。
「あの。僕は小さい頃、ここで石拾いをしたんです」
「そうなの。拾うだけでなく、石を積み上げると供養になりますからね」
 供養――やはり子供の供養をしているのだろうか。女性は川面を見つめた。
「ここはいろんな物が流れつくんです。動物の骨なんかもね」
「えっ、動物ですか」
 まさかと思った。あの黒い骨はここで拾ったのではないか。
「どんな動物ですか」
「よく知らないけど、化石みたいな物もあるみたい」
 上流から化石が流れてくるということか。僕は気になって聞いてみた。
「実はさっき、上のかずら橋で、大切な物を落としてしまったんです」
「そうなの。ここに流れつくかも知れないわね」
 落とした物が流れつく場所か。流れ着くには時も条件も重なる必要があるだろう。ここは突州になっているから増水すれば流れつく可能性はあるに違いない。
 例えば上流に化石があるのだとすれば、長い年月をかけて雨水や雪解け水で流れ落ち、川の流れに乗ってここへ辿り着く。そんなことも考えられるではないか。
「大事なもの、見つかるとええね」
 女性は挨拶をして梯子の方へと向かった。そして金属音を立てながら階段を上っていく。もう少し詳しく話を訊きたかったが、引き留めると迷惑になる気がした。
 一人になった僕はしばらく放心していたが、ふと正気に戻った。
「もう時間だ」
 バスの最終時刻が迫っている。
 立ちあがると川下にヒョロリとした木の枝のような物が落ちていた。
 長さは10センチほどで黒っぽい色をしており、手に取ると硬くて比較的軽かった。これが女性の言う辿りついた物なのか。僕は慌てて胸ポケットに手を入れると、拡大鏡を取り出した。
 時同じくして上流からゴゴゴと水音が鳴り響いた。段々と大きくなる異音に気づいて川上を見ると、向こうにうねるような渦が見えた。
 さらに驚いたことに足元近くに川の水がつき始めていた。どんどん水位が上がり、自分の居場所が無くなっていく。
「しまった。増水か」
 鉄梯子からだいぶ川下まで降りていた僕は元の位置まで戻ろうとした。しかし目の前に水が迫ってくる。とにかく恐怖を感じた。
 とにかくうねりに向かって走った。だが水深は膝丈ほどになり、逆方向へと足を持って行かれそうになる。
 このままだと流されてしまう。流されてたまるかと踏ん張り、力を振り絞って流れを逆走した。
 やっとの思いで階段下まで辿りつき、びしょ濡れの足を持ち上げた。まるで重い荷物のようだ。
 下を見ると川原がすっかり消えていた。間一髪だった。
「ああ、助かった……」
 こうしてはいられない。何としてもバスに乗らなくてはならない。乗り場まで駆け足で向かうと、ちょうどバスが到着したところだった。
 きっと僕はよほど酷い姿をしていたのだろう。運転手さんが怪訝そうな表情をした。
 息を吐きながら座席に腰掛けると、尻が冷たくて飛び上がった。僕の下半身は川を泳いできたように濡れた状態だった。
「あっ、さっきの化石は……」
 慌ててポケットを探ると、拾った化石は残っていた。良かった。
 渓谷では迂闊にも遺品を失ってしまったが、どうやら替わりの宝物を手に入れたようだ。
 
「鯨じゃないか?」
「いや、ちゃんと調べてもらったほうがいいわ」
 朝のミーティングのあと、三輪先輩と課長に化石を鑑てもらった。頭を突き合わせて話し込む二人は、とても愉しそうだ。
 僕の持ち込んだ骨はもしや大発見か――という話にまでなった。今のところ職場レベルの発見だが、どう転ぶかはまだ誰にも判らない。
 拾った化石は父の遺品に似ていた。遺品はおそらく伊佐摺渓谷で拾ったものだろう。ただ、なぜ黒いのかは解からないままだ。やはり焼いたのだろうか。
 骨は乾留、つまり空気を絶って高温で焼くと黒くなるらしい。黒炭と同じ原理だ。僕らからすれば遺物を加工するのはあるまじき行為だ。
「カナダにブラックビューティーと呼ぶ恐竜の骨があると、聞いたことがあるわ。もしかして埋まっていた地質の関係で、骨が黒いのかも知れないわね」
 課長が興味深い話をしてくれた。そんなこともあるのか。僕はまだまだ勉強しなくてはと思った。

 午後から現場で掘り起こされた遺物の確認をしていると、近くにいた三輪先輩が寄ってきた。作業服は相変わらず泥まみれだ。
「大発見になる前に、ぜひとも渓谷に連れていってもらいたい」
 生真面目な三輪先輩に、僕は噴き出しそうになった。もちろん日頃お世話になっている先輩の頼みは断れない。
「わかりました」
 そう応えると、三輪先輩はさらに機密情報を伝えるスパイの如く念を押してきた。
「これは抜け駆けではないぞ」
 先輩は正直な人だなと思った。
 休憩時間にペットボトルの水を飲みながら父の形見のことを考えた。僕はまだ短歌に込められた父の思いを見つけられずにいる。

――鯨魚取り 海や死にする山や死にする 死ぬれこそ海は潮干て山は枯れすれ――

〝潮干て山は枯れすれ〟これは、水がないと枯れてしまうと詠めるのではないか。
 内陸まで海だった太古の昔、鯨は海があるから生きていけたのだし、山も水がないと樹や草木が枯れてしまう。地球上に生きとし生きるものは全て水がないと生きてゆけぬのだ。
 今も発掘が行われている縄文時代の現場は、水源があったとされる場所だ。そのため植物や木々が瑞瑞しく遺されていると課長が嬉しそうに話していた。
 生き物が生きていけるのは、水などの条件の重なりが起こす奇跡のようなものだ。僕は飲み終えたペットボトルを丁寧に握りつぶした。

「近ごろ三輪君と、なにやら冒険しているそうじゃないか」
 作業室で遺物整理をしていると、誰かが僕の肩を叩いて声を掛けてきた。元課長の吉野さんだった。
「お、お疲れさまです」
「ごめんごめん、時間を持て余してさ。仕事の邪魔をしに来たよ」
 吉野さんは穏やかでゆったりとした方だ。一緒に仕事することはなかったが話してみたいとは思っていた。
「で? どこに冒険に行っているんだい」
「え、ええと」
 この方もなかなか鋭さがあるようだ。そこへ課長が勢いよくやってきた。
「駄目ですよ。葛城君に訊かないでください。まだ時期尚早な情報を外部に漏らすわけにいきません」
 吉野さんは「手厳しいなぁ、誰にも言わないよ」と苦笑いしながら頭を搔いた。課内で同僚と話すのとはわけが違うようだ。それとも吉野さんはスピーカーのようにお喋りが過ぎるのだろうか。
 今の女性課長はキビキビとして頼もしい方だ。三輪先輩と同じく日に焼けて躰も鍛えられている。いや、女性に鍛えられているなどと言っては失礼なのか。難しいな。
 思案を始めた僕に吉野さんが訊いた。
「ところで葛城君は、万葉集とか好きかい?」
「万葉集ですか? 僕は専攻が江戸でしたので……あまり詳しくはないです」 
「そうか。あまり興味ないか」
 なぜ吉野さんはそんな質問をしたのだろう。吉野さんは優しい笑みを僕に向けた。
「覚えておくといつか役に立つよ」
 吉野さんは万葉集に詳しいのだろうか。だったら聞いてみても良いかもしれない。
「吉野さん、ひとつお伺いしたいことがあります」
「うん?」
 そこへ事務員さんが小走りで駆けてきた。急用のようだった。
「失礼します。吉野さん、お時間いいですか」
「はいはい。葛城さん、後でお昼でも一緒にどうですか?」
 吉野さんは僕をランチに誘い、事務室に向かった。

〈続く〉

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