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圧倒的なものに出会ったら「自分もやってみよう」だなんて思わない
2023年1月29日(日)朝の6:00になりました。
努力、未来、a beautiful star。しやわせになりたい。
どうも、高倉大希です。
『チェーンソーマン』の作者である藤本タツキ先生の『ルックバック』という作品を読みました。
あまりにも衝撃的だったので、つづけて『さよなら絵梨』という作品も読みました。
自分が漫画家を目指していたとしたら、おそらく筆を折っていました。
昔から小説を読むことが好きでした。
もちろん小説家という職業に憧れを抱いたこともあります。
高校生のころに、J.D.サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』という作品を読みました。
それ以降、小説家になりたいと思うことがなくなりました。
圧倒的なものに出会ったら「自分もやってみよう」だなんて思いは生まれません。
「自分もやってみよう」と思うということは、対象をナメているということです。
頭のいい人は見通しがきくだけに、あらゆる道筋の前途の難関が見渡される。少なくも自分でそういう気がする。そのためにややもすると前進する勇気を阻喪しやすい。頭の悪い人は前途に霧がかかっているためにかえって楽観的である。そうして難関に出会っても存外どうにかしてそれを切り抜けて行く。どうにも抜けられない難関というのはきわめてまれだからである。
圧倒的なものに出会って、その道には進まない選択をすることも
対象をナメることによって、その道に進む選択をすることも
決して否定的に捉えているわけではありません。どちらもただの選択です。
現在、教育業界で仕事をしています。
この業界に入ろうと思ったのは、学校が嫌いだったからです。
もし圧倒的な先生に出会っていたとしたら、ここにはいなかったかもしれません。
ぼくは、先生の役割って、一つの狭い常識のなかで生きている人に、そうじゃないよと教えてくれて、でも、その答えは自分で見つけなさいよらといってくれることだと思います。だから、先生を見て、「ぼくって、わたしって、ちっちゃいなあ」と思えるような人じゃないとダメなんじゃないかなって思います。
自分にしかできないことには、体調というリスクと寿命という期限があります。
体調が崩れるたびに停止し、寿命と共にすべてが失われてしまいます。
そう考えると、他者のできることを増やせる人って、実はとんでもなくすごいのかもしれません。
そのためには、「自分もやってみよう」と思わせなければなりません。
圧倒的なものを、巧妙にカモフラージュする必要があります。
毎朝6時に更新します。読みましょう。 https://t.co/rAu7K1rUO8
— 高倉大希|インク (@firesign_ink) January 1, 2023
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